#12


「お姉さま。やっぱりまだ起きてらしたのね。」


「…アニエス。」



夜の月明りだけが照らす秘密の庭園に、片手にカンテラともう反対の手には毛布を

持ってやって来たのはアニエスだった。


私の可愛い、今の世界でたった一人の自慢の妹。


自分の存在を知ってからの彼女はまさに行動力の化身でありとあらゆる方法でこの

国の真実や『リゼリー』のことまで調べ上げてしまった。


もう何度も、国王夫妻による私への待遇の酷さに腹を立てて殴り込みに行こうと

したところを止めては口論した。


私が『仕方ないよ』と諦めていても、アニエスは諦めなかった。


ここから外へ出られない自分の代わりに今もこうして一人で戦ってくれている。



「あら。またそのローブを羽織っていらっしゃるのね。確か…とある『旅人さん』の

置き土産、でしたかしら?」


「も、もうっ…知っていてそんな言い方をするのはよくないわ。」


「うふふっごめんなさい。何も希望を持たなかったお姉さまが、まさか人を睨み

殺せそうな獣のような方をお好みだったなんて。予想外すぎますわ。」


「獣だなんて失礼よ。クラウスはとても美しい人なんだから。」


「うーん…まあ、お姉さまには劣りますが並みの貴族よりは美しいですわね。」


「わかってない。アニエスも夜に彼を見たら絶対に認めるわ。クラウスは陽の光

よりも月の下の方が映えるのよ。」


「お姉さまったら。そんなにクラウス様がお気に召したなら、本当のことをお話して

助けていただければ良かったのに。」


「そんなこと…!…できないわ。」



リゼリーはアニエスから視線を外して、丘のすぐ下で淡く光を放つ湖の底の石を

悲しげに眺めた。


この国の真実を――本当のことを話してしまえば、きっと気味悪がられてしまう。


そうでなかったとしてもクラウスは優しいから同情から自分のせいで無理をさせて

たくさんのことを諦めさせてしまうかもしれない。


出会うべきではなかった。でも偶然が重なってしまった。


今更引き返せないなら、せめて仲の良い話し相手として立場を守っていればいずれ

迎える『その時』が来ても彼を酷く傷つけずに済む。



「お姉さまはどうして、一人で悩んで一人でお決めになりますの?クラウス様は

お姉さまに会いたくてわざわざ遠方から来ましたのよ。調査だのなんだのと仰って

いましたけど。」


「調査…?」


「詳しくは知りませんわ。こちらに寄ったのも遠征の帰りの途中だと。きっと、

遠征先で情報がうまく掴めないから貿易の盛んなこの国で調査しようって感じでは

ないかしら。」


「ルーナ王国が通り道とするなら…西はまだ、国が荒れているのでしょう?そんな

危険な場所へ行くなんて…」


「西へ行っていたかはあくまでわたくしの憶測ですわ。ですが。クラウス様があの

軍事国家の跡継ぎなら、常に命の危険にさらされていることは事実ですし。滞在を

終えて戻られたら戦争に出向くかもしれませんわ。」


「アニエス。私…どうしたら…。クラウスは死んではならない人よ。私はいずれ

どうにかなってしまっても、彼だけは…。」



必死になって食いついてきたリゼリーにしめたと言わんばかりにアニエスは満面の

笑みを浮かべて『簡単ですわ。』と言葉を続ける。



「クラウス様と約束なさいませ。あの方なら簡単に約束を違えるようなことを

しないでしょうし、お姉さまに好意を寄せていることも間違いないですわ。」


「私に好意だなんてそんな…。約束だって、一体何をすれば…。」


「内容はなんでもかまいません。約束することに意味がありますもの。ですから、

お姉さまがクラウス様に望んでいることをお願いすればいいのですわ。」


「私が、クラウスに…?」



真剣に悩み始めてしまったリゼリーにやれやれとアニエスは緩やかに首を横に振って

バサリと毛布を姉の頭に被せた。


それに驚いて変な声を上げてしまったリゼリーは毛布から顔を出すとぷっくり頬を

膨らませて注意する。



「アニエスっ湖に落ちてしまったら危ないでしょ!」


「お姉さまが無駄に真剣にお悩みになるからです。クラウス様が発たれるまでまだ

時間はあるのですから、それまでに自然と出てきた願望をお約束すればいいだけの

話ですわ。こういったのは考えれば考えるほど出ませんもの。」


「そう言うアニエスはしたことがあるの?」


「もちろん。お父様やお母様、あと買収した侍女たちにも重く辛い約束を科して

ありますわ。」



うふふ。と怖い笑みを漏らしながら言うアニエスに、それは約束と呼べるものなのか

疑問を抱きながらリゼリーは自分に自然と願望が出てくるか心配になった。


ずっと国の為にと思って生きてきて自分という存在が希薄に感じられて、繰り返す

終末に心は動かなくなっていた。


それでも自分の心が完全に死んでいるわけではないと認識できたのは進んで私を

助けようと動いてくれるアニエスと――


月光の降り注ぐあの晩に、美しい人だと心から思ってしまったクラウスの存在。


毛布を置いて王宮へと帰っていくアニエスを見送りながら、リゼリーはぼんやりと

妹の言っていたことを反芻する。



『お姉さまったら。そんなにクラウス様がお気に召したなら、本当のことをお話して

助けていただければ良かったのに。』



本当のこと。この国の、リゼリーの真実。


ルーナ王国でも一握りのごく僅かな王族しか知らない、完全な中立を保っていられる

理由とも密接に関係がある事柄。


私がこの国から離れることができない理由でもある。



『お姉さまはどうして、一人で悩んで一人でお決めになりますの?クラウス様は

お姉さまに会いたくてわざわざ遠方から来ましたのよ。』



クラウスはどうして、私に会いたいと言ってくれるのか。


遠征の帰りついでといっても疲れているだろう中、ただの同情でここに滞在して

自国への帰還を遅らせる必要は――?



『お姉さまに好意を寄せていることも間違いないですわ。』



本当に…?でも、私はいずれ…――


リゼリーはふっと月を見上げて一人ため息を吐く。


何も語らず黙して時を待てば国の為にはなる。今までも、これからもそう。


だから誰の目にも触れず何も感じずに淡々と生きてきた。


でも、私を見つけたアニエスは諦めてはいけないと、助けを求めるべきだと言った。



「お母様…お父様…。私はどうしたら…。」



リゼリーは既に手の届かない場所へと行ってしまった『彼ら』に祈りながら、

遠くで鳴り響く鐘の音を静かに聞いていた。

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