#17


リゼリーは一人、湖の中から茜色に染まっていく空を静かに眺めていた。


全身の力を抜いてふよふよと水面に浮かんでいるとまるで空を飛んでいるかのようで

心地がよい。


クラウスとアニエスの二人を見送った後に庭園へやって来たのは王妃リリアンと

彼女のお付きの侍女たちだった。


相変わらず自分に対しての嫌悪を剥き出しにしながら、自らの夫である国王の

『リゼリーが逃げ出したりおかしな行動を取っていないか確認を怠らないように』

という指示を守り続けている。


いくら戦争と無縁で平和な国とはいえ他国と同様にこなすべき公務はたくさんある

ため、多忙でこちらの様子を見られない国王の代わりに王妃が命を受けて仕方なく

来ているのだ。


彼女自身、リゼリーに特別な理由が無ければすぐにでも適当な罪でもなんでも作り

上げて殺しにかかりたいだろう。


それだけ自分は王妃リリアンに忌み嫌われている。


ちなみに今回はたっぷりとお約束な嫌味を言われた後に小高い丘から今浮かんでいる

湖へと『侍女の手で』突き落とされた。


丘から湖まではさほど高さが無いので特に怪我をすることはないし、気温が高い日に

水浴みで自主的に飛び込んだりすることもあったので泳げないわけでもなく。


ただ冷静に対処してしまうと彼女たちの気分をより害してしまうのでリリアンたちが

この場を笑って去って行くまで慌てたフリを続け、気配が消えたのを確認してから

こうして静かに浮遊している。


濡れてしまった服をどうしようか…とぼんやり考えながら。



「……そういえば…クラウスに、悪いことしちゃったな…。」



リゼリーはクラウスとの昼間の会話を思い出して小さく呟く。


彼の調査によって暴かれてしまった、自分の出生についての一部。


あのまま全ての真実を見抜かれてしまうのが怖くて内心では必死にクラウスから

問い詰められないよう祈っていた。


初代国王夫妻の王女が何度も同じ容姿を持って生まれてくるというだけでも気味の

悪い話なのに、そこから更に先を話せばもはや常人の理解を越えてしまう。



言えるわけがない。


リゼリーこそが敬い慕われてきた噂の月の女神の正体であり、


ルーナ王国に平和と安寧をもたらし続ける存在であることなど。



リゼリーは心の中だけでクラウスに謝りながら夜へと染まっていく空と、徐々に

見え始める月と星々の明かりでふと閃く。


いずれグランウッド王国へ帰ってしまう彼に、自分を綺麗だと怖くないと言って

くれたクラウスの為に贈り物をしようと。


浮かんでいた体を反転させて湖の底で淡く光を放ち始めた石の所まで深く潜り

そっと手で触れて念じる。


すると、石の一部が小さく割れてリゼリーの小さな手の中へふわりと収まった。


それを離さないようにしっかり握って水底からざぷっと顔を出せば丘の上から

こちらを見下ろすアニエスの姿があった。



「…お姉さま。水浴びをされるのは結構ですが、数少ない貴重なドレスを着たまま

入られるのはちょっと…」


「ごめんなさい。少し…冷静になりたくて、つい。でもそのお陰でいいことを思い

ついたのよ。」


「いいことですの?まあ…お話はモチロン聞きますが。まずは濡れたその状態を

なんとかしたいので湖から早く上がってくださいまし。」


「ふふっ…そうね。風邪をひいて可愛い妹に心配と苦労をかけられないわ。」



リゼリーは小さく笑って湖から上がり、水を吸って重くなってしまったドレスの

裾を軽く絞って少しでも水気を落としておく。


相変わらず準備の良いアニエスは持参していた大きめのタオルを自分に差し出し

ながら『ドレスを絞るなんてはしたないですわ。』と注意するので苦笑を返せば

ため息を吐かれてしまった。



「…お母様なのでしょう?お姉さまにいつも酷いことをなさるなんて…わたくし

解りません。いくら姿形が似ていなくとも、お姉さまはれっきとしたお母様の娘

ですしルーナ王国の王女を名乗る資格だってあります。なのに…」


「いいのよ。アニエス。いつか必ずいなくなってしまう私が生まれてしまったせいで

お母様は希望を見失ってしまったから…。」


「お姉さまはいなくなったりしませんわ!今度こそは幸せに、生きていただかなく

てはなりません。」


「アニエス…。」


「もしもお姉さまがどうしてもいなくなると申し上げるのなら…その時はわたくしが

この国を滅ぼして、わたくしも自害致しますわ。」



冗談ではない。確かにそう強く語る妹の真剣な瞳にリゼリーは何も言えなくなって

しまった。


どうしてそこまで、自分の幸せを一心に願ってくれるのか。


