#3
「初めまして。私はリゼリー。ただの『リゼ』です。」
名乗ってきた少女――リゼリーは自分は何者でもないと同時に主張した。
それを簡単に信じていい理由はどこにもないが、相手から身分など何も纏わずただ
個人を表す名前が知りたいと言われているようで素直に返す。
「クラウスだ。その…ただの旅人の。」
なんだかぎこちなくなってしまった挨拶に居心地が悪くなってリゼリーから視線を
反らすと、彼女が小さくくすりと笑ったのがわかる。
それから視界の端でリゼリーがどこかへ駆けていくのが見えて急ぎ視線を戻せば
こちらへ手を招いて呼ぶ姿が映った。
「クラウス!こっちへ来て!見せたいものがあるの。」
「俺に…?ああ、わかった。」
誘われるまま、クラウスはリゼリーの待つ少し小高い丘に登る。
そして彼女が指し示す方へ顔を向ければ丘のすぐ下で月明りとは違う発光する何かが
見えて目を凝らす。
湖の底で淡く青白い光を放つ何か。
「あれは月の明かりを吸収して光る不思議な石なの。今日みたいに天気が良くて
月が大きく出ている日じゃないと見られない、とっても貴重な石。」
「石が光を吸収して発光するだって…?初めて聞いた。」
「でしょう?この国でも私以外には妹しか知らないのよ。あ…でも、今日はクラウス
が仲間入りしたかな。」
どこか嬉しそうに語るリゼリーに先程まで感じていた苛立ちも忘れていつの間にか
無意識にクラウスは微笑んでいた。
しばらく並んで石の光る様子を眺めていた後、ふと夜風が冷えてきたのを感じて
クラウスは薄着なリゼリーに着ていたローブをかけてやる。
女性は体が冷えやすいと同時にあまり冷えをため込んではいけないとよく母親が
言っていたことを思い出したのだ。
リゼリーは少し驚いたように自分を見上げていたがすぐに笑みで顔を綻ばせ俯き
がちに礼を口にする。
「ありがとう。クラウスは…優しい人なのね。私てっきり…ううん。ここに人が
来るのはとっても久しぶり。久しぶりだから、嬉しいな。」
「リゼはずっとここに一人で?」
「うん。仕方のないことなんだけどね。私が皆の前に出て行ったら、皆がびっくり
して怖がってしまうから。」
「何故そう言い切れる。リゼは俺が見てきた女性の中で一番綺麗だ。」
「あ、ありがとう…。あのね。今から言うことは絶対に秘密よ。絶対に、誰にも
言わないでね。私…今のルーナ王国の国王夫妻の娘なの。」
聞いてクラウスは一番初めに『なるほど。』と思って出会って最初の慣れたお辞儀に
納得してから、次に浮かんだ疑問は明らかなる容姿の違い。
実は幼少期に何度か両親と共にルーナ王国へ訪問した記憶があり、その時に見た
国王夫妻はどちらも白銀の髪ではなかった。
自分の記憶が正しければ国王は黒髪でその妃はこげ茶の髪だったはず。
そして思いの外あっさりと自身の立場を告白してしまったリゼリーにクラウスは
危機感を抱く。
もしも自分が旅人を装った暗殺者なら彼女はどうするのだろうか。
「本当よ。腹違いの娘とかじゃなくて、本当にそうなの。でも…全く違う容姿なのに
そう言ってしまったら、誰だって驚くし信じられないでしょ?」
「まあ…確かに。しかしそれが理由でこんな場所で一人でいるのはおかしくないか。
せめて侍女の数人…それと警備態勢も悪い。」
「そ、それはたまたまなの。今日は王城で大きなパーティがあって、外からたくさん
お客様が来るから皆そちらにかかりきりで。侍女たちにも私から手伝うようにって
お願いしたの。」
何故か慌てて説明するリゼリーに疑問を抱きながらクラウスはひとまず彼女の言葉に
理解を示して頷く。
王城で盛大なパーティがあったことは事実だし多忙とわかっていながら侍女たちを
自分に留めておくのは心苦しいと彼女が願い出ただろうということは本当なのかも
しれない。
だとしても、リゼリーは容姿が違えど国王夫妻の娘ならば立派な王女。
クラウスが知る限りでは妾腹の子ならまだしも王族の直系でここまで放っておかれ
手入れも行き届いていない庭園に護衛も無しで一人にするなど前代未聞だ。
ルーナ王国の闇を見たような気がして知らず眉根を寄せていると、リゼリーは
しょんぼりと肩を落として落ち込んでいた。
「…ごめんなさい。やっぱり、信じられないよね。」
「いや、違う。そうじゃない。リゼの言うことは本当だと思っている。ただ…」
「ただ?」
「やはり君への、正統な王女への処遇にしては酷すぎる。ここに来るまでもそうだが
これではいつでもリゼを攫うか殺めてくれと言っているようなものだ。」
「クラウス…。ありがとう。私をそんなふうに言ってくれるのはお兄さんが初めて。
もう…それだけで十分。」
淡く笑んで今にも泣きそうなリゼリーがとても儚く見えた。
すぐ隣にいるのに透けて消えてしまいそうな、そんな彼女を留めようとクラウスは
そっと小さな手を取って握る。
自分よりも少し低めの体温が徐々に温められて同じになっていく感覚がとても
不思議なくらい心地よい。
手を取られてぴくりと体が跳ねたリゼリーも同じように感じてくれているのか、
特に嫌がる素振りも見せずに大人しく寄り添っていた。
どのくらいの時が経ったのかわからなくなった頃、遥か遠くで鐘が鳴る音が聞こえて
リゼリーが急に立ち上がる。
彼女の肩にかけたローブが落ちかけたのを直しながら何事かと思って見つめれば
焦りを滲ませたような表情が浮かんでいた。
「…いけない。クラウス。パーティが終わったみたい。早くここから出て行って。
人が来る前に、早く。」
「あ、ああ。わかった。」
クラウスはリゼリーに急かされながら庭園に入ってくる時にくぐった扉に向かって
歩を進めながら、もう一度彼女を見た。
――また会いたい。
無意識にそんな気持ちが先行して言葉よりも先に身体が動く。
何かあるのかとリゼリーの方も察して急かす手を止めて自分見上げてきた。
「また、ここに来てもいいだろうか。」
その問いにリゼリーは数回だけ目を瞬いた後、首を横に振りかけては止めてから
やっぱり縦に頷いた。
彼女の中にある葛藤が何であったかはわからないが来てもいいと許可を貰えたよう
なのでクラウスは改めて向かい合う。
自分がただの旅人だと言ったことも綺麗に忘れて、彼女の小さく白い手の甲に別れの
挨拶であるキスを落として自然と微笑む。
「また会おう。リゼリー。」
呆然として頬をいくらか朱に染めたリゼリーが可愛らしくて離れがたくなる前に、
クラウスはそっと扉に手をかけて来た道を戻る。
宿までの帰路の間、彼の心中はとても新鮮な思いで溢れかえっていた。
まるで少年の頃に戻ったかのように期待で胸は弾み、それとは相反する穏やかで
落ち着く心がそこにはあった。
今まで感じたことのない気持ちに不思議だと思いながら決して不快ではないものを
受け入れるのはとても簡単で。
何処に行っても自分が落ち着ける場所は無いものだと、そう諦めかけていた心が
ようやく見つけたのは秘密の庭園とそこにいた一人の少女。
クラウスはまたリゼリーに会いに行けることを楽しみにしつつ宿で合流する予定の
ジャックたちに悟られないよう気を引き締めるのだった。
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