第28話 ローストビーフ【1】


 一時間かけてアパートに戻り、制服を脱いでからスウェットを着る。

 この安堵感。

 もうここが『家』なんだなぁ、と思う。


 ピンポーン。


 部屋のチャイムが鳴る。

 ドキッとしたのと同時に、心が跳ね、踊った。

 再会してから毎日、彼女は俺に「お裾分け」に来る。

 毎日、欠かさず。

 インフルで寝込んだ時は……「お裾分け」ではなく「差し入れ」だったけど。

 立ち上がって綻びそうになる顔を両手で叩き、謎の気合を入れてから立ち上がる。


「は、はい」

「あ、あの、コウくん、ご飯食べた? あのねあのね、今日はローストビーフに挑戦してみたの!」

「…………」


 扉を開けて第一声。

 なんかすごいの持ってきたな!?

 タッパーの中には赤い肉と、ソース?


「これ、普通のやつ! で、こっちはご飯の上にのせて食べてみて! さっき味見したら結構いけたと思うの! ……まあ、その、結構大きなお肉買って使ったから……あの、まだ余ってて……よ、良かったら明日の朝の分ももらってくれないかな……?」

「えぅお……!?」


 そしてもう一つのタッパーを差し出してきた。

 か、かなりの量の肉が入っている。

 いわく、こちらは味が違うソースに漬け込まれている、らしい。

 いや、待て、いつもありがたいと思ってるんだけど今日のこの肉の量は凄まじくないか?

 買ったって……。


「ど、どんなお肉使ったの?」

「えーと……に、二キロ……」

「い、一度に使ったの!?」

「レシピ本には大きなお肉が使われていたから……このくらい必要なのかと思って……!」


 だとしても二キロの牛肉っていくら!?

 色々吹っ飛んだよ!

 一キロのお肉……しかも牛肉でローストビーフ……ふおぉ……なにそれ贅沢がすぎる。

 二キロの牛肉って安くても四〜五千円するよな?

 海外牛だとしても、最低限そんくらいはするはずだよな?

 ローストビーフ用のブロック牛肉とかスーパーで見た事ないけど、部位や品種によっては……ううううう、考えるのも恐ろしい!

 落ち込んでいた気持ちもどこへやら。

 今はひたすらにせりなちゃんの金銭感覚が気になる。

 だって二キロ……牛肉で二キロって……ヒェ。

 絶対普通のスーパーで売ってないだろこれ。

 どこで買ってきたんだよ!


「それに、お父様が食べたいって送ってきてくれたし……」

「あ、そうなの?」

「うん、なんか黒毛和牛のもも肉って書いてあった」


 それ、軽く一〜二万円は超えてません?

 それを、一気にお使いに?

 和牛? 和牛って言った?

 海外牛じゃなく和牛?

 WA・GYU・U?


「……せ、せりなちゃん、あのさ……余計なお世話かもしれないけど……金銭感覚ズレてると思うよ……」

「ふぁ!?」

「あ、あのね……」



 〜かくかくしかじか〜



「そ、そうなんだ……。お父様が送ってきたお肉だから、多分お高いんだろうなぁとは、思ってたけど……」

「う、うん、まあ、それは確かに……実際の値段とはかは分からないと思うけどね」


 そういえばせりなちゃんの料理の練習材料費は、せりなちゃんのお父さんが出してくれているんだっけ。

 ……ブラックカードで。

 どちらかというとせりなちゃんのお父さんの方が金銭感覚おかしそう。


「確かに山盛りすぎて正直コウくんとわたしだけでは食べきれない気がしてるの……」

「お、お父さんに送ってあげたらいいんじゃないかな? 食べたがってたの、お父さんなんだよね?」

「うん、さっきお父様の部下の人と、お兄ちゃんにも送ったんだけどそれでもまだ余ってる……」

「…………」


 確実な作りすぎ……!


「ね、姉さんや長谷部さんが帰ってきたら、聞いてみようか?」

「う、うん……早く食べないと悪くなっちゃうもんね……」


 二キロは……うん。


「……切って、別なものに出来ないかな?」

「ローストビーフを?」

「うん、牛丼とか」


 でも牛丼って多分柔らかい部位で作るよな?

 牛もも肉って、他にどんなものを作るんだろう?


「ちょっと待ってて」

「?」

「えーと……」


 スマホで検索すれば一発だ。

 なになに……へえ、結構いろんなレシピがあるんだな〜。


「ステーキとか、ビーフシチューとか、ワイン煮込みとか……」


 ワイン煮込みは未成年にはダメかな?

 いや、アリ?

 どうなんだろう?


「ビーフシチュー?」

「っ!」


 俺のスマホを覗き込むようにせりなちゃんが……せりなちゃんの顔が!

 ち、ち、近い! 近い、これまでで一番!

 髪の毛からいい匂いする! ひえぇっ!


「わあ、ほんとだ! 美味しそうだね! まだ全部切り分けてないから、ビーフシチューにしようかな? 明日作ってみるね! ……あ……」

「…………」


 上を見上げたせりなちゃん。

 目が、合う。


「「…………」」


 かぁぁぁ、と顔が熱くなる。

 せりなちゃんの顔も心なしか、赤くなっていく。

 い、いや、まだ肌寒いのに、長く玄関先で話しすぎたから、冷えてしまったの、かも。

 鼻先の赤みは間違いなく寒さからのものだと思うし……あ、いや、うん、近い……鼻先、触れそうな……。


「ごめんね! アドバイスありがとう!」

「いやいやいやこちらこそ! あぁぁありがたく食べさせてもらうね!」

「うん!」

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