第14話 一緒に作ろう【1】


 せりなちゃんが引っ越してきて一週間が経った。

 カレンダー上、今日は二月十日。


「……思ってない。思ってない」


 四日後、バレンタインだなー……とか、思ってません。断じて。


「……バレンタインといえば、姉さんどうするんだろう?」


 長谷部さんに、チョコあげるのかな?

 正直、姉さんの店は平日水曜日しか休みがない。

 金曜日は早番遅番どっちからしいけど、長谷部さんは公務員なので平日昼間はいないのだ。

 俺が出会したのは初日のあの日以外だと朝のゴミ出しの時くらい。

 ……うんまあ、ゴミを出す日やゴミの分別とかも丁寧に教えてくれて……いい人である事は間違いないんだが……。

 話していて、少し怖いく感じる時がある。

 それは、多分……あの人が本当に裏表なく『いい人』だからなんだろう。

 自分で言うのもなんだけど、俺は結構根暗でへたれだ。

 自己肯定感はあまりない。

 虐められるのが嫌で、出来るだけ目立たず、波風を立てないように人の嫌がる仕事を買って出ては『いい人』になろうとする。

 でも、結局のところ本当の『いい人』に俺はなれないのだ。

 だから、長谷部さんみたいな本物の『いい人』を見ると怖くなる。

 大学に行けるくらいお金があって、教員免許を取れるくらい頭が良くて、不審者から姉さんを守れるくらい勇敢さと力がある人。

 俺にはないものを全部持ってる人。

 姉さんが好きになるのも無理はないイケメンぶり。


「かっこわる……」


 俺は、嫉妬しているのだ。

 でも、じゃあ、俺はあの人のようになるための努力をしたのだろうか?

 答えは『していない』だ。

 だから本当は嫉妬する事そのものが愚かしい。


 ──『はあ? 努力もしないで嫉妬とかしてんじゃねーよ』


 その通りだ。

 その通りすぎる。

 ちゃんと努力して、同じ土俵に立ってから嫉妬はすべきなんだ。

 だから俺はダメなんだ。

 ダメだったんだ。

 努力出来ないやつだったから。

 膝を抱えて考えて、言いようもないイライラに頭を抱えた。

 こんな感情に振り回されている場合ではない。

 俺は早く大人にならなければいけないんだ。

 母さんの再婚相手の施しで生かされるのは、嫌だ。


 ああ…… ま ず い ……。


 心がどんどん落ちていく。

 最近あまり陥る事がなかった、強い焦燥感。

 中学の先生は『思春期』と片付けていたけれど、この心の中がどろどろに黒く塗り替えられていく感覚も『思春期』なんだろうか?

 焦って、焦って、苛立って……なんのために生きているのか、どうしてここに生まれてきたのかとか、そんな柄にもなく哲学な事を考える。

 あと一ヶ月もすれば卒業式に出るために地元に帰らなきゃいけない。

 帰りたくない。

 帰りたくない……。


「かえりたくない……」


 あんな場所へは帰りたくない。

 頭が、痛む。


 ピンポーン。


 ビクッと肩が跳ねた。

 まだ朝の十時……誰だろう、と思いながらも出るのを躊躇っていると……。


「コウ〜? 幸介〜? 寝てるの〜? お姉ちゃんだけど〜」

「…………」


 ちょっとだけ気持ちが落ち込んでいたから、頭をガリガリ乱暴に掻いて立ち上がる。

 気分が悪いから帰ってもらおうかな、と少し考えつつ扉を開けると、ビニール袋を目の前に突きつけられた。


「隣の部屋から甘ーいチョコの匂いがするわよ〜」

「っ!?」

「ま、だとしてもちょっと早いよね。バレンタイン明々後日だもんね。試作品かな?」

「ね、姉さんっ! 変な事言うなよぉっ」

「あら〜、バレンタインの話は『変な事』じゃないわよ。行事じゃない、ただの!」


 ニヤニヤ笑いながら部屋に押し入ってくる。

 ぐ、ぐぬぬ……。


「でも私の場合そうじゃないの」

「?」

「バレンタイン……姉さんは長谷部さんに告白しようと思います……!」

「! マ、マジ? 勝算あるの?」

「ない! でも、こういうのって伝えたもの勝ちだと思うのよ。長谷部さん、めちゃくちゃかっこいいから!」

「まあ、確かに……」


 長谷部さんが相手だと、それもそうだと納得してしまう。

 という事は、姉の袋の中身はチョコレートだろうか?

 すたこらと簡易キッチンへと移動した姉が、調理台の上に出してきたのは板チョコだ。

 コンビニで九十九円とかで売ってるやつ。

 それが、五枚。


「……少なくない?」

「練習だから、いいのよ」

「え? 待って? 俺の部屋でやるの? 自分の部屋でやれば?」

「…………い、五日分の洗い物が、溜まってる……」

「洗えよ」


 洗えよ。


「そこで!」

「!?」

「コウにお願いがあります。お皿洗いのアルバイト、三千円でどうかな?」

「やる」


 三千円。欲しい。やる。


「「ん」」


 ガシィ!

 と、手を組み、交渉は成立。

 俺は姉の部屋へと向かった。

 万が一の事を考えて、姉の部屋のロック番号は教えてもらっている。

 そこで目にした、凄惨なる現場。


「汚ったね!?」


 カーテン閉めっぱなし、服脱ぎっぱなし、皿洗わず置きっぱなし、ゴミ溜めっぱなしetc……!

 いや、うん、あの、まずさ……ここ、二十代前半の、女の部屋? 嘘でしょ? 嘘だろ? 誰か嘘だと言ってくれ……!


「…………やろう」


 俺のバイトは皿洗い。

 だが、我が姉の情けなさにせめてカーテンは開ける事にした。

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