第37話 卒業式【1】


 一時間かけて電車とバスで中学のある町へ着く。

 そこから徒歩で学校へ。

 校門を潜ると、たくさんの生徒が玄関で再会と卒業式本番に向けて騒いでいた。


「あれ」


 一人がそんな声を出す。

 でも、俺は気づかなかった。

 そのまま教室に向かう。

 上履きは帰りに忘れず持ち帰らないとな……。


「……なあ、飯橋、髪染めた?」

「え?」

「あ、本当だ。髪切ってきたの? え、なになに高校生デビュー?」

「ウケる」

「…………」


 教室に入ると途端に話した事のないクラスメイトたちが話しかけてくる。

 思いもよらなくて、困惑した。

『見える』ようになるかな、と少し期待はしていたけれど、話しかけられるとは思っていなかったのだ。


「でも、芸能科に推薦決まってる石田の方が、やっぱりイケメンだよなぁ」


 そう言って、前方の席にいる男子に視線が集まる。

 振り返ったのは整った顔立ちの……イケメン。

 石田秋矢いしだしゅうや

 いわゆるクラスの人気者。

 リーダー的存在。

 クラスの中心人物。

 まあ、そんな奴だ。


 ──『はあ? 努力もしないで嫉妬とかしてんじゃねーよ』


 ……忘れもしない、中学三年になったばかりの頃……俺が石田を眺めていた時に面と向かって言い放たれた言葉。

 あれは、春先の体力テストの時。

 学年全体でトップの記録を出した石田を、俺はさぞや妬ましそうに眺めていたのだろう。

 俺にそんなつもりはなかったけど……つかつかと近づいてきた石田は、そう言ったのだから。

 あれは正論だ。

 間違いなく、その通りだ。

 実際俺は運動なんてまともにやろうともしなかったし。


「…………」


 しかしなんだろうな。

 長谷部さんや浮島さんや萩野さんを、見たあとだと……なんか、石田って普通……。

 だからすぐに目を逸らす。


「髪切って少し染めたくらいで、高校生活薔薇色とでも思ってんじゃねーの」


 そんな冷ややかな声色。

 だが、それもなんにも感じなかった。


「……っ!」


 ……もしかしたら……俺が深く受け取りすぎただけで……あの時の言葉も今のようなニュアンスだったのか?

 こっちを見下して、自分が優位に立った気分でいたいだけの、それだけの意味?

 あれ……だとしたら、俺はなんで今みたいな言葉にずっと囚われて……?


「…………」


 頭を抱えたくなる。

 でも、もしそうなら……。


「よーし、そろそろ本番だぞ。しっかりやってこい!」

「「「はーい」」」


 先生が入ってきた。

 そして、いよいよ卒業式が始まる。

 すぐに誰も俺を見なくなった。

 だが不思議と、こちらもクラスメイトに一切興味がなくなったように思う。


「卒業生、入場!」



 ***



 三年間履いた上履きをビニールに包んでカバンに押し込んだ。

 後輩に知り合いがいる者は叱咤激励を飛ばし、同級生同士は別れを惜しみ、連絡先を交換する。

 それを横目に俺はスタスタと母と姉が待つ、学校近くの喫茶店に向かった。

 結局母は、俺の卒業式に間に合わなかったようだ。

 まあ、いいけどね。

 母さんも生活あるし。仕事優先仕方ない。


「幸介」


 喫茶店に入ると母が手と声を上げた。

 人がいないのでそんな事しなくてもすぐ見つけていたんだけど。

 姉はまだ来ていないようだ。

 それを少し、怖いと感じる。

 でも母の前の席に座り、店員からお冷やをもらってすぐカフェオレを頼んだ。


「卒業おめでとう。卒業式、間に合わなくてごめんね?」

「いいよ、仕事の方が大切だもんな」


 言ってから「あっ」と思った。

 母の表情が明らかに悲しげに、そして辛そうに歪んだのだ。


「いや、別に……母さんの生活優先してくれていいよって……意味」

「…………」

「えっと、達二さんと、うまく、いってんだよね?」

「え、ええ……達二さんとは、うまくいってるわよ……」


 ……沈黙だ。

 このどうしていいか分からない空気。

 でも俺は……今日、色々卒業するって決めている。

 少しだけ真実を聞くのは怖い。

 手を握り締め、お冷やを飲み干し、呼吸を一度落ち着けてから母を見る。


「あ、あのさ、聞きたい事あったんだけど……父さんって……なんでいなくなったの」

「え?」

「小学校の時……いなくなったって……」

「…………、……幸介たちの、本当のお父さんの事?」

「うん……」


 本当の、もなにも、俺の中では父さんはあの人だけなんだが。

 母の中ではもう達二さんが俺たちのお父さんって事になってるらしい。

 すげーな、もう母さんの中では解決済みなんか。平和かよ。


「……。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……実はね、幸介のお父さんは……」


 小学校の時、突然消えた父。

 母の重苦しい空気。

 まさか、死んでる?

 もしくは不倫の末出て行ったとか?

 まあ、どんな最悪でも受け止める覚悟は出来ている。多分。


「変な宗教にハマって修行の旅に出ると言い出したのよ」

「え……」


 その方向は考えてなかったー……。


「世界の役に立つとか、俺にもなにか出来る事があるはずだとか、いずれ生まれてくる神にお仕えしたいとか……お母さん、ついていけなくなってね……」


 それは確かについていけない。


「しかも家に入れるお金まで全部、その宗教団体に寄付するようになって……もうダメだなって思ったの。だから離婚して、係わりを断ったのよ。でも、時すでに遅し……」

「あ、うん。もう、だいたい分かった……」


 俺が学校で腫れ物扱いされていた理由。

 父が他の保護者を宗教に勧誘してたとか、そういう感じだろう。

 そりゃみんなに「関わらないでおこう」って思われるわ。

 そりゃそうだ。

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