第27話 登校日


 二月、二十八日。

 この日は登校日。

 卒業式は三月十日だが、今日はその練習と教室の掃除、私物の撤去。

 通っていた中学は三つ向こうの町。

 そこまでは電車とバスで一時間ほどかかる。

 だからいつもよりも早く起きて、中学の制服を着たあと部屋を出た。

 朝ご飯として、コンビニでおにぎりとサンドイッチ、ペットボトルのお茶を買う。

 昼の弁当として、一緒にパンを何個か買った。

 まあ、教室に私物は残ってないので実質掃除だけ。


「…………」


 でも、嫌だな。

 ああ、嫌だ。行きたくない。

 あの場所で俺は空気だ。

 誰も俺を見ないし、気にしない。

 特にいじめられている、と言うわけではないと思う。

 ただ誰も、俺に興味がないし……俺も興味がない。

 これが普通なのだろうか?

 これは普通なのだろうか?

 少なくとも俺にはそれが普通だった。

 別に目立ちたいと思わないが、引っ越した先のこの中学が苦痛で苦痛で仕方なかったのは間違いない。


「あむ」


 おにぎりをかじる。

 冷たくて、あまり美味しいと思えない。

 父親が突然消えたのは小学校五年の時だ。

 せりなちゃんと同じクラスだったのはその小五の一年間のみ。

 あの頃から俺は自己主張が苦手で、クラス委員長も押しつけられるように任された。

 他にも、掃除当番を代ったり日直を代ったり……みんな俺に「頼めば断らない」という共通の認識があったと思う。

 そりゃ、俺だって頼られているみたいで少しだけ気分が良かった。

「お前にしか頼めない」とか言われると、気持ちが高揚して、気分が良くなるものだろう?

 誰かに必要とされている気になって、ほいほい人の嫌がる事も頼まれればやっていた。

 でも、父が突然いなくなったのだ。

 母さんも姉さんもなんにも教えてくれなかった。

 俺が子どもだったからだと思う。

 今も教えてもらえてない。

 ただ「父さんがいなくなった」とだけ。

 翌年には母さんの地元であるあの町に引っ越してきて、小学校六年と中学の四年を過ごした。


 ここで、俺は空気になった。


 誰も俺を認識しない。

 目も合わない、声もかけられた事はない。

 体育の時でさえ、教師でさえ、俺を見ようとした事がない。

 無視……とは少し違うと思う。

 そう、あれは、多分──……『関わりたくない』……のだと感じた。

 誰も俺に関わりたくないのだと。

 だから、俺からも関わらないようにした。

 でも一度だけ……ああ、やめよう。思い出したくない。


「はむ……」


 そうやって関わらないようにして、関わらないようにして……そして俺が得られたものは至極真っ当な非難の言葉だけだ。

 校門をくぐると案の定、目に入れた俺を「見なかった事」にする同級生たち。

 ビニール袋を持って、空気として教室に入る。

 周りは久しぶり再会に手を叩いたり声をかけあったり、笑い合う。

 俺は廊下の一番後ろの席に座る。

 私物などなにもない。

 間もなく担任が入ってきて、教室は新たな笑い声で湧き立つ。

 まあ、なにか話してるんだろう。

 俺の耳にはなんにも入ってこないけど……。


「じゃあ、机に椅子を上げて後ろに下げろ〜。掃除するぞ〜」


 担任がそういうと、俺も立ち上がって机に椅子を載せる。

 一番後ろの席なので、さっさと下げなければいけない。

 ロッカーのある教室の後ろへと机と椅子をセットにしてから、持ち上げて運ぶ。

 それからは掃き掃除。

 今度は机を持ち上げて前へと移動させ、教室の後部も掃いてゴミを集める。

 ちりとりで取ったあとは机を元に戻す。

 それから体育館で卒業式の練習……。


「お母さんってば卒業式張り切っちゃって、着物で来るとか言っててさぁ」

「マジ? すご」

「うちは美容院予約してた」

「ウケる」

「高校の入学式もあるから、スーツ新調するとか言ってたけど、絶対太ってサイズ合わなくなったからなんだけど」

「くすくす」


 みんなそんな話を始める。

 中学の卒業式、高校の入学式。


「…………」


 俺の母は来ない。

 別に母と仲が悪いわけではない。……と、思う。

 ただ、今は再婚相手と一緒にいるから……俺が来ないで欲しいと思ってる。

 父がいなくなったのは、本当に蒸発したからなのだろうか?

 記憶の中の父は別に酒もタバコもギャンブルも浮気もしていなかった。

 家にいる頻度で言えば、まさしく『寄りつかない』という感じだったと思う。

 遊んでもらった記憶や、家族全員でどこか旅行に行ったり、一緒に食事をした回数も覚えてない。

 まあ、そのぐらい……父は家にいなかった。

 その上、母もパートで夜遅くまでいなかったので……多分家計は厳しかったのだと思う。

 家に寄りつかなかった父は仕事で忙しかった、と聞かされていたけど……本当なのだろうか。

 今思えば変な点しかない。

 親戚もみんな、俺たち姉弟を腫物でも扱うかのようによそよそしく……それはこの中学でも変わらず。

 なんなのだろう。

 なんでなんだろう。

 誰も教えてくれない。

 そして、俺はそれを知ろうともしてない。

 多分、それがダメなんだろうと思う。


「卒業生、入場!」


 これは本番ではない。

 卒業式本番は三月十日。

 十日後だ。

 十日後、俺はまたこの場所に来る。

 多分、また、一人で。


 あーあ……。


(早く帰りたい)



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