#18


それからの数日は至って何事もなく平凡に過ぎ去っていった。


会える時間はまちまちだったがアニエスは毎日クラウスを秘密の庭園に連行しては

リゼリーとの逢瀬を優先にしてくれた。


クラウスはリゼリーからルーナ王国の秘密やら彼女自身のことについてよりも別の

楽しい話がしたいと言われてから、話すことには慎重になっていた。


リゼリーの悲しそうな寂しそうな表情を見ると自分がとても悪いことをしてしまった

ような感覚に陥って、焦りと共に胸が苦しくなる。


このままでは聞きたいことも聞けずにグランウッドへ帰還することになってしまう。


いよいよ滞在最終日、明日には帰らなくてはならないこの日を迎えた今。


クラウスは自国の調査よりもリゼリーとの穏やかな時間を過ごすことを選んだ。


もともと期限の設定されていない難度は高いが優先度の低めなものだし、自国での

面倒な夜会や公務が終わればいつでも彼女に会いに戻って来れる。


馬で飛ばしても三日という時間が潰れてしまうのが唯一悔やまれるが。


次に来れるのはいつになるだろうか…と頭の片隅にぼんやり思いながらクラウスは

アニエスの後について庭園へ続く扉をくぐった。


夕刻が近いせいか、眼前に広がる景色の遠くの方では薄く茜色に染まっていく空と

少し影を落とした草原が見える。


その草原に一人、リゼリーはこちらを背に佇んでいた。


いつもの小高い丘にいなかったことが気になりながら、彼女とて丸一日その場所で

日々の自由な時間を過ごしているわけではないだろうとすぐに思い直す。



「あら。お姉さま、もしかしてクラウス様を待っていらしたの?」



アニエスの言葉にリゼリーは驚いて飛び上がった後すぐに振り向いて反論した。



「ア、アニエス…!たまたま散歩していただけよ!私だってずっと丘の上にいる

わけじゃないわ。」


「んー…そうね。『たまたま』ね。そういうことにしておくわ。」



クスクスと笑って答えるアニエスに対してリゼリーはかなり焦った様子で何かを

隠していたいように振る舞って見えた。


そして自分と視線が合うとほのかに頬を赤く染めて少しだけ反らされる。



「さてさて。お邪魔なわたくしはさっさとお暇させていただきますわ。お姉さま。

しっかり、なさってくださいね…?」



去り際のアニエスの含ませた言い方に緊張の色を滲ませながらやや固めの笑顔で

リゼリーはこちらを仰ぎ見た。


もう何度も二人きりで顔を合わせているのに今更彼女が自分に緊張している理由が

いまいちわからず、クラウスは簡単な挨拶を交わしてから少し歩こうと提案して

気を紛らわせてあげることにする。


庭園の景色を眺めながら二言三言、短い会話を挟んでしばらく散策すればリゼリーの

表情はいつものような柔らかく自然なものに戻っていた。


そこそこに広い草原を大きく円を描くようにゆっくりぐるりと一周してから二人が

定位置のように小高い丘の上に辿り着く頃には、辺りは綺麗な茜色に包まれて沈み

ゆく陽がとても美しく映える。


その夕日を見ながら、クラウスは思ったことを素直に口にした。



「リゼと見るここの景色はどれも綺麗で感動するが…あの夕日から差す光に照らされ

た君は、また違って美しく見えるな。」


「え…っ…そ…そんな…。」


「本当にそう思うよ。リゼ。」


「ん…うん…。ありがとう。クラウス。」



恥ずかしそうに笑みながら感謝の言葉を述べるリゼリーが可愛くて、そっと彼女の

髪を片手で滑るように撫でてから一房掬って軽く口づける。


そしてふわりと微笑みかければリゼリーは真っ赤になって自分から視線を外せなく

なってしまうのだ。


この数日間で秘密を知れなかった代わりに、クラウスはやりすぎない程度に会話の

合間にリゼリーへのスキンシップを図ってみた。


外界との接触がほとんど無かった彼女は当然、身内以外の男性との触れ合いという

ものが無いに等しい。


そのせいか社交上でよく使われるような手のもの(例えば挨拶に手の甲へキスする

など)だけでもこうして真っ赤になって恥ずかしがってしまう。


繰り返し色々と試した結果、リゼリーは羞恥や緊張がピークに達すると今のように

固まって相手から視線を反らせなくなるらしい。


こうして見ている分には可愛いのだが、彼女がもしも成人していた上で朱に染まった

頬にやや潤んだ瞳で真っ直ぐに見上げられれば大抵の異性は射貫かれてしまうの

だろうなと思う。


思うが、クラウスとしてはリゼリーの存在を公言するつもりは一切ない。


事情はどうであれこのままルーナ王国の国王夫妻には彼女を隠しておいてもらって

時期を見て迎えに来るのだから。


未来の自分の平穏な暮らしを守る為にも、政略結婚といった双方の性格も気持ちも

無視するような強制的なものはしたくないので出来る限りリゼリーとの仲を良好に

保ち続けなければならない。


その時がきた時に彼女が快く頷いてくれなくては。


「…リゼ?大丈夫か?」



悪戯に笑って優しく額にも軽いキスを落とすと、すぐ目の前の彼女は真っ赤な顔の

まま言葉をうまく紡げずにただひたすらに口をぱくぱくさせていた。


それが面白くて余計に意地悪したくなる気持ちを抑えながら一歩下がれば、リゼリー

は冷静になろうと懸命に深呼吸を始める。



「悪い。少し、からかい過ぎてしまった。」


「う、ううん…。ちょっと…びっくりしただけ。大丈夫。」



いくらか落ち着いてきたリゼリーはクラウスからまだ見える夕日へと視線を移して

どこか寂しそうに言葉を続けた。



「クラウス…明日には、帰っちゃうんだって…アニエスに聞いたの。」


「ああ。早朝には発つ予定だ。リゼとは…しばらく、会えなくなるな。」


「そっか…。そう、だよね。」



他にも何か言いたげなリゼリーの様子にクラウスは疑問を投げ掛けようとして…

鐘の、鳴る音がした。


嫌にタイミングを見計らったようなそれに内心で文句をつけていると、こちらへ

振り返ったリゼリーの、真剣みを帯びた瞳とかち合う。


そこに先程までの緊張は感じられずどこか吹っ切れたようにも見えた。



「クラウス。私、まだ貴方にたくさん話さなくてはならないことがあるの。だから…

だからね。約束してほしいの。」


「約束…?」


「うん。またここに…私に、会いに来てくれる…?」


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