#6


クラウスはすかさず駆け寄り思いの外固く閉ざされている扉を開けてやると、老婆は

一瞬だけ驚いたように目を瞠ってからゆっくり頭を垂れる。



「ああ…すまないね。最近じゃすっかり扉が重くなってしまって…年はとりたく

ないねぇ…。」


「いえ、お気になさらず。俺もこの教会に用があったもので。」


「おや。まあ…。」



再び驚いた老婆は次に嬉しそうに顔をくしゃりと綻ばせて杖をつきながら教会の

中へと入っていく。


クラウスも続いて中に入り扉を閉じて周囲を見渡すと、長いこと手入れされていない

のか曇ったステンドグラスにうっすらと埃を被った椅子や教壇。


教会だというのに神父の姿も見られない。


調べに来て話を伺うにしても聞ける人間がいないのではどうしたものかと考えを

巡らせていると先程の老婆が声をかけてきた。



「お若いの。あなたも、月の女神様に会いに来たのかえ?」


「え?いや…俺はこの教会の上にある鐘が気になって…。」


「ああ。あの鐘かい。あれはね、女神様がこの国を離れていってしまっても、

ちゃあんと迷わず帰って来れるようにと造られたんだよ。」


「国を離れる、とは?ルーナ王国は月の女神の加護で守られていると聞いたが…

滞在し続けているわけではないのか。」


「そうだねぇ…。」



老婆はちらりとクラウスを見上げた後、何かを納得したように頷いてから言葉を

続けた。



「お若い方は16年に一度の『静寂の日』をご存知かね。その日の夜が深まり、

月が天高くに昇った頃に女神様はこの国を離れるんじゃ。報せの鐘が鳴った時、

彼女を敬い愛した民は祈りを捧げ、またここへ帰って来てくれるよう願う。」


「それは…」



まさか朝の調査報告でジャックから聞いた話の続きが聞けるとは思っておらず

クラウスは内心で驚きつつ老婆と視線を合わせた。


老婆は再びくしゃりと皺を寄せて嬉しそうに笑むと手近な椅子に腰かける。



「もう数十年…この教会には誰も来なくてね。すっかり寂れてしまったけれど…

まだまだ希望がありそうで良かったよ。」


「あの…すまないが、少し話をお伺いできるとありがたいんだが。」


「かまわないよ。でもその前に、一つだけ教えておくれ。お若い方は夜に光を放つ

石を見たことはあるかね。」


「…?あ、ああ。とても珍しい石らしいな。」



クラウスの返答を聞いて老婆は満足そうに小さく頷くと、なんでも聞くといいと

いったふうに言葉を促す。


先の問いにどのような意味があったのか知りたい気もしながら、けれど今はそれを

追及している場合ではない。


ルーナ王国について曖昧にしか答えてくれないという住人たちとは明らかに違った

雰囲気を纏わせた目の前の老婆は、隠さずジャックの求められなかった答えを

クラウスに教えてくれたのだ。


どこの誰とも告げていないこの自分に。



「貴女はこの教会に長い間人が来ていないと言っていたが、管理しているだろう

神父はどうしたんだ。国を守る女神に係わる鐘があるのだから放置し続けている

わけにはいかないはず。」


「神父様ならいたよ。ただ…何代か前の王妃様がこの教会を気味悪がって国王様の

不在中に壊そうとしたのさ。それを止めようと懇願して、神父様は処刑されて

しまった。戻ってきた国王様はお怒りになって王妃様をお咎めし教会の取り壊しは

中止になったが民は王妃様の怒りに触れるのが怖くて近寄らなくなってしまった。」


「そんなことが…。しかし、誰も寄らないといっても鐘を鳴らしている者がいるの

では?俺は昨夜遅くに音を聞いたんだが。」


「…誰だろうねぇ。この鐘を鳴らせるのは女神様だけだと私は思っているんだけど

お若い方はどう思うかね。」


「女神が戻って来られるように造った鐘なのに、誰も鳴らせないっていうのか?」


「外も内も、教会を見て回るとすぐにわかるよ。」



語り終えると老婆はゆっくり席を立ち、教壇の前まで歩くと静かに祈りを捧げる。


頭上で外からの光を取り入れて鈍く輝く曇ったステンドグラスには月の女神と

思わしき女性の姿が描かれていた。



「お若い方。あなたはどうやら、他の方とは違う考えをお持ちのようだの。どうか

女神様にお会いしたら…婆は元気でやっていると、伝えておくれ。」



会えるのか。とクラウスが尋ねるよりも先に老婆は教会の扉を開けて出て行って

しまった。


女神が実在しているとなれば是非とも会ってみたい。


が、どう考えても現実離れしすぎている話に苦笑する。


そもそも本当にいたとするなら、大いなるその力で大陸中の争いを全て無くして

飢えも渇きも知らなくなるほど潤わせてほしいものだ。


血で血を洗うことがなくなれば自分だって何かに追われず今以上に心穏やかに生を

送ることができるだろう。


クラウスは緩く首を横に振って起こりえない希望を追い出し、老婆の言っていた

通り教会の内も外もくまなく見て回ることにした。


教会内には上へ続く階段はあってもそこは懺悔室に繋がっているか神父の休憩する

部屋にしか行くことができない。


外へ回って梯子などを確認してみるも、それらしきものはかかっていない。


だからといって木登り感覚で鐘の所まで行けるほど容易な高さでもない。



「…確かに、無理だな…。」



納得して教会の探索から離れて今度は住民に話を聞いてみることにする。


昨夜、確かにこの教会の鐘が鳴ったのだ。


リゼリーもそれを聞いて反応していたのだから少なくとも幻聴ではないはず。


老婆の話が本当であれば16年に一度はルーナ王国の民が鐘の音を聞いていることに

なるのだから、そこそこの歳の人間に聞けば知らない者はいないだろう。


クラウスはたまたま近くを通り過ぎた中年の男性に声をかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る