生きていてほしいと、心から訴えてくれるのだろうか。


必死に自分の生を望んでくれるアニエスの姿に、永らく思い出すことをしなかった

『あの日』の記憶が脳裏にふと蘇る。


迫りくる戦火に慌ただしい城内――国としてはまだ未熟だったルーナ王国の国王…

今や過去の人となった父が次々に出す苦渋の指示。


力も無く怯える姉弟を励まし父を支えた強かな母も決して諦めなかった。


何としても愛する者たちを守る為にと寝る間も惜しんで尽くしてきた両親の姿を

見て知っていたから、あの時の自分の決断に迷いは無かったと今でも思える。


行き詰って手の打ちようもなくなってしまった両親へ告げた、希望とも絶望とも

いえる自らの提案に最期まで二人は、愛しい家族は否定してくれた。



『お父様。お母様。どうか、私を―――…』




「…お姉さま?大丈夫ですの?急に黙ってしまって…体調が優れないんですの?」



アニエスの心配そうな声にはっとしてリゼリーは過ぎ去った日の記憶から現実へと

帰ってきた。


慌てて笑顔で取り繕ってなんでもないと頭を振れば、疑いながらもアニエスは渋々

納得して今度は新しいドレスを庭園の衣装箱から持ってきてくれる。


濡れた体を拭いてそれに着替えてようやく落ち着いた頃合いにリゼリーは妹に

早速思いついた『いいこと』について話すことにした。



「あ、あのね!いいことなんだけど…クラウスに、贈り物をしようかと思って。

この石に祈りを込めていずれ帰ってしまう彼の守りになればって思ったの。」


「まあ…!それはとても良い案ですわ!でしたら、どんな時でも身につけられる

ようなものに加工した方がよろしいですわね…。わたくしがお抱えの職人に言って

相応しい物を作らせましょう。」


「やっぱり職人さんに頼まないと難しいかな…お願いして、珍しい石だって話が

広まったりしたら…」


「心配要りませんわ、お姉さま。この石は月の光を受けていなければ発光することは

ないのだし万が一バレそうになっても旅の商人から買ったと言えば済みます。それ

でも問い詰められようものなら、お父様たちに泣きつけば全て解決ですわ。」



ウフフッと愉快そうに笑う妹がリゼリーには時々恐ろしく感じることがある。


国王夫妻がアニエスに甘いのは事実で彼女はまるで家宝のように大切にされているが

当の本人は彼らの思いを素直に受け止めるつもりはないようだった。


寧ろ自分に対して強く出られない上に求めれば何でも望みのものを差し出してくる

のだから利用しない手はないだろうと考えているのだ。


リゼリーも一時は妹のそんな考えは良くないと両親の思いに感謝して応えるべきだと

諭してはみたものの…『同じ身内であるお姉さまを蔑ろにしている両親に素直に感謝

していられるほど、わたくしは歪んでおりませんの。』と強気に、しかしどこか

寂し気に言われてしまった。


そんなことを思い出しながらリゼリーはこればかりはアニエスに任せるしかないと

そっと石を差し出す。



「じゃあ…アニエス。貴女にお願いするわ。」


「任せてくださいまし!世界に一つしかない、とっても素敵な贈り物にして

クラウス様を驚かせてさしあげなくてはなりませんわ!ふふっ…わたくし、今から

楽しみ過ぎて心躍りましてよ。」


「そ、そんな大袈裟に…。で、でも危なくなったら本当のことを話してしまっても

いいからね?私にとっては石よりも貴女の方が大事だわ。」


「お姉さまは心配性ですのね。そうそう…他の国では純粋無垢な子供を餌に使って

敵を罠にかけるといった手法があるそうですわ。それに倣えば子供の語る言葉を真に

受けて信じる大人は案外少ないものだと思いませんこと?」


「アニエスったら、またそんな知識をどこで…。お母様たちが知ったら卒倒して

しまうわ。」


「大丈夫。お姉さまは、わたくしの心配よりも早くクラウス様に真実をお伝えして

深い仲になって下さい。クラウス様はどんなお姉さまでもきっと受け止めて大事に

してくださいます。」


「だけど…」


「お姉さま。必ず、クラウス様と『約束』してくださいませ。わたくし、この機を

逃したらいけないと予感していますの。お姉さまは絶対、幸せになれますわ。」



アニエスはリゼリーの言葉を待たずに無邪気な笑顔を浮かべながら庭園を後にした。


しん、とした夜の薄暗い廊下を一人静かに歩いて小さく呟く。



「…絶対に、お姉さまをここから出してさしあげますわ。絶対に。」


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