四十五歳の地図 序-3
それからというもの、私はただただ無為な時間を積み重ねた。
とうとうベッドから起き上がることすらできなくなった私は、介護ロボットの世話になりっぱなしの日々へと突入していた。
筋力が衰えていくせいか、日に日に動くのが億劫になり、億劫で動かずにいると筋力が衰えて動かせなくなっていく。まさに負のスパイラルだ。
身体が衰えると気力も引っ張られて衰えていくのか、いつの間にか何かをしようという意思すら起きなくなり、思考力もなくなっていった。
そんな人生の終焉に立った私の元に――数奇な運命が訪れたのは何の因果なのか。
そろそろ死ぬのではなかろうかと思うことさえなくなっていたくらいの時期である。
宝くじが当たった。
ただ買うだけ、という技術も努力もなんら関係ない行動で、私は一夜にして15億ドル以上を持つ億万長者になってしまった──。
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預金通帳の残高は日本円でおよそ二千億円。
とうとう死んで夢の世界に来てしまった、というわけではない。
寝て起きたら夢だったという話はよくあるし、案外自分はまだ眠っているのではないかとも思ったが、どうも現実らしかった。
だからなのか。私は自分自身のことがよくわからなくなっていた。
理屈で考えれば絶対に嬉しいはずだ。
だが私の心は、何故か震えなかった。
私は感動しないタイプの人間では決してない。こんな私でも過去人生で嬉しいと感じた瞬間はそれなりにあった。嬉しさに震え興奮したことだって人並みにあった。心が震えた瞬間を思い出として人並みに脳に刻んできた人間である。
だが今回、私はそれを感じることができなかった。
その時感じた気持ちを例えるなら――砂を噛んでいるような。
他人事とは思わないまでも。沸いたのはただ部屋の荷物が増えた程度の感慨。
私は45歳。
黙々とわき目も振らず働いてきた。
人は私を無能と呼び、同僚にはお前のようにはなりたくないと罵られてもきた。
ジャンク夜食に炭酸飲料、健康度外視の外食三昧に明け暮れブクブク肥え太った私。
頭は四十からハゲはじめ、今ではハゲ散らかしている始末。
その顛末が今のニート生活なわけだが、本当ならそれでも四十代は働き盛りだ。
「この先約35~40年、気が遠くなるような年月だけどしっかり働いていかねば」となる年頃だ。
そんな中年の元に突然二千億円もの大金が降って湧いたら。
人生の大逆転劇。古今東西にある物語の中でもわりと王道に近いのではなかろうか。ジャンルはどうしても三流喜劇になってしまうだろうが。
でも、だからこそ、嬉しくなるはずなのだ。
何でも買える。何でもできる。
人生の喜びを謳歌するための手段が整った今、それを喜ばない理由はない。そう理屈ではわかっている。
なのに何故。私の体は反応しないのか。
私が獲得したのは【すべての労働を免除しただ生きることを許す免罪符】だ。血湧き肉躍る興奮で暴れだしても仕方がないくらいな状況のはずなのに。
「あぅ……ぁ……ぅぁ……」
そう思った時、ふと。
あぁなるほどそういうことかと。
私は嬉しくなかった理由を理解し得心した――もしもこの免罪符が、健康を保障する不老不死の切符だったならば、話は違っていただろうな、と。
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壁に掛けられたコンピューターの画面に映った銀行口座の残高から目をそらし、私は視線入力でロボットにカーテンを開けさせる命令を出す。
朝日を拝んで夢から覚めよう。
降って湧いた大金をどう使うかなどという面倒ごとを処理できる能力は、今の私にはない。
使わないのなら――休眠口座となって残高ごと消え去るくらいなら――寄付したほうが世のためだとは思うが、その労力を捻出することが今の私にはできない。
――申し訳ないね、世界。私は偽善すらできないようだ。
技術革新による新しい世界に寄与できなかった後悔が私の心にふつふつと湧いてくる。
その気持ちから目をそらすように、私は何気なく外へと目を向けた。
「――? ……?? ……はぇ?」
病気のせいで興奮しないはずの私が、気が付くと息を呑んでいた。
カーテンの向こう側の世界を見た私は凍り付いていた。
窓の向こうに見えるのは、一面の砂漠。
何一つ建物の存在しない、誰一人として外を歩いていない無機質な絵画のような光景。
いつの間にか。世界が滅んでいた。
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