第10話 脳欠症

 建設現場から鉄骨を落としてしまった女性とその女性を引きずる男性。


 どうやら男性の方の腕には『総監督兼責任者』と書かれた刺繍が施されており、見たところ下にいた僕の姿を見て隣の女性と共に謝罪に来たようだった。


 だがそんなことよりも僕は、先ほど鉄骨を落としてしまった女性建設員の方が気になった。


 血が通っていないような真っ青な顔、鉄骨どころか物を運ぶのも一苦労しそうなほどに痩せこけた腕。その姿は死人のようだ。 


「レイジア様!!  私はこのビル建設の監督をしているものです。このたびはこの脳無しの所為で大変ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんっ!! この脳無しにはそれ相応の罰を与えますゆえ、どうか寛大な処置を……おら、貴様が頭を下げるんだよっ!!」

「うぅ……すいません、すいません……」


 そう言うと、監督の男は女性建設員の頭を掴み上げ地面に叩きつける。

 

 女性建設員の額が裂け少量の血がコンクリートに滴り、女性建設員はうわごとのように謝罪の言葉を呟いていた。


「ママッ!!」

 

 それを見て僕の後ろに隠れていた少女が監督の前に飛び出して、監督へと飛びかかった。


「ママをいじめないで!!」

「うっせいな、おいっ! 邪魔だから引っ込んでろや!」


 だが、大人の、しかも、肉体労働で鍛えている大人を一人で動かすことはできず、監督の無情な手に突き飛ばされた。


 体を地面に叩きつけられた少女を見た女性建設員は、自分の頭を抑えている監督の手を振り切り、倒れた少女の下に駆け寄る。


「止めてくださいっ!! 子供にまで暴力を振る必要はないじゃないですか!!」

「うるせぇな! 誰のせいでこんなことになってるのかもわからないのかっ!! だからてめえら脳無しはクズなんだよっ!! 脳ミソに何詰まってるか、確かめてやろうかっ!?」


 監督は少女と女性建設員の親子二人に向かって、高く振り上げた足で少女の頭を踏み潰そうとした――


「すみませんが僕の前で醜いことをしないでいただけますか? 目障りです」

 

 その振り上げた足を僕は左手で掴みあげて阻止し、監督を刺すように睨んだ。


「レ、レイジア様!? いや、しかし……この脳無しどもは何かあればすぐに付け上がりますので……これくらいはしなければ……」

「それを決めるのは僕だ。君に指図される筋合いはないはずだけど?」

 

 僕がぴしゃりと言い切り監督の足を押し返すと監督は尻餅を着いて僕を脅えた目で見上げる。

 

 監督がそれ以上何も言わないことを認めると、僕の後ろで僕を見上げて不安そうに体を抱き合う親子に振り返り見た。

 

 女性建設員の身体はまだ春の暖かい日照りが続いているにも関わらず死人のような青白い肌をしており、先ほどビルの下で見ていた時にまるで糸が切れたように脳力が切れた瞬間。

 

 それらの兆候は全て、ある症状を意味していた。


「監督さん」

「は、はいっ!」

「彼女には国の労働の義務として、十二時間以上の勤務行動の禁止と三時間に一回の一時間の休みを取る様に記されています。ですが、彼女の青白い肌はIQを酷使し続けた結果に起こる『脳欠症』、つまり脳内の熱の熱暴走を意味します」

 

 僕の言葉が図星なのか、監督は泡食ったように言い訳を口にする。

 

「し、しかしですねレイジア様…………こんな脳無しを働き手に選んでいるだけでも我々には損害でして、それをこいつ自らが返済しなければ雇っている意味が……」

「損害しか生まない脳無ししか雇えないあなたが悪いのでは?」

 

 僕が一刀両断すると、監督は俯き黙るが、僕はこれでは黙らない。

 

「では、分かっていただいてことで、あなたには第二王子権限で、一週間の自宅謹慎と役職の格下げを命じます。書類は住宅に直接郵便を送らせていただきます」

「なっ!? そんなっ! 被害は結果的に出ていませんでしたし、その脳無しにも休憩を挟むようにしますのでどうか、レイジア様っ! ご慈悲をお恵みくださいっ!」

 

 さきほどの女性従業員のように地面に顔を擦り付ける監督を、僕は睥睨して嘆息する。 

 

「そんなこと、ですか? ふざけないでください。あのまま鉄骨が落ちれば、そこの少女は必ず重症を負ったでしょう」


「で、ですが、たかが脳無しの娘一人……!」

「もちろん、それだけではありません。その衝撃に伴い、建設員の彼女も墜落したかも知れません。そして彼女を支えていた命綱の衝撃により建材も墜落、被害はそこの少女一人では済まないでしょう。交通に支障をきたし、作業を著しく遅延させた罰則にしては、僕の判断は甘いかもしれませんね。それでもまだ喚くなら、僕はあなたを全力で潰しますよ」

 

 それ以上、監督は何も言わず、ただ俯き、身体を震わせるだけだった。

 これ以上は彼に大してはいいだろう。

 

 僕は再び後ろで僕を見上げ抱き合っている彼女達を一瞥してから、改めて表情を険しくして告げる。


「ですが、あなたにもそれなりの罰を僕の権限により与えます。そうですね……とりあえずはあなたにも一週間の謹慎を命じます。それだけの時間があれば、少しは自分の力の弱さを自覚するでしょう」

 

 僕がそこまで言ってその場を後にしようとした時、先まで黙って震えていた少女が意を決したように立ち上がった。

 

「……酷いよ……私達は何もしてないのに…………悪いことしてないのに、何でそんなに私達をいじめるの!? ねぇ!! なんで!? 何でなの!?」 


「それは君達が生まれた時点で、既に弱者だからだよ」

 

 僕の迷いのない切り替えしに少女は言葉を失くした。

 

「人間の価値であり脳力の強さを表すIQ。それは生まれた時点でその数値が決定する。そしてそれは親から遺伝され、永久に変わることはない。それが君達が弱者たる所以だ」

「そ、そんなことない!」

「なら、なぜ君のお母さんは鉄骨を落とした? 見る限り君のお母さんの筋力であの鉄骨は持ち上がらないはずだ。脳力を使わなければね。そして脳力の持続時間とレベルは、脳力の基準を表すランクで測られる。君のお母さんは確かに休憩は無かった、だがそれでもあんな鉄骨如きを落とすほど疲労するのは、君のお母さんの脳力が弱くランクが低い――つまり低脳だからだろ」

 

 僕が論(あげつら)うように少女に言うと、少女は涙を流しながら服の裾を握り締める。

 自分の母親が下に見られ言い返したいのに何も言えない歯痒さ、そんな自分が情けなくなり泣いているのだろう。

 

 もう返す言葉も失い俯きながら泣く少女を見て、僕は改めて女性建設員に告げる。


「それではこれで僕からは以上ですが、今後また同じようなことがあれば、今度はあなたも娘さんもただでは済ましません。自分の弱さと惨めさを理解した上で、自分自身にあった仕事を探すことをオススメしますよ。まああなたの脳力でできる仕事があればの話ですが」


 吐き捨てるような皮肉を言い置いて僕はカナタを連れてその場を去った。

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