〇に引かれて善光寺参りな日 ③-2-3

衣食足りて礼節を知るという言葉がある。


衣服や食糧がない生活困窮者は礼節など無視して感情のまま暴れたい放題で日々過ごしているよというような意味である。


礼節というのはつまりコミュニケーション能力だ。対人スキルの類である。


コミュニケーションというのは、今ある生活基盤を発展させ富の余剰を作りだそうという科学的行動理念によって行われるものだ。


それは逆説的に、単一目的に対する科学的行動理念に過ぎないともいえる。


人間何を置いても最初に必要なのは食べ物だ。私の場合、この点は害獣を狩ることでクリアできている。最悪害獣を狩らなくとも飲食物は通販で入手が可能だ。


服も通販で手に入る。イーコマースアプリサバンナを介したウィルマート経由で大抵のものは手に入る。銃だって弾薬だって取り寄せられる。


つまり。


ぶっちゃけ私に礼節は必要ない。


何故なら私の生活は既に完結しているから。


私はもう前の世界で十分に頑張った。腹が立つ事とか理不尽な事とか色々あったけど、それを誰かにぶつけることなくすべて飲み込み抱え込んでひたすら耐えてきた。女どもの傲慢な態度にも反撃することなく、上司の感情論にも異を唱えず、職場で発生したいじめによって私の業務は何度も邪魔されて滞ったけれど、それでも私は謝り続け頭を下げ続け仕事にしがみついて為すべきことの完遂に努めてきた。


黙々と、口を開かずに、口は禍の元でしかないから私はただただ自分の出来る事だけをやってきた。けれど目立たないようにイベントごとから逃げれば今度はそれをネタに、ないし飲み会に出ないことを理由にいじめが湧きたつというエンドレスゲーム。


目立とうが目立つまいが私の人生はルナティックモード。


どんな言葉を使えば正解だったのだろう。


わからない。人の気持ちなんてわからない。


傷つけられたくはないが、それ以上に誰も傷つけたくない。


誰にも嫌われたくない。


仕事場で業務以外のコミュニケーションを求められても困る。


会社員に意思など必要ない。私は歯車だ。金を稼ぎに来ているのだ。お前たちは違うのか。金は信用であり、金を稼ぐことだけが社会で信用を得られる唯一にして無二の行動で、それを成すのが社会人というものだ。そう思うようにしてきた。


金という概念はとてもよくできている。信用という精神的認識を金というツールはとても具体的に人に示す。どんな催事でも金さえ送っておけば相手は嫌な顔をしない。信用を得るという事は群れで生きる人間にとってとても重要な要因だからだ。


私には人の心なんかわからない。


だから折を見て金を使う、金を贈る。金をくれたり使ってくれる人は誰からもいい人だと認識されることを私は知っているからだ。少なくとも人は自分にとって利益のあると思える存在を無碍にはしない。金があるうちは縁は切れない。それは社会の不文律だ。


―― 「待って! 貴方には褒美を――」 ――


私は姫の最後の言葉を思い出す。


――褒美って、なんだよ……。


今にして思えば、私は会社の人間に対しては一切金を使わなかった。それがいけなかったのかもしれない。


歩くセクハラの風評も、うまく贈り物が出来れば起きなかったのかな。


上司にもお中元やらお歳暮やら送っておけば庇ってもらえたのかな。


同僚も驕りで飲みに誘えば助けてくれたのかもしれない。


「間違っていたのは私か。ありがとうございますじゃなく褒美。……金銭を差し出すのが正解だったのかもしれないな」


卑屈な人間の「ありがとう」に価値はない。見下している人間の感謝に感動する人間はいない。


姫のほうが正しいのだろう。今に至ってはもう試すことは不可能だが。いや、もしこの世界で死んで元の世界に再び送り返されるなんてことになったら試してみよう。


私は親戚からはすこぶる評判が良い。地元に帰れば友人も私を歓迎してくれる。だがそれは私がその群れで育ったからだったのだ。異なるコミュニティでは通用しない。金を吐き出さない私に、利益にならない私に存在価値はない。ならば私は都合のいい人でいい。その認識でいい。


嫌われるよりは。


憎まれるよりは。


この世界に来られて私は救われたと感じている。解放されたと感じている。


この世界での日々の生活は命のやり取りだ。魔物に銃をぶっ放すお仕事。来たばかりの時はよくちびりかけたものだ。だが今は、本当に、神様には感謝しかない。


私はこの世界で、極力人にかかわらないで過ごしたい。この世界で初めて生きていきたいと思えたから。生きる喜びを取り戻せそうな気がするから。


だから同じ失敗をしたくない。女との接触など断固拒否の構えである。


――だのに、いきなりのこの体たらく。


心の弱さにまかせて早速女を家まで送るというお節介をしてしまった自分が情けない。


それもこれも何処の誰だか名前すら知らないおっさんのせいだ。私を偽善に走らせたのは。


あの自分の命を懸けてでも守りたいと願った恐ろしく強い瞳。


それを見たら断れなかったのだ。


極めて愚かな行為だった。誤解を招きかねない危険な行為だった。


家に帰ってきた私の最初の行動は布団にもぐっての自己嫌悪。


偽善ティックサイクロンのダメージにもんどりうつ時間。さすがはクラウザーの超必殺技、かなり効く。


馬鹿馬鹿私の馬鹿。

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