四十五歳の地図 序-2

私が住んでいるのは四階建てのビルだ。


一階は日本食レストランになっていて、私が取る食事類は専用エレベーターで三階に住む私の元に届けられる。


四階は倉庫になっており、ネットで注文した品がドローンで屋上に持ち込まれると自動的に運び込まれる仕様だ。


引きこもりのために設計されたかのような至れり尽くせりの住環境。すべて私の発明ノートのアイディアを元に設計された成果物。今ではInternet of Thingsという概念が定着しつつあるが、私が帰国した時の日本では時代にそぐわず誰も話を聞いてくれなかった。


学生時代、私は世の中のすべてを自動化するためにここで様々なガジェットを作った。あの時から私は人と物の間、ないし物同士間を通信でやりとりさせそれを制御することこそ新時代生活の基盤になると考えていた。


その夢の残滓が、今やニートの生活補助機構へと成り下がっているのだから滑稽だ。


これらは明らかに私のような存在には過ぎた施設。私のような社会のごみがこんな素晴らしい環境で生かされ続けるなど資源の無駄遣いでしかない。


わかっているのだ。私のようなゴミは淘汰されねばならないことなど。生きていてはいけないことなど。


わかってはいるが、しかし、死にたくもない。だからと言って自殺することも出来はしない。


命が惜しい。いじめを受けるようなクズなのに。手を差し伸べる価値のないゴミなのに。社会に何ら貢献しない穀潰しなのに。


だから、ならばせめて、少しでも早く人間としての機能を取り戻さなければと私は思う。


生きたいのなら、それを許される働きをしなければならない。


施設が素晴らしいのなら、それを使うに値する人間になればいい。


底辺から浮上し、ふさわしさを、釣り合いを、取るしかない。


その決意が、私のリハビリ欲を後押ししていた。



◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆



私のリハビリの始まりは介護ロボットとともに家の周りを散歩することだった。


だった、と過去形なのは、今ではそれができなくなってしまったからだ。


理由は小人十九病コロナという謎の疫病が世界中に広がりだしたためである。


そのため私は外出を自粛せざるを得なくなり、また家でぼんやりする時間を増やしてしまっていた。


勿論すぐに努力を放棄したわけではない。暇を持て余さぬよう家でできるリハビリを私なりに色々考え挑戦した。だがどれもうまくいかなかったのだ。


読書をすれば文字酔いで吐いてしまう。


音楽を聴けば音が頭を滑る。


映像も同じように目を滑っていく。


病気が進んでいたのだろう。その頃の私には、今までやれたことがすべてできなくなっていた。


それでも私は諦めなかった。ならば――普段やらないことをしてみるのはどうか。そういう行動のほうが脳への刺激となるかもしれない――と、私は今までしたことのない行動をとるよう試みた。


例えば飲酒。


駄目だった。してみたが吐いた。


気持ち悪くなり横になったところまでは覚えていたが、次に意識が覚醒した時には暦が数日進んでいた。


誰だ酒が百薬の長などとのたまったのは。とんだ毒物ではないか。


喫煙の結果も惨憺たるものだ。何度試しても気持ち悪くなるばかり。その後しばらく幻覚ならぬ幻臭に悩まされた。何度歯を磨いたか知れない。


困った。昭和の時代の遊びは女酒タバコだとよく聞いたのだがまるで楽しくない。何が「しない奴は人生を損している」だ。こんな拷問が楽しいなど生粋の修行僧かマゾヒストか。


いや待て。ここで結論を述べるのは早急だ。まだ女が残っている。


だが商売女は呼べなかった。今の私の体調や精神状態で、生きている異性を相手にするなど破滅を望むに等しい。絶対に無理だ。リハビリどころか再起不能になる予感しかしない。私は死を望んでいるわけではないのだから。


しかしながら、そうとはいえ、ここまできて、最後の一つを残したままで昭和のメソッドを非難しすべてを放り投げてしまってもいいのか。挫折していいのか。


――私は――私はどうすれば――。


苦難を前にすべてを諦めかけた時。私の良心が囁いた。――ここで挑戦から逃げて、その先に輝かしい未来があるのですか? ――と。


諦めは弱い自分をいたわるだけの情けない行為。若者は挑戦から逃げるな。聞こえてくる団塊世代の主張。理不尽な激。先人たちの挽歌ハラスメント


私は苦悩する。私は弱い自分との戦いを強いられる。脳がヘタるまでの少ない時間だが、何回も。


そうしてとうとう、私は折衷案に辿り着く――であれば、オリエンス工業のドールならばどうか、と。


時間のかかった決断だった。しかしこれでようやく私は、結果がどうなるにせよ一区切りつけられると思った――のだが。


そんな大決断にすら、運命という奴は無情にも試練を差し込んでくる。


結論から言えば、私はそれを試せなかった。


なけなしの勇気を総動員し断腸の思いでソレを購入してみたものの、注文翌日に返ってきたのは「発送日は未定」という無慈悲なメールであった。


受注生産のためか順番待ちが発生しているのかは知らないが、私のギリギリ相手にできそうな【女】は、試せそうになくなった。


――女酒タバコ……あと聞いたことのあるメソッドは……。


肩透かしを受けた私が失意の元に昭和を思い浮かべ、ぼんやりと思い出したのは――ギャンブル。


勝っても得られるものは金しかない。しかも勝てば勝つほど課税される税額は上がり、払い戻しよりも徴収される税のせいでかえって貧乏になっていくという何処にメリットがあるかわからないのに人を熱狂させてしまう悪魔のシステム。


ギャンブルには最初は懐疑的だった。そんなもので本当に人は頑張れるのだろうか。心のリハビリになるのだろうかと。だが次の瞬間ふと、試しても損はないことに気が付いた。


負けても失うものは金だけ。つまりそれはただの経費。


そこからは即行動である。


まず手を出したのは競馬競艇競輪。


結論から言うと、すべてダメだった。


どれを買えばいいのかということを考えているうちに意識が途絶えてしまう。考えているうちに思考力がなくなっていく。


その後襲ってくるのは強烈な倦怠感と吐き気。眩暈もしばしば。どうやら深い思考を必要とする行動全般が私には無理なようだった。


ならば、と、次は宝くじを買うことにした。


ギャンブルで思いつくのはもうそれしか残っていなかった。


買ったのは6つの数字を選んで購入する宝くじ「メガミリオンズ」というお手軽価格のくじ。


これは簡単だった。買えばいいだけだった。


とうとう、私は無事ギャンブルをした。あとは結果を待てばいいだけ。私は目標を達成した。


私は確かにやり遂げた。


が。


得られた満足は、翌日にはもう綺麗になくなっていた。


期待していた当選発表日までのドキドキなど微塵も湧かなかった。


そこでようやく、私は無理やり始めた昨日以前の行動が何ら意味のないものであったのだと理解する。知識だけでなく、身をもって、思い知ったのだ。


私はギャンブルをやめた。

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