#36


余計な話の被害者になりたくないので慎重に極力物音一つ立てないよう静かに扉を

開けてすぐ、クラウスの鼻を突いたのは表現し難い刺激臭。


この世のものかと疑いたくなるその匂いに耐え切れず結局はガチャリと半開きだった

残りの分を勢いよく開け放ってしまう。



「―――ジャック!母上!一体何を……っ」


「あら。クラウス。」


「おう!ちょうどいいタイミングだったな。」



執務室の机の上に広がったクッキーなどの菓子よりも絶大なインパクトを放つ

『それ』にクラウスは顔が引き攣るのを止められない。


というのも。



「見ろよ!オレの究極にして最新の出来だぜ!見た目はまあ……あれだけどよ、

味は王妃様のお墨付きなんだぜ!」


「母上……飲んだの、か……?」


「珍味として楽しむならアリかしら。茶として飲むのは絶望的だもの。」


「ジャック……これはお墨付きとは言わない……。」


「えー?そうなのか?だってよー」



こうなること三十分ほど前。


帰還したテルミオが西の『毒』を持ち帰ったとの報告を聞いて早速解毒に関して

動いた研究医の他に、王妃である母も動いていた。


植物に割と詳しい母ならば色や効能などから近いものを当てはめ、それに対して

有効な薬草がこれであると種類を絞れるかもしれない。


のだが、戦争の準備と並行して慌ただしく作業している中を自身の立場から彼らに

余計な気を遣わせ邪魔するのも悪いと思い、同じくサンプルを持っているという

クラウスの元を訪ねた。


そしたら褒められて上機嫌なジャックが主人の帰りを待ちながら気合を入れて茶の

改良に励んでいたのを目撃して、何故だかその改良の手伝いを母がしていた。



「……と、いうことだ。」


「ジャック。後でよーく、話し合おうな。」


「うん?おう、わかった。」


「さあさ。クラウスが戻って来たことだし早いこと本題に入りましょう。その毒

とやらを見せてちょうだい?」


「ああ、これだ。」



小瓶を取り出して母に渡すと、彼女は液体の色を少しだけ観察した後に何気なく

蓋を開けて白紙の上に一滴だけ垂らしてみせる。


じわりと広がってすぐに蒸発してしまった毒に母の瞳はぱっと輝く。



「揮発性の高い毒なのね。これは研究のしがいがありそう。」


「母上……実際残された時間はあまりない。西がルーナ王国に接触する前に対策を

しておかなければならないんだ。」


「うふふっ問題無いわ。ジャック。ちょっとクラウスを借りるわね。」


「日暮れまでには返してもらえれば何とかなると思うぜ王妃様。」


「優秀な従者で助かるわ。さ、行くわよ。」



にこにこと怖いくらいに上機嫌な母に連れられやって来たのは王妃の管理している

植物に関する小さな研究施設。


ここには母の趣味が溢れに溢れていて、一つについて尋ねると十や二十となって

返答が返ってくるために普段クラウスは好んで近寄らない。



「えーっと……あれはどこに置いたかしら~」



研究施設といえば、暗い思い出がある。


母はグランウッドに嫁いでくる前は上流貴族令嬢でありながら変わった趣向を持って

いて近寄り難いと評されていたとかないとか。


父との馴れ初めも本当かどうかは不明だが、招かれた夜会で父に一目惚れした母が

この庭園にも存在している例の草花を煎じて飲ませ手に入れた…らしい。


どれも初めてこの研究施設を訪れた幼少期に母自ら武勇伝のように聞かされた話では

あるものの、その時の俺の複雑な心境をもう少し考えてほしかった憶えがある。


その場に父がいなかったのがせめてもの救いかもしれないが。


楽しそうに鼻歌を歌いながら様々な器具を取り出して来てはそこに毒を垂らして

結果を見ている母に、クラウスも横で静かに眺める。


結果として出た数値や様子を統合して分厚い資料をいくらかめくり数種類の草花を

別のメモへと上げていく。


そうして容易に数時間が過ぎていった頃。



「うーん……どうも決め手に欠けるのよねぇ……」



毒草の特定とそれに対する薬草の種類を探していたのかと思っていたのだが、素人が

見る限りジャックの茶と同じく改良を試みている気がしないでもない。



「母上。先程から一体何をしているんだ、これは。」


「貴方にもらった毒の調合よ。それと可能なら更に強力にしてー……」



やはりそうだったらしい。



「調合はいいとして……強力にする必要は無いだろう……。」


「あらぁ。毒でやられるなら毒で返す勢いは必要よ?自分たちの放った毒を基礎に

改良された毒で打ちのめされたら、さぞお相手も後悔するでしょう?」


「西側が必ず使ってくるとは限らない。可能性が高いというだけで。」


「使える獲物があって使わない手は無いわ。社交界と同じよ。自らの持てる武器で

利用できるモノがあれば容赦なく使って、立ち塞がる障害は倒していく。違うのは

そこに人の命が懸かるか人生が懸かるかよ。」


「どちらも敗れれば絶望的だな。」


「ふふっ……それでも救済はあるわ。怪我には治療を、逃げられても他の道を。

でも、それを一歩でも踏み違えば……だから貴方の父様はいつも言うでしょう?」



―――『失敗しても、間違えるなよ』



「そうだな。」


「貴方は私たちの自慢の息子だから大丈夫だとは思うけど。それでも力にならせて、

心配はさせてちょうだい。」


「わかった。だが……母上は俺が求めなくても横から手を出してくるだろう?」


「うふふっ。そうね。」



受け入れられてどこか幸せそうに笑う母に照れくさくなって少し視線を外す。


外した先に見えた、薄紫色の液体が入った古びた小さな小瓶になんとなく手を

伸ばしてよく見てみる。


剥がれかかったラベルに擦れた字で『最終兵器』と書かれていた。


これは何だと聞きたいようで聞きたくない単語に少しの間悩んでいると、それに

気づいた母が背後から声を掛けてきてどきりとする。



「あら懐かしい。それはまだ私が若かりし頃に研究に没頭していた時に作った薬で、

効果はー……なんだったかしら。」



すっかり忘れた様子で小首を傾げながら、それでも悪戯っぽい笑みを浮かべて

『使ってからのお楽しみね』と軽口を叩く。



「いや……別に、俺は使わないが。」


「でも何だか勿体無いからあげるわ。丁度いい被検体でもいたら仕込んで効果を

確かめてみてちょうだい。それで、とりあえずこの資料を王宮の研究医に渡して

くれるかしら。」



簡潔にまとめられた資料と何故だか怪しい小瓶を押し付けられクラウスは仕方なしに

母の研究施設を後にした。


彼女はもうしばらく個人的に毒の改良に励む……らしい。

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