閑話・【過去編】おにいさんとリゼリー2


「姫さま……!」


やって来たのはマチルダ一人だけだった。


彼女は慌ててリゼリーの側に近寄って、そしてアルを見るなり姿勢を低くする。


まるで王族に対してするその仕草にリゼリーは穏やかな彼に更なる疑問を抱きつつ、

マチルダへ助けを乞うように寄り添った。



「やあ。貴女は確か、第一王女アニエスの乳母だったかな。」


「マチルダでございます。」


「リゼリーを姫と呼んだことについては聞いても?」


「申し訳ございません。それは国の事情により、陛下と懇意にしてくださっている

アロイス様でも申し上げることができません。」


「へーえ。じゃあ、貴女の命を懸けてでも?」


「申し上げられません。」


「貴女が問いに答えなかったと私が機嫌を損ねて兵を連れて来ても?」


「申し上げられません。」



笑顔で平然と物騒な言葉をマチルダへ重ねるアルに、リゼリーの心がもたなかった。


自分が転生してもなお自ら乳母になることを進んで望んでくれて、生まれてから

祈りを持って死んでいくリゼリーを二度も見送ってくれている。


すっかり年を取ってしまった彼女は今でも変わらない愛を向けてくれる、まさに

かけがえのない存在であり自分にとっては家族も同然。


そんなマチルダを失うことはリゼリーにとって自分の死よりも辛いことだ。


アルが何者であるかよくは知らなくとも、外の人間に勝手に彼女を裁くようなことを

してほしくはない。



「やめて!アルさん、マチルダを苛めないで!」


「姫さま……っこちらの御方にそのような物言いはなりません。」



顔色を青く染めて叱るマチルダに構わず彼女を守るようにアルへ立ち塞がり、懸命に

キッと睨み上げれば彼はふっと笑顔を消して獲物を吟味する獰猛な獣のような視線を

送り返してくる。


その実際の時間は一瞬なくらい短かったかもしれない。


けれども数分に感じてしまうほど怖くて、身体は自然と硬直した。


でも、退くことはできない。


自分の背後でマチルダが見守る中、少しの沈黙を先に破ったのはアルだった。



「―――ふっ、はは!いや、すまない。可愛いだけでなく度胸もあるか。リゼリー、

君は不思議な子だ。」


「私が、不思議……?」


「ああ。まだこんなにも幼いというのに、私と対峙して顔色一つも変えないとは。

その事情を知っていれば別の解釈もできるだろうが、知らない者が見たら子供らしく

ないだろうな。」



先程とは打って変わって上機嫌にそう話すアルにリゼリーとマチルダは二人して

ぽかんと虚を突かれたように気が抜けてしまった。


それから改めてアルことグランウッド王国国王アロイスについて教えてもらった

リゼリーは失礼を働いてしまったと慌てて謝罪したが、彼は自分も無礼であったと

丁寧に詫びる。


ルーナ王国の現国王とは双方の親の代から懇意にしていて、相変わらず同盟だけは

結ばないものの仲の良さは一番であった。



「可愛い娘を見に来いと言われて時間を作れば、肝心の娘よりも親の愛でる話の方が

長いから逃げてきたんだ。そしてどうせなら友の秘密でも暴いてやろうと思い立って

この庭園を見つけた。」


「秘密を暴いて、どうされるおつもりですか。」



まだ少し硬い口調で尋ねるマチルダに、アルは柔らかく笑みを返す。



「基本的には何もしないさ。知っても知らぬ振りを通す。だがな……」



一度言葉を切ってから彼は怖いくらいに真剣な面持ちで続けた。



「あいつは他国にバレた時のことを一切考えていない。誰にも見つからないと過信

しているのが明らか過ぎて逆に怪しいんだ。このままではルーナ王国の安寧が続くか

定かでない。」


「アロイス様が我が国を気に掛けてくださる御心は嬉しく思います。ですが、陛下は

恐らくその気遣いを大変嫌がるかと。」


「だろうな。だからこれは私の独りよがりな我が儘だ。同じ、国を負う者として

ではなく、友としてあいつが愚かな選択をして滅んでいく姿を見たくない。」


「しかし……」



言い淀むマチルダに反して、リゼリーは本気だと語る様子のアルを信じたくなった。


彼ならこの真実を知ったとしても、きっと悪いようにはしないはず。


それに万が一のことを考えて本当に自分の身に何かが起こって祈りを持って逝けなく

なったとき、戦事に疎い人たちだけで対策を講じるよりも長けた者が先導して助けて

くれた方が犠牲も少なく済む。


正直、リゼリーには誰にも言えない不安があった。


こうして当たり前のように転生を繰り返しているものの、自身の持てるこの力が

果たして不変的なもので在り続けるのか否か。


確証を持って言える自信が自分には無かった。


だから最悪の場合を考えて背中を守ると言ってくれる存在を、支えてくれる味方を

曖昧ではなく確実に作っておく必要はあるべきなのでは。


その代償が国の、自らの秘密であろうと信頼の置ける相手だというのなら懸けても

後悔はしない。



「マチルダ。私、アルさんを信じようと思う。」


「姫さま何を言って――!」


「アルさんの言ってることは一理あるの。今のお父様は私の祈りを絶対だと言う

けれど、私はそうは思わない。私だってもしかしたら、いずれは祈りすら失って

しまうかもしれない。」


「そんな悲しいことを仰らないで下さい。姫さまはもうずっと、国の為に努めて

まいりました。幸せも知らず祈りを失うなど……あってはなりません。」


「ううん。私は幸せよ。マチルダが側にいてくれるから。」


「姫さま……。」


「アルさん。貴方を信じてお話します。私のこと。秘密のこと。」



だから誰にも言わないで。そう最後に付け足して、アルが同意したのを確認してから

リゼリーは自分の知る全てを彼に話した。


それが後に幸か不幸か、どちらに転がるかはわからない。




―――数年先の未来、あの日の夜に転機が訪れるまでは。


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