第3話 冬紋せりな【1】
「…………せ、りな、ちゃん? だよ、ね? あの……」
聞いてからハッとした。
いくら名字が同じでも別人かもしれない。
『冬紋』なんで名字はかなり珍しいので、むしろその可能性の方が低いのだが。
いやいや、思い込みはよくない。
実家のある地域に『冬紋』が少ないだけで、この辺りの地域はそうじゃないのかも。
でも……。
「あ……コ、コウ、くん……」
「! やっぱり、せりなちゃん? だよね? あの、え? うそみたいだ……あの、お、覚えてる? 飯橋幸介です……」
「……お、覚えてる……覚えて、います……!」
黒い髪を揺らしながら、爪先立ちになって近づく美少女。
ああ、やっぱり。
忘れもしない……彼女は小学校の頃、一年間だけ同じクラスだった冬紋せりなちゃん。
体が弱くて、彼女が休むとクラス委員長だった俺がプリントを持って家を訪ねていた。
幼い頃からとても可愛い子だったから、密かに憧れていた……女の子。
けど、父の失踪と同時に母の実家がある地方へ引っ越しが決まり……次の年には転校した。
だから信じられない、また会えるなんて!
「せりなちゃんも、このアパートに引っ越してきたの?」
「う、うん。隣の部屋……」
「と、隣!?」
声がひっくり返った。
信じられない、信じられない!
こんな事があるだろうか?
小学生の頃に別れた憧れの女の子が、隣の部屋に引っ越してきたなんて!
なにより、このアパートはワンルーム……つまり……。
「え? お、女の子が、一人暮らし……するの?」
「う、うん。あの、でも平気なの! 近くにお兄ちゃんが暮らしてるから……」
「え、あ! そ、そ、そうなんだ! そ、それなら、安心だね!」
「う、うん! そう! 大丈夫! あ、ありがとう! し、心配してくれて……」
「いや、別に、そんな」
あはは。
……と、乾いた笑い。
いや、なんだこれ、どうしよう、間が持たない。
動揺しすぎて、頭がうまく回らないや。
「コ、コウくんは、えっと、学校、こっち?」
「う、うん。せりなちゃんも?」
「う、うん」
「っ」
もしかして、まさか……同じ学校?
そんな予感に胸が一際大きく跳ねる。
冷静に考えればさすがに、それは俺に都合が良すぎるのに。
でも、でも……ここまで来たら、もしかしたら──!
「ど、どこ校?」
「……北雲女学院……」
「…………。……北区の、女子校?」
「そ、そうなの。一人暮らしするなら、学校は女子校にしろって……」
「そ、そうなんだー……すごいねー……」
女子校。
あからさまにテンションが下がった。
い、いや、せりなちゃんは多分、お嬢様だ。
せりなちゃんの家……俺がプリントを運んでいた彼女の生家はとんでもない日本庭園付きのとんでもなく大きくて広い日本家屋だった。
いや、お屋敷と言った方が正しい。
たまに遭遇した彼女の両親はいつも和装で、なんかもう、気品が溢れていて……とても普通のご家庭ではなかった。
そんな家の娘さんだ。
女子校に通わせるのはむしろ自然……。
それに、この辺の高校を調べた時に資料で見かけたけど
私立で、エスカレーター式。
名家のご令嬢が通うので門には警備員が立っているし、専用の送迎バスが通っていたはず。
そんなところに入学するという事は……やっぱりせりなちゃんって、お嬢様だったんだな。
「コウくん、は?」
「俺は東雲学院の一般科」
「! ……学園長が同じだね! あの、兄弟校!」
「え? そうなの?」
「う、うん。この辺りの学校……『東雲学院』『南雲学園』『西雲男子学園』『北雲女学院』はみんなおんなじ人が学園長なんだって。お父様のお知り合いで、とても教育に力を入れておられる方だって……あ、いや……そうじゃなくて……や、やっぱりさすがに学校は別だったね!」
「うん!」
女子校には、俺は受験すら出来ません!
「…………でも、あの……同じ、アパート……だね……」
「えっ」
ドキ、とした。
同じアパート……同じ階……隣の部屋……。
隣でせりなちゃんが寝起きをして、ご飯を食べて、テレビを見て、着替えて、お風呂……そんな日常が、これから──。
あ、いやいやいやいやいや!
俺はなにを想像してるんだ! 最低だ!
「あの、じゃあ、その、こ、これから……三年間、お隣さん同士……よ、よろしくね!」
「はい!」
思わず勢いよく返事をしてしまった。
手渡された菓子折りは、多分百貨店とか専門店に売ってるお高いやつ、だと思う。
手渡されたそれを紙が歪むくらい握り締める。
笑顔で手を振って、右隣の部屋へと駆けて行くせりなちゃん。
そしてタッチパネルを押し、扉を開け、中は入る直前こちらに顔を向けて……微笑んだ。
「…………かわいい……」
口から漏れた声は扉の閉まる音できっと彼女には届かなかったと思う。
届かなくて良かった。
さすがに気持ち悪い。今更かもしれないけど……。
「……マジか……」
せりなちゃんが隣に……。
こんな事があるなんて。
お菓子の箱を掴んだまま、一分はそうしていたと思う。
なにをしていたって?
…………俺にもよくわからない。
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