第33話「そんなことない」


 僕は、僕が襲われた後の話しを聞いた後、ユリねぇがいなくなった自室で独り、うつ伏せで倒れていた。


 僕は何をしたのか、ユリねぇに何を言ったのかはっきりとは覚えていない。

 

 ただ、覚えているのは、明日には新しい政策と称して、アドラ兄さんの監修で別校舎の改修工事の設計図を捏造し手抜き工事と称して別校舎を使い物にしなくさせること。

 

 ユリねぇがいないのは分かる。僕が一人にして欲しいと頼んだからだ。

 

 心配したユリねぇは僕の傍に居てくれると言ってくれたが、僕がそれに対し「傍に居るだけで無脳力じゃなくなるのかい?」と言うと、寂しそうに部屋を出て行ってしまった。


 酷いことを言ってしまった。明日になったら謝ろう。許してくれるかは分からないけど。


 もし、僕のことを許してくれなかったら、僕は正真正銘の無能へと成り下がるわけだ。

 

「おい……見てるんだろう……。何か言ったらどうなんだよ」

 

 僕はベッドに立掛けてあったグラナドラを握り、まるで縋りつくように声を掛けた。


「最初から最後まで僕はアドラ兄さんに利用されていたんだね……良かったじゃないか。正しく君が言ったとおり、最後の最後で全部失敗した。これで救世主として《救世連盟》の活動をすることも、裏生徒会の会長としての地位も全て失った……ははっ……笑えるだろう……」

 

 クライは何も答えない。聞こえるのは窓を揺らすほどの風と雨音だけ。きっと今日の夜は嵐が来る。

 

「それとも僕をあざ笑ってるのかな? そうだよね、君の脳力……いや、魂魄媒介だったかな。その力は人を馬鹿にすることだったからね、きっと今も力を使ってるのかな…………? 何とか言ってみろよ…………」


 外の雨音はどんどん強くなる。ガラスは何度も叩くように音が響き、風も僕のことを嗤うような甲高い口笛に聞こえた。

 風ですら僕に返事をしてくれるのに、対してクライは、何も答えない。


「何とか言えって言ってるだろうが!! クソやろう!」

 

 僕は今まで出した事も無いような罵声を吐きながら、剣を壁に打ち付ける。

 それと同時だった――


「きゃあっ!?」 


 突然窓が開き、大量の雨水と激しい風と共に、女の子が部屋に転がり込んできた。 


「痛てててて……びっくりした~……」


 赤を基調としたシンプルな柄の制服に身を包み、子犬のように跳ねたぼさぼさの髪と力強さを感じる大きな瞳を持った小柄な少女、カナタだった。


「カナタさん!? 何で、どうやってこの部屋に!?」

「へへへっ。忘れたの? 私の脳力は《アクア》。手の平で触った水をその手の平から放出することだけ脳力だけど、今日は運よく雨が降ってたから使える水がいっぱいあって助かっちゃった。それに、この雨で屋敷から外の音は全然聞こえないしね」

 

 確かにその脳力を使えば、三階である僕の部屋にも辿り着くことができるな。

 

「そんなことよりも、レイ君、体は大丈夫? あの時、レイ君が私を庇った後、気付いたらレイ君が倒れてて……」

 

 僕を心配するようにカナタは顔を近づけて僕を心配してくれる。なんか子犬みたいで可愛いけど、水で透けた制服から覗く肌や雨水とは違う女の子特有の優しい匂いに、僕は思わず赤くなる顔を背けた。

 

「あぁ……体はまだダルいくらいだから。でも、今はそれどころじゃないよ」

 

