#19
まさかの彼女からのお願いで、約束だった。
話さなくてはならないこと。というのは十中八九、秘密についてなのだろう。
自分の予想が外れていたとしても返す言葉は当然―――
「もちろんだ。リゼ。俺は必ずまた、君に会いにここへ来るよ。」
クラウスの返事を聞いてリゼリーはほっと安心のため息を小さく吐きながら肩の力を
少しだけ抜いた。
そして花が咲き誇るような笑顔を向けて感謝を述べる。
「ありがとう。あの、ね…あと…これ。クラウスに、あげる!」
「これは…ネックレス?留め具に付いている石はもしかして…」
「丘から見下ろした、湖の中にあった光る石よ。クラウスが元気で…また無事に、
ここへ来れるようにって…その…お守り。」
言葉の後半は恥ずかしさが勝ったせいか小声で俯いてしまったが、リゼリーの声は
クラウスにちゃんと届いていた。
すぐにネックレスを身に着けてから、きゅっと強くも弱くもない力で彼女を抱きしめ
そっと耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「…とても嬉しいよ。ありがとう。リゼ。大切にする。」
「……っ…うん…!」
リゼリーも小さな手を懸命に伸ばしてクラウスに抱き着き、少しの間二人は互いの
温もりと鼓動だけを感じていた。
時間にしてみれば本当に短かったかもしれない。
それでも一瞬だけ時が止まったかのような永い感覚がそこにはあった。
二人が名残り惜し気に抱擁を解いた頃、庭園の扉を見張っていたアニエスが血相を
変えて走って来る姿が見えた。
「クラウス様!廊下から人の声が聞こえますの!あちらから戻るのは危険ですから
別の道を使いますわ。お姉さま…本当は邪魔をしたくはないのだけれど…。」
「いいのよ、アニエス。貴女のお陰で私はクラウスと会えるのだから。それに、
ちゃんと『約束』だってしたわ。」
「まあっ。それはいいことです。」
アニエスはとても嬉しそうに笑って喜んだがそれも一瞬のことだけで、すぐに顔色を
変えて辺りを警戒する。
「クラウス様、すぐに庭園を出ましょう。扉からは危険ですから別のルートを使い
ますわ。」
「ああ。わかった。」
「お姉さま…どうか、ご無理なさらないように。」
「わかっているわ。アニエスも、クラウスをお願いね。」
「もちろんですわ!」
「それから…えっと…クラウス。短い間だったけど、たくさんお話してくれて…
本当にありがとう。今度は私、もっと大事なお話もできると思うから…だから…」
「約束は絶対に守る。リゼ。俺を、待っていてくれるか。」
「うん…!私、待つよ。ずっと…クラウスを待ってる…!」
クラウスは最後に別れの挨拶としてリゼリーの手の甲へ優しくキスを落としてから
背後で急かしてくるアニエスを追って庭園を後にした。
別ルートは初めてクラウスが秘密の庭園を訪れた時に通った、あの鍵の外れた古びた
扉を抜けた先にあった。
成人男性とほぼ同じ背丈くらいの樹木がみっしりと植わっているうちの中に二本程
の隙間でわざと空間をあけてある場所があり、生い茂っているためによく見なければ
気付けない。
細い枝をうまく掻き分けてやれば城の壁が見えて、アニエスがその一部をゴトリと
奥に押し込むと何やら鈍い機械音と共に中へ通ずる道が開けた。
「これは…一体、どういう仕組みなんだ…?」
「暇で王宮の古書を漁っていたら、たまたま城の設計図を見つけましたの。細かい
仕掛けやらはわたくしには解りませんが使い方だけは一応覚えましたのよ。」
得意げに語りながら中に入って道を閉じアニエスは何事も無かったかのように
ドレスについた木葉を払ってから物置部屋のような場所からこっそり抜け出す。
隣接していた部屋は長年誰も使っていない様子で特に掃除もされていなかった。
設置されている家具や装飾などを見ると女性向けのものばかりで、椅子の上には
古くてすっかりボロボロになったぬいぐるみが置いてある。
部屋を横切って行く際、クラウスはふと棚の上にあった小さな額縁に目がいった。
足を止めて何となく埃を被って見づらくなった中の絵を見ようと軽く持ち上げると…
パサリと乾いた紙の落ちる音が聞こえて視線をやる。
何重にか折り畳まれた、小さな紙。
なんだろう。とその紙を掴んだところでアニエスの呼ぶ声が聞こえた。
「クラウス様。今なら廊下に誰もおりません。人が通る前に、早く出てお部屋に
戻った方がいいですわ。」
「あ、ああ…そうだな。すぐに行こう。」
持っていれば確認はいつでもできるだろうと思ってクラウスは紙を上着のポケットに
しまって廊下の様子を窺っていたアニエスと共に部屋を出た。
クラウスたちに用意された部屋の前に着くまではアニエスも侍女たちに怪しまれない
よう変わらず仲睦まじい演技を続け、終いには『もう明日にはお帰りになってしまう
なんて寂しいですわ!』と念には念を入れてきた。
彼女ばかりに演技をさせるわけにもいかず、クラウスもいくらか受け答えはして
いたが最後の念押しには精一杯の慰めるような笑顔を浮かべて頭を撫でてやること
しかできなかった。
「…おっ。帰ってきた。」
部屋に戻ってきたクラウスを見るなりジャックは呑気に呟いた。
そして丁度、茶を淹れようとしていたらしくテーブルにはティーセットが並べられ
カップも二つ用意されている。
ジャックにちょいちょいと手招きされたので特に何を言うでもなく椅子に着けば、
それとほぼ同時くらいに茶を注がれたカップが差し出された。
二人きりになると砕けすぎて時々、自分はどうしてこんな奴を従者にしてしまった
のかと思う時があるが…それを抜かせば彼は優秀である。
一応、裏でかなり努力してきた姿も実は知っているし自分が基本的に愛想無い分
ジャックの軽い雰囲気は場の空気の緩和剤になっていたりもする。
……だが。
「今でも解せない。ジャック、お前はどうして茶葉を混ぜるんだ。」
茶を一口啜ってから何とも表現しづらい味に渋い顔をして指摘すれば、向かいの
席に座ったジャックは悪戯が成功した子供のように笑った。
「だってさ~一つ一つが美味しいんだから、美味しいもん混ぜたら絶対更に美味しく
なると思うんだよな。まあ…今回は失敗したっぽいけど。」
「…『いつも』失敗しているだろう。折角の香りも最悪だ。」
「まあまあ。別に、飲めないわけじゃないし。これはこれで新鮮な味を楽しめると
いうことで。」
「はあ……もういい。後で自分で淹れ直す。」
ジャックが茶葉を変な配合で混ぜて淹れることは最近の話ではなく。
それは彼がクラウスの従者になってから一年後くらいに始まったのだ。
最初の内は自分としても少しの興味があったので『いつか絶対に美味しくなる!』に
付き合い続け、一向に改善されない酷い味と香りに悩まされた結果…クラウスは
第一王子でありながら茶を淹れることができるようになった。
もちろん、そのことはジャックしか知らない。
他の者が知ったら驚くだろうし何より茶を淹れる以外において優秀な彼がそんなこと
で評価を落とされたり印象を悪くするなど、実に馬鹿らしい。
しかし現在進行形で今も目の前で行われている恐ろしい実験の餌食になり続けて
いるといつか自分の味覚と嗅覚がおかしくなるのではとも思う。
クラウスは如何にジャックに諦めさせるか頭を悩ませつつ、ルーナ王国での最後の
晩餐会が早く始まらないだろうかと深く息を吐いた。
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