#39
報告を受けてクラウスがすぐに執務室から出て行った後で、残されたテルミオと
ジャックはのんびりと過ごしていた。
数分は特に会話らしい会話も無かったが先に口を開いたのはテルミオだった。
「殿下、心中穏やかじゃないだろうねー。」
机の上にあったクッキーを頬張りながら呑気に呟けば、兄であるジャックは当然
だろうと言いたげな顔をする。
「リゼリーちゃんはクラウスが初めて射止めたいと思った子なんだぞ。あの、何が
あっても冷静で感情で動かない奴がだ。」
「まーあ、確かにリゼリー様はお綺麗だし可愛いし放っておけない感じはするけど、
色々と危ない方だよね。」
「なんだ。リゼリーちゃんのこと知ってるのか、お前。」
「んー……知ってるって言っても、人づてであって彼女の本質は知らないよ?西に
いた時に聞いたんだー。月の女神を誘拐して手駒にしようって計画。」
「おい……それって本当なのか?」
途端に冷や汗をかきながら周囲を見渡して誰も来ないことを確認してから聞いてくる
兄に吹き出しそうになりつつ、テルミオは大きく頷いた。
東の隠密の使者として、敬愛するクラウスの為に新たな情報を得るべく潜り込んだ
場所で、重鎮らしき者とあちらの王族たちが話しているのを目撃した。
『遂にわかりました!ルーナ王国に隠された女神の居場所が!』
『よくやったぞ。して、その場所は。』
『こちらになります。……如何しましょうか?』
『女神、と呼ぶほどなのだからさぞ美しいのだろう。それに、敵を寄せつけぬ力を
持つというのなら利用しない手はない。即刻、我が国へ招待しようじゃないか。』
『それならいい方法がございます。奴らには女神の信仰者とやらがいるそうで、
そ奴等になりすまして隙を見るのが一番かと。』
『ほう……?』
『しかし女神は愛国心が強いと聞きます。我々の意に従うかどうか。』
『反抗するなら国を滅ぼすと脅せばいい。それでも聞かないなら長期に渡って調教
してやるのも一興だろう。なにせ、女神なぞ抱いたことはないからな……』
『承知しました。すぐに手筈を整えましょう。』
己の力と欲に溺れた、汚い笑い声。
その場に躍り出て嬲り殺してもよかったが得策ではないと考え踵を返した。
後日。
クラウスへ経過報告の手紙を送るのに、念のためで記載しておくべきか迷っている
間に手元へ届いた連絡から、書くことは押し留める。
――――――――
西で頑張っているテルミオ様へ。
元気に毎朝ちゃんと食べて、片付けもしていますか?
西は相変わらず荒れていると聞いています。
殿下からまた動きがあるだろうとお話を伺ったので心配です。
私はつい先日、中継点でもあるルーナ王国へ
殿下とテルミオ様の兄君ジャック様と相方の四人で行きました。
以前は調査で向かったと手紙にしましたが、今回は噂に名高い
月の女神様をお助けに行ったんです。
とても可愛らしくお優しい方で、なかなか伴侶を迎えてくださらない
殿下も珍しく夢中になっているほどです。
期待できそうですよ!テルミオ様!
貴方がこちらへ帰って来られた時は話したいことが沢山あります。
どうかご無事で、任務を終えられますよう。
――――――――
それは親友のセージからのものだった。
クラウスから尋ねられれば素直に報告するのも躊躇わないが、西の出方がまだ正確に
わかっていない現状で、わざわざ火に油を注ぐようなことをしたくない。
それに女性に興味を持たなかった人間が、初めて自身の心を傾けている存在に危機が
迫っていると知ればそちらを先に潰すことを考えないわけがない。
折角うまくいきそうだと親友が期待しているのだから、少しでも長く彼らには時間を
作ってもらって互いの信頼を築いてほしい。
そんな願いを込めて書かなかったし、戻ってからも報告しなかった。
初めてクラウスに――隠し事をしたのだ。
「……お前もつくづく、クラウスが好きだよな。」
黙って話を聞いていた兄の最初の一言はそれだった。
じとっとした目で見られ、あまり気分の良くないそれから顔を背ける。
「殿下は僕に正しい道を示してくれた方だからね。その御方が迎えた出逢いを邪魔
するような無粋な真似はしたくないし、幸せになってほしい。兄様だってそう思って
いるくせに。」
「当然だろ!あいつは仕事真面目人間過ぎるからな。もっとオレみたいに自由に
遊んで飛び回る楽しみを知るべきなんだ!」
「兄様は逆に殿下を見習って真面目に仕事してほしいんだけど。」
「ふっ……オレは優秀だから、真面目でなくても仕事に支障は無い。」
「うわぁ……」
本気で自画自賛する兄に引きながら、何枚目かのクッキーを頬張る。
「そういえばよ。庭園に出た不審者は詰問したのか?」
一転して真面目な声色で聞いてきた兄へ首を横に振って応え、用意された茶を啜って
から追って答えた。
「……聞かなくても『毒』持ちだったからわかった。というか、死んだ。」
「自害したのか。」
「ううん。どうやらもう一匹いたらしくてね。仲間に殺されて、そいつも捕まり
そうになったからー……そいつは、自害したのかな。」
「かなって。見てないのかよ。」
「えーだって。こわーいお姉様に出くわしちゃった人のその後は……ねぇ?」
察して。というような笑顔を浮かべて見上げれば、兄は苦笑して静かに頷いた。
兄弟間でのみ通じる『怖いお姉様』とは、女性でありながら兵士の教育を担当して
いる教官の一人で、普段は軍部に詰めている。
侯爵令嬢なのに華やかな温かいドレスよりも重く冷たい鎧を着ている方が圧倒的に
多く、その指導は兵士であれば誰にでも平等で身分は全く盾にならない。
まさに実力の中で生きている彼女に、兄弟は幾度となく打ちのめされている。
「で、でもよ……どうしてそのお姉様が王宮にいるんだ……?」
「俺が彼女に頼んだからだ。」
「あ。お帰り殿下!」
テルミオはすかさずクラウスの方を振り返り、彼の表情が報告を受けた直後よりも
いくらか明るくなっていたことに内心でほっとしながら、皿に残っていた最後の
クッキーを笑顔で差し出した。
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