 僕は起きた後にユリねぇに聞いたことをカナタに説明すると、カナタはいつになく深刻そうに話した。



「そんな……この三日間でそんなことになっていたなんて……」

「あぁ……。でも、最初からこうなっていたのかも知れないね……最初から叶わない、無駄な努力だったのかも知れない」

「そんなことないよ! 私たちにも、まだ、できることはあるよ!」

「…………例えば、何?」


 カナタが僕を励まそうとした言葉というのは、冷静に考えれば分かることだ。でも、今の僕にはその言葉は、何も分からず能天気に言った言葉にしか聞こえなかった。


「今、裏生徒会の会員を中心に救世主様を探してるの! 本当は新しく増えたメンバーを救世主様にお見せしようとして呼びかけてたけど、きっと今の話を聞いたら、救世主様ならなんとかしてくれるよ! 他にも――」


 僕はそこまで聞いて落胆した。くだらないと。


 結局は他力本願で、自分達では解決しようともしない。最初から叶わない夢? 違う。叶える必要のない夢だったんだ。


 こんな誰かに寄生しないと生きていけない弱い奴らなんか淘汰されて当たり前。抵抗しようにもそれはただの足枷にしかならない。


 僕はこんな奴らのために何年間も苦しい思いをしていたのか?

 そう思うと、目の前で僕に語りかけてくるカナタがとても醜く見えた。

 そしてまた、僕は苛立ちを押さえることに限界が来た。

 

「……………………うるさい」

「えっ……ど、どうしたのレイ君? 私、何かレイ君を怒らせるようなこと…………」

「うるさいって言ってるんだよ!!」


 僕は手当たり次第に枕を地面に叩きつける。

 枕が破れて中の羽毛が部屋に飛び散り、カナタの濡れた頬や髪や服に付いた。

 

 カナタが脅えたように体を震わす姿に僕は多少の罪悪感を抱きはしたが、既に僕自身でも自分の感情を止めることができなかった。

 

「自分たちでできないから人に頼る? 頑張ってもらう? 目を覚ませよ、それこそが神頼みだってことに気付けよ! 今まで神様が、僕や君たち低脳な人たちに何をしてくれたよ? 救世主様なら助けてくれる? そんな保障も計画性もない妄想なら一人でやってろよ! 人が敷いたレールの上をただただなぞる様に進んでるだけで自分で動いた気になるなよ。少しは自分で考えてくれれば僕がこんな目に合う必要も無かったはずなのに!」

 

 一区切り喋り終わると、カナタは震え声で僕に反論して来る。


「で……でも、だからこそ……! 私たちが頼るのは神様じゃないよ、ちゃんと私たちのことを考えて、動いてくれる、本当の神様みたいな、文字通りの”救世主”様だもん! きっと、今回だって……!!」

「だから、そんな奴はいないって言ってるんだよ!」

「なんでレイ君にそんなことが分かるのよ!」

「僕がその救世主だからだよ!」

 

 僕が本当のことを言うと、カナタは一瞬だけ押し黙る。

 

「そ、そんな訳、無いよ……適当言わないでよ……」

「なら、そこの机の一番目の引き出しを開けて見てみなよ。今まで《救世連盟》に出してきた指令とまったく同じ資料が出てくるはずだよ」

 

 僕が指差しで机を指すと、カナタは恐る恐るといった様子で、僕の机の引き出しを開ける。


 そこには五年前に書き上げた『脳力応用思案書』の原本が入っていた。 

 そして、その資料製作者には僕の名前とそして『救世連盟統括』と記されていた。


「これって……一体……?」

「それは過去の会議に出す筈だった研究資料だよ。その内容さえ理解すれば、たとえ低脳者でも脳力の幅を大きく広げることができる……はずだった……なのに、全て終わりだ……」

「レイ君…………」

「だからもう良いだろうっ、出て行けよ!!」

 

 ベッドの上で膝に顔を埋める僕に声を掛けようと近づいたカナタを僕は手で払い退けた。

 

「僕だって、頑張ったんだよ……充分過ぎるくらい頑張ったんだよ……!! いつもいつもいつも、誰にも相談できずに悩んで、失敗と成功を繰り返して、それでも幸せになれる未来を夢見て頑張った、その結果がこれだ!! 結局、僕は救世主でも王族でもなんでもない……ただの無脳だよ…………」

