第40話 ホットケーキ【2】


 と、せりなちゃんは再びキッチンに戻っていく。

 俺と姉さんの前に残されたのは、巨大なフライパンサイズのホットケーキ。

 ほかほか、湯気が上がっている焼きたてほやほや。

 ……でかくね?


「ふふ、ホットケーキもケーキだもんね。卒業おめでとうケーキ!」

「う、うん……」

「よーし、お姉ちゃんが切ってあげるよ〜」

「え、え? 大丈夫なのか?」


 ナイフを片手に意気揚々……不安を感じた途端に「いったい!」と姉が叫ぶ。

 愚かにも火傷した手でホットケーキを切ろうとしたようだ。ドジ。


「俺が切るよ、もう」

「うえーん」

「大人なんだからつまんない泣き真似とかやめろ」

「ひどい! 幸介が冷たい!」


 まあ、これでこそ姉さん……なんて思ってしまっているところもあるんだけども。

 ナイフを奪い取って、フォークでホットケーキを押さえながら切れ目を入れていく。

 多分ホットケーキの粉を一袋分使ったんだろう、本当に容赦なくでかい!

 四つに切り分け、小皿に姉と俺の分を置く。

 すでにバターと蜂蜜がかかっていたけれど、姉はバターを追加でのせる。


「いただきまーす!」


 そうウキウキ声を上げて、フォークで溶けたバターをすくいながらさらに一口サイズに切り分けて口に放り込む。

 食べた瞬間、ニコニコニコー! と効果音でも見えそうな満面の笑み。

 うわ、めちゃくちゃ美味しそうに食べるなぁ。

 俺も早く食べたい。

 小皿に分けた自分の分。

『卒業おめでとう』と書かれた文字の一部を見て、ふっと笑う。

 うん、俺は卒業した。

 ちゃんとした大人になりたい。

 今日はその第一歩。


「はむ」


 俺もフォークで食べられるサイズにして口にする。

 最初に口内から鼻腔に香るのはバター。

 それに絡まるように、バニラの香り。

 強すぎる二つの香りの間に、小麦粉、牛乳、卵の柔らかな匂いもした。

 次にしっとりとした生地の舌触り。

 じゅっ、と乗り込んでくるのは蜂蜜。

 そんな蜂蜜を包み込むバターの風味。

 ん? いや、負けてないな? バターめっちゃ自己主張してくるな? 強いぞ、バター。

 姉はこれにさらにバターを加えたのか!

 バター強すぎん?

 いや、美味いけど!


「え! 姉さんまだバターのせるの?」

「この塩味がいいのよ〜」

「姉さん甘党じゃないの?」

「もちろん甘いの好きだけど、ホットケーキにバターって背徳の味が堪らなく好きなの……!」


 そんなにバターばかりのせて、しょっぱくならないか?

 せりなちゃんが出してくれたのは無塩バターではなく、市販の有塩バター。

 塩分取りすぎでは?

 あ、だから背徳の味なのか。

 いやいや、背徳感が過ぎる。


「幸介ものせてみなよ〜」

「い、いいよ俺は……」


 つーかそのバターせりなちゃんちのバターだからな?

 ……あ、そういえば……先月一緒にアパート近くのスーパーに行った時、このバター買ってた気がする。

 あの時のバターかな?


「バターはまだありますよ。こっちはお父様がくれたバターなんですけど」


 と、せりなちゃんが冷蔵庫から出してきたのは見た事のないパッケージ。

 絶対高いやつだ。勘だけど、せりなちゃんちのお父さんの事を思うと確信に近い。

 姉はすぐさまそのバターに飛びつく。

 そういうとこだよ、恥じらいを持てよ、人様の家のバターだぞ。


「うわ、なにこれ美味しいっ! あんまりしょっぱくないけど、風味がすっごい! 濃厚! こんなの初めてぇ!」

「? なにそれ?」

「いや、食べてみれば分かるってば! ほら!」

「じゃ、じゃあ……」


 せりなちゃんがキッチンから新しいお皿を持ってくる。

 姉の横に座り、お皿をテーブルに置いた。

 同じくフライパンサイズの大きなホットケーキ。

 それを切り分けて小皿に分ける。

 どうやらせりなちゃんも一緒に食べるらしい。

 蜂蜜に、そのお高そうなパッケージのバターを割いてのせ、フォークで押し潰すように溶かす。

 俺も真似してお高そうなバターを、自分の小皿に残るホットケーキに切り分けのせた。

 まだ温かいのでじんわりと溶けていくバター。

 その溶けた部分をフォークで割いて、口に入れる。


「ふぉ……」


 変な声出た。

 姉の言う通りバターの風味が異常。

 なにこれすごすぎ……高いバター、高いだけある。


「北海道の牧場で作ってるバターなんだって。お父様がハマってた事があるの」

「そ、そうなんだ。すごく美味しいね」

「ね。ここの牧場、チーズも美味しいんだよ。食べる?」

「え? いや……そんな……」

「いいのー? 食べたい食べたい!」

「姉さんっ!」

「今持ってきますね!」

「せりなちゃん、姉さんを甘やかさないで!」


 止めたけど、せりなちゃんも姉さんもなんかテンションが高い。

 多分俺も高い。

 不思議だ、すごく、すごく楽しくて幸せだと思う。

 みんなで切り分けて食べるホットケーキってこんなに美味しいんだ。

 しっとりしてて、あたたかくて、甘くて、ほんの少ししょっぱくて。


「ワイン飲みたい!」

「ワインはさすがに……」

「本気にしなくていいから!」

「次回はチーズフォンデュ食べたい!」

「姉さん、なにリクエストしてんの!」

「分かりました!」

「せりなちゃん! 姉さんを甘やかさないでくれ!」


 ……まあ、けど、姉さんは甘やかしてはいけない。



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