第19話 喪失

 僕の体を乗っ取ったのがクライだと僕が気付くころには、周りの暴れまわっていた白服の生徒たちは全員戦意を喪失し、学園の始業のチャイムにかこつけてその場を離れていった。


 それを見て他の赤服生徒たちもそそくさと学園へと入っていき、その場に残ったのは僕とクライと制服をボロボロにされたカナタだけとなった。


 カナタの姿を見かねたクライは僕が来ていた制服のブレザーを脱ぎ、先ほどの粗雑な物言いからは想像できない様な所作でカナタの体にそれを羽織らせる。

 

 そして、また何のスイッチが切り替わったような音が気がした。

 

 すると、突然クライが体を不健康そうに揺らして何かに抗うように呻く。

 

「うっ……やっと出れたのに、もう、お……わり…………」

 

 クライがそう言い終えると、僕はまるで意識がそのまま海面から這い出るようにしながら体の自由を得たことを理解した。


 念のために腕、手、指、首、口、そして脳力までも全てを確認して、僕はやっと胸を人撫でする。


「レイジア……君?」


 その声に振り返るとそこには僕のブレザーを大切そうに羽織ったカナタがいた。

 

 その眼と頬は恥ずかしさと恥辱で赤く染まっており、僕はその表情に罪の意識を感じて目を逸らしてしまう。

 

 だがカナタは僕のその反応に僕が感じたこととは違う自虐的な解釈をし、未だに真赤に染まった頬をそれ以上に赤く染め上げて掠れた声音で僕に謝る。

 

「ご、ごめんなさい……こんなはしたない格好で……」

「…………いいえ、気にしてませんから」


 そう言って僕も自分の顔が赤くなるのを感じながら短く答える。


「その……昨日言われたことは覚えてるよ……。でも、その、どうしてもお礼が言いたくて……。助けてくれてありがとう、それと、迷惑かけて……ごめんなさい……」

「……別に……仕事ですから。それにカナタさんは被害者なんですから謝ることなんてありませんよ」

「……変わらないなぁ、レイ君は……」

「……? 何がですか?」

「昔からそうだよ。たとえ自分が傷ついたり損をしたりすることが分かってても、それでもどんな人でも助けちゃう。なのにそれを少しも鼻にかけたりしないで何でもなかったみたいに振舞うところ。……やっぱり、レイ君はレイ君のままなんだね」


 カナタが嬉しそうに言った言葉が、僕に小さな針を刺してくる。


 ――昔のままなんかじゃない。僕は見捨てようとしたんだ、君を


その眼差しが、その笑顔が、その声が、僕に突き刺した針を深く深く突き刺して僕を殺そうとしてくる。 

 

 その針が僕の心根に届く前に、僕は学園とカナタに背を向けた。


「…………そんな言葉、不愉快です。気分が悪いので今日は帰ります」


 僕がカナタの顔も見ずに冷たく言い放って歩きだすと、カナタは二、三度声をかけようとして名残り惜しそうに止めたのを感じた。


 彼女にそんな風に心配をかけるのも僕は心苦しい。


 だが、今の僕には傷ついた彼女に優しい言葉を送ることも、嬉しそうに笑った彼女が求める理想の言葉を送ることもできない。その権利がない。

 

 だって、先ほど彼女を助けたのは僕ではなく、僕の中にいるクライで僕はその光景をただ呆然と眺めていただけだ。


 いつまでたっても傍観者で他力本願な僕はさっきの事件で失ってしまったんだ。

 カナタを救う意志も、カナタの隣に並び立つ権利すらも。

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