第8話 間接キス

「はいレイ君! あ~んっ」

「だから、まだ僕には心の準備というものが出来ていないと言ってるじゃないですかっ!?」

「でもレイ君、ここまででもう何回も繰り返してるよ? もうさすがに慣れて来てくれてももいいでしょ?」

 

 カナタはそう言って、彼女がさっき口にしたホットドッグを僕に向けてくるのに対し、僕は首を真反対に向けて躊躇い続けていた。


「だいたいっ! 一つの物を二人で食べるなんてこと自体おかしいんですっ! 君が買った私物を僕が食べてしまってはそれは僕の私物であるという事にもなってしまう訳で、その場合、僕は君に対して何かしらの代価を支払わなければならない。だが、今僕には君に何か返すことは出来ないし、する気も無い。こんな片方のみ負荷の掛かる状態を果たして、一緒にデートすると言うのだろうかっ!?」

 

 これはいいっ! 少しばかり長々しい気もしなくもないが、これは自分でも惚れ惚れするくらいの言い訳……じゃなくて! 正当な言い分。

 

 これをカナタはどう切り返すのか楽しみだ。  

 そう思いながら僕は彼女に自信満々の顔を向けると、そこには少しだけ申し訳なさそうなカナタの顔があった。

 

「えへへ……ごめんねレイ君。難しいし長いから、ほとんど聞いて無かった……」

 

 はい、僕の努力が無に帰しました。

 

 こうなればと腹を括った僕は、首をカナタが持つフランクフルトに向ける。この後も何回も同じ事を繰り返す方が時間の無駄だという事を理解してしまえば、こんな豚の腸詰めなんて屁でもない。

 

「……わかりました。食べればいいんですよね、食べれば!!」

「うんっ! 素直でよろしい! はい、あ~ん!」

 

 そういいながら口を大きく開き目を閉じる彼女の姿を見て、僕は何か知らない劣情に駆られ、せっかく決心した心が決壊してしまう。

 

「そんなことしなくても自分で食べれますからっ! 止めてください、恥ずかしいっ!」

「私がしたいのっ。はい、あ~ん!」

 

 いや、ただ同じものを共有するだけだ。気にするな気にするな。

 僕は、意を決してホットドッグを口にする。

 

「どうっ!? おいしいでしょっ!」

「……………………うん、おいしいです。ありがとうございます……」

 

 僕がそういうとカナタは意地悪そうに僕の顔を見て笑う。

 顔が全体的に熱い。きっと赤面しているからだろう。

 

 この様子から見て、カナタは僕がこうなることを見越しての出店デートだったのかも知れない。しかし、緊張してまったく味を感じなかったとは自分でも驚きだ。

 

 間接的にしか接触していないはずなのに、味も感じないほど感動……いやっ! 緊張してしまうとはっ!。

 だがこれを乗り切れば後は帰るだけだ。そう思った僕はホットドッグを一気に口の中に押し込む。

 

「あっ……」

「んっ? ……ふぅ。カナタさん、どうかしましたか?」

 

 僕がホットドッグを食べきる姿を見て、小さくカナタが言葉を漏らした。

 

「な、なんでもないよ! ほら、次は私、サンドイッチが食べたいなっ、早く行こっ!」

 それを聞くとカナタは話題を切り替えるようにサンドイッチの出店へと走る。僕は少し気にはなったものの特に深くは考えなかった。


 *

 

 その後もカナタとのデートは続いた。

 

 サンドイッチはキャベツに彼女の歯型がくっきり残るため強制的に意識してしまうし、アイスクリームは直接舌に触れるために熱が伝わりそうになったりとする。


 しかもその場その場で僕がたじろぐ姿を見るとカナタが「あれ~? 私とじゃ何も感じないんじゃなかったの~?」や「やっぱり本当はレイ君なのかな~?」などと言うので、仕方なく最後まで食べる羽目になってしまった。


 そして現在、心も体も満身創痍の中クレープの出店にて僕は、イチゴとバナナと生クリームのクレープになんとか口を付け難を逃れた。

 

「ど、どうですか…………。これでもう僕が、あなたの言う『レイ君』ではないことが分かったでしょう?」

「ん~、ごめ~ん。私、バカだから。分かんなーいっ」

 

 王である我が父よ。

 この子を一回だけでいいから、王族権限で手を出してもよろしいでしょうか。

 

 カナタをそんな恨み辛みを含んだ目で睨んでいると、彼女の視線が僕の手元に向けているのに気付いた。

 

「……もしかして、カナタさんもクレープが食べたいのですか?」

「えっ!? いや、そんなことは無いけど!?」

 

