無かったことにしたい日 ⑥-3-1

エルフと言えば世間ではどんなイメージを持つだろう。


エルフとは、ゲルマン神話に出てくる妖精である。北欧神話における彼らはとても美しく若々しい外見を持つ妖精で、自然と豊かさを司る彼らは普段は森や泉に住んでいる。


私的には、エルフと言われてまず頭に思い浮かべるのはJ・R・R・トールキンのエルフである。『指輪物語』のエルフ像こそ現代におけるエルフイメージの原点にして頂点。トールキンのファンタジー小説によってエルフは北欧圏の妖精一択イメージから半神的な特徴を持つ【人】というイメージを獲得した。


人間ほどの背丈で長く尖った耳をしているという特徴を与えられたエルフには老衰による死が無く、ないし非常に長い寿命を与えられている。ただしこの設定は、繁殖力の弱さゆえに種として数を増やしにくく徐々に衰退していくという運命とトレードオフだ。


それでも彼らは個としてなら人間より強い。指輪物語に登場するエルフが身体能力が高く知識に富み魔法を使ったことからそれらの能力もエルフというイメージに組み込まれたからだ。


そうなってくるとこのエルフという存在、いよいよややこしいひずみによって概念がたわみ始める。


ゲルマン神話のエルフは妖精だった。だが近代エルフは人である。それも優れた人なのだ。


この場合の優れたという形容は強者と置き換えてもよいものだ。そして強者は、優れているがゆえに弱者の気持ちを実感する機会がない。難問を簡単に解決できる力を持っている(優れている)からだ。


個として強い人間には弱者の気持ちなどわからないとはいつの世にもある話で、例えば風邪をひかない奴には病弱な奴の気持ちなどわからない。弱い者には努力不足だと、苦痛を訴える者には大袈裟ないし我慢が足りないと、成果を出せない者には怠惰だからだと強者は言い、考え、反論を切り捨てる。いずれも理解できない事、すなわち他人事だからだ。


加えて人間には相手が自分に近い存在と認識すればするほど自分と同じだと考える傾向がある。自分はやればできるから、同じことをできない者は努力をしない怠け者だと思ってしまう。アイツらもやればできるのにやらないだけでサボっていると考えてしまう。自分は努力して頑張って成果を出しているのに、サボって成果を出さない輩ができない理由を唱えながら自己を正当化するのは見ていて腹立たしい。できないならできるまでやればいいだけなのに。できないと勝手に自分で限界を作って諦めているだけなのに。


その仕組みに不思議はない。強者であっても人間だから、ということだ。


他人事という点にフォーカスするなら、同じ人間というくくりの男女という違いでも不自由な行き違いは起こる。


例えば生理。男には女の生理痛やそれにまつわる苦しさなど想像もできない。しかし男は同じ職場に女がいてその女が生理痛で休むと聞けば少なからず思うところがある男の方が多いだろう。


生理だから腹が痛いなど甘えでしかないと。体調管理ができていないだけではないかと。病院に行って薬をもらうなりして対処すればいいではないかと。


女性には何が生理休暇だ甘えるなと。心の病を患う者に対しては何がうつ病だ甘えるなと。弱者には何ができませんだ甘えるなと。できなかったのが犬や猫ならば腹は立たないが人間には腹がたつ。人間なのにと。同じ生き物なのにと。


できない者たちは全て卑怯な愚か者だとできる者たちはそう考える。そうとしか考えない。そうとしか考えられない。できる者たちにとってできるのは当たり前のことだからだ。


トールキンによって人の形を与えられたエルフは、人よりも個として優れているという設定を与えられたエルフは、能力の劣る設定を与えられた人間をどう見るのが自然だろうか。容姿の劣る設定の人型をどう思って見るのが自然だろうか。


自分たちより能力の低い人間が野蛮なことをしたり愚かなことをするのは仕方がないことだと理解し考えてくれるエルフ。人間のことを理解し無条件で愛してくれる優しいエルフ。そんなエルフがいてもいい。そんなエルフにいて欲しい。でも今挙げた理想のエルフは多分、人ではない。人の形をしていない。


私は目の前のエルフに会うまでは、そんな部分的に都合よく変質した人ならざるエルフを信じていた。だってそれがファンタジーだと私は思うから。


弱者は強者に跪けという姿勢はリアルだ。昭和以前の男尊女卑のような「女は男に依存しなければ生きていけない何故ならば弱者だから」といった思考パターンもファンタジーではあるが、それに通ずる自然さが目の前のエルフにはある。


人を見下すエルフが悪いのだろうか。


能力の低い人間が悪いのだろうか。


文明が未熟で教育が行き届いていない世界という舞台がいけないのだろうか。


ファンタジー世界の文明は大抵未発達だ。だがファンタジーものでそこを外すことはできない。何もかもが理屈で説明されている世界にふわっとした幻想が入り込む余地はないし、なにより超先進文明世界を書いても読者がついてこられない。物語の中に5Gが出てきてビームフォーミングの説明なんか始まったらそっ閉じ待った無し良くて読み飛ばされるだけだ。そういうのを読むのは一部のSF好きだけでSF好きは大抵SF小説を書くからSFを読むみたいなやつらばかりだ。一般読者は「ちょっと何言ってるかわかんない」としか思わないしそう思った瞬間に本をそっと棚に戻す。


つまりエルフの性格が悪いのはエルフのせいではないという事だ。


だから私は突然やってきたキチ害女エルフを助命することにした。


「コスギ殿……わかったであります。その優しさは仇になることの方が多いと思うでありますが、そういえば私もそれに助けられたのでありました」


「ご理解いただけて何よりです」


「でも襲ってきた戦士は殺したままでいいでありますよね」


「殺したのですか?」


「心臓は動いていないと思うでありますよ。もう一回電撃を当てれば動くかもしれないでありますが」


「ではもう一度電撃をお願いします」


「コスギ殿……わかったであります」


蜥蜴幼女はさっきの奴をもう一回やった。


男性エルフたちの身体が電気ショックでビクンと大きく跳ねる。


――なんだっけこれ。みたことあるな。AGAだっけ?


と記憶を探る私はすぐに間違いに気が付く。違う、それは薄毛治療だ、AEDだ思い出した。くそ。気分悪。


「えぇと、そこのエルフさん。追ってきたら次はどうなるかわかりませんので、できれば私達のことは追わないでください。お願いしますね」


コクコクと細かく何度も頷く生理用品。それを確認し私は会釈する。


「では失礼します」


こうして今度こそ、私たちはその場を後にした。


ああもう無駄に疲れた。エルフに期待して損したわ。エルフの集落に行くのはやめだな。無かったことにしたい。

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