 

 ここまで言ってもカナタは一向に出て行く気配を見せない。 

 それどころかどんどん僕に近づいてくる。

 

「そんなことないっ」

「慰めなんて求めてないよ……どうせ、僕にはもう何も――!!」

 


「そんなこと……ないよ」



 その言葉と同時に僕の視界はぐらついた。

 僕が言い終わる前に、カナタが僕の頭を自分の胸に抱き寄せて頭を撫でてくれていた。

 

 突然のことに言葉を失った僕に、カナタは優しく語りかけ始める。

 

「子供の頃も、そして大きくなった今でも、レイ君はいつも困ってる私を助けてくれた。守ってくれた。確かに、今の私なんかじゃレイ君をこうして抱きしめてあげることしかできないのかも知れない。今まで私が《救世連盟》で活動できたのも、全部レイ君のおかげだよ。でも私が助けてもらったのはそれだけじゃない……私は、あの日にした約束のおかげで今の私がある」

「でも…………結局、僕は、君たちに何もしてやれなかった……」


 涙を見せない一心で僕は上ずった声でカナタの言葉を否定する。だが、カナタはそれすらも受け止めて僕を優しく語りかけた。


「本当なら、高脳力者のレイ君がこんなにも苦しい思いをすることないのに……。私たちのために私たち以上に戦かって、傷ついて、泣いて、それでもこんなになるまでに一言も弱音を吐かずに私たちの前を歩いてくれたんだよね……。随分遅くなっちゃったし、今言うことじゃないのかも知れない。それでも一言、言わせて欲しいな」

 

 一呼吸置いて、カナタは少しだけ僕を胸元から離す。自然と上を向くような形で見たカナタの顔は、まさにどんな時でも輝き、暖かく僕を照らす太陽みたいな笑顔だった。そして、その眩しい笑顔を携えたまま、カナタは言った。


「本当にありがとう。レイ君は、頑張ったよ」

「うっ……うぅ…………!!」


 その言葉に、僕は涙を止めることができなくなった。そうして僕が男らしくなく泣いている間もカナタは僕の頭を胸に抱き、その頭を優しく撫でてくれた。 


 カナタの小さな手が僕の頭を撫でる度に、優しい声が僕の耳に届く度に、そして、カナタの笑顔を見る度に僕の廃れた心が潤いを得た。


 カナタはさらにに強く僕の頭を自分の胸に抱きしめる。

 まるで、何かを決意したように。

 

「レイ君は頑張ってきたんだ……私と違って誰かに褒められることも無く、一言も弱音や泣き言も言えずに、一人で……。だから、今度は……私の番だ」

 そういうとカナタは僕を胸から放すと、そのまま窓から外へ出ようとする。


「カ、カナタっ」

「んぅ?」


 窓枠に手を掛けた所で僕はカナタを引きとめた。

 ここで何か言わなきゃ後悔する気がしたから。

 でも、何も思い浮かばない…………。


 さっきまであんな暴言を吐いた僕が、どの面を下げてカナタに「行かないでくれ」と頼めるというのか。


 黙っていると、カナタはいつも子供の頃に僕に見せてくれていた満開の花のような笑みを浮かべて親指をグッと立てる。


「待っててね。絶対にレイ君の努力が正しかったって証明してみせるからっ!!」

 

 そう言い切ると、カナタは嵐吹き荒れる外に《アクア》の脳力で水を勢い良く噴出し、そ窓の外へ飛び出した。


「………………」


 カナタを引き止めることができなかった僕の部屋には、ただ雨水が垂れる音だけが響き渡っていた。しばらくの間、カナタが消えた窓枠を見つめて、水浸しになった部屋の掃除を始めた。


 だが、その中で僕は先ほどカナタに証拠として見せた『脳力応用思案書』が消えていることに気付いた。


 何か、嫌なことが起こる予感が、僕の胸中に渦巻いた。


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