 僕としたことが、少し配慮が足りなかったようだ。買ったのはカナタなのに、先ほどから食べているのは僕ばかりじゃないか。

 

「カナタさんが食べるのは決まって最初の一口だけですよね? おかげさまで僕はもう満腹なので、クレープだけでも食べてください」

「い、いやっ! 私もお腹いっぱいだし__!」

 

 __レイ君が食べなよ! とカナタは言いたかったのだろうが、その前にカナタのお腹から盛大な音を響かせて彼女の空腹を伝えた。

 

 それが恥ずかしかったのだろう、カナタは俯きながらお腹を押さえるが、恥を知るのは僕の方だろう。

 彼女のことも考えずに自分だけ食べ続けて、しかも彼女に恥ずかしい思いまでさせてしまうとは……。このことは反省しなくてはならないな。

 

「カナタさんのお腹もそう言ってますし、どうぞ」

 

 僕はカナタにクレープの持ち手を渡す。

 すると、突如、カナタの顔が湯気が出そうなほど赤くなり始めた。

 

「ど、どうなさいましたか!?」

 

 僕は彼女の身を案じて彼女を注意深く観察するが彼女はずっとクレープの、特に僕が口を付けた所をじっと見つめて、視線が離れていなかった。

 

 …………これはもしかして。

 

「…………もしかして、カナタさんも僕との間接キスで緊張していますか?」

 

 それは正鵠せいこくを突いたようで、カナタはクレープを持つ逆側の手をぶんぶんと振り回してこれでもかというくらいに興奮する。

 

「そそそそそ、それはするよっ! 私からの間接キスならともかく、レイ君からの間接キスなんて……!!」

「だから、僕はあなたの言う『レイ君』では無いと言っているでしょう。それを言うなら、先ほどからずっと僕とカナタさんで間接キスをしていたじゃないですか?」

「あれはいいの! 私から攻撃して、レイ君が受けだから! でも、私が受けなのは、なんか、その、言いがたい興奮が……」

「興奮って……」

 

 僕は軽く背筋が寒くなるのを感じながら彼女から距離を半歩ほど取る。

 

「え、でもレイ君もさっきからそんな感じじゃなかったの?」

「僕はそんなことで興奮したりする変態ではないですっ!」

「またまた~。顔真っ赤にして食べてた癖に~」

「今、顔を赤くしてるカナタさんには言われたくないですっ!?」

「そ、そんなことないもん! これは……その……そう! ちょっと暑かったから顔が日焼けしたただけだもん! 恥ずかしがってる訳じゃないからね!」

 

 そういうとカナタはクレープを一気に頬張りながら僕にどうだっ!と言わんばかりに僕を見る。

 

「ごれで、わだじが、ばずがじがっでないっでわがっだでじょ!!」

「ごめん、なんて言ってるか分からないから食べてからにしてください」

 

 カナタはクレープを呑み込むと先ほどと同じように僕を見る。

 

「だから、これで私が恥ずかしがって無いって分かったでしょって言ったの! まったく、レイ君はいつも私と張り合いたがるんだから」

 

 クレープをほぼ一気飲みしたカナタには言われたくないな、本当に。おかげでクレープの生クリームが口元に付いていて、雪原のようになっている。

 

 その姿を見ていられなかった僕はハンカチを取り出して、カナタの口元を拭う。

 

「ほら、これで綺麗になりましたよ」

「ふふっ、ふふふふふっ」

 

 ハンカチをカナタから離すと、何か嬉しそうにはにかむ。

 

「な、何かおかしな事でもしましたか?」

「ううん、無いもおかしな事はないよ。ただね……昔もこうして、レイ君に口元を綺麗にしてもらってたの、思い出しちゃったから…………」

「……………………っ!!」

 

 一瞬、僕は幼い頃のことを思い出した。

 似たような場所で買い食いをして分けあって、口元を汚したカナタに世話を焼く男の子が居たことを。


 あの頃のことはもう、思い出してはいけない。

 

 冷静にならなければ…………。

 そう思い、顔をしかめて気合を入れながら彼女の顔を見た一瞬、僕の思考は停止した。

 

 あまりにもカナタの笑顔が輝いて見えた。彼女は僕の見ている中ではいつでも笑顔だ。

 だがこの笑顔は何か本当の喜びを噛み締めて、心から飛び出して来たかのような幸福がこちらまでにも伝わる、そんな笑顔だ。

 

 その変わらない純粋な笑顔を前についに、僕はそこにいることが出来なくなってしまった。

 

 「す、すいません……! 僕、お手洗いに行ってきますっ!」

 「あ、レイ君っ!!」

 

 カナタが僕を呼んでいたがそれを振り切って僕はその場から逃げるように走った。

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