#38


その日の夕刻――王宮内はやや騒がしかった。


お昼に敷地内である庭園に侵入者があったのだから無理もないが、この騒がしさは

きっとそれだけではない。


侍女に食事は部屋へ運ぶよう伝えるためマチルダは側におらず、リゼリーは一人で

考え事をしながら窓越しに月を眺めていた。



『時期に殿下は戦場へ赴くことになる。多分、リゼリー様の為に戦うんだ。ご自分の

希望する未来を手にするために想いを貫くために。』



テルミオから聞いた、戦争が始まるだろう言葉。


彼の話が本当ならグランウッド王国はどこと戦うことになるのだろうか。


やはり中立を守ってきたルーナ王国と……今の父がきっと『クラウスは怪しい』と

踏んで、宣戦布告をしてきたのかもしれない。


もしかしたら庭園で襲ってきた男も実は父の差し金で、自分を何としてでも国へ

取り戻す為に送ったのかもしれない。


戦争の準備をするということは――


交渉が決裂し、それでもどちらかの希望を通す為に実力行使で相手を黙らせ平伏

させる最後の手段に移らざるをえなかったといこと。



お父様は国を、民の安寧を守るために私の祈りを必要としていて。


クラウスは私に生きて傍にいてほしいと大事にしてくれて。



私は彼らの為に……何ができる――?


思考の途中で聞こえてきた扉をノックする音。


マチルダが戻って来たのかもしれないと思ってリゼリーは返事をしてからすぐに

椅子から立ち上がりそちらへ歩み寄る。


そっと開いた扉の先に見えたのは予想に反した人物だった。



「クラウス……?どうし――」



自分の言葉を遮るように、いつもより少し強く抱きすくめられてリゼリーは唐突な

ことに反応が遅れる。


訪ねてきてすぐに一体どうしたのかと事情を聞きたいけれど、静かに耳を澄ませれば

次第にわかる落ち着かない心音に、彼は急いでここに来たのだろう。


恐らく、日中にあった出来事の報告を受けて。


大切に思う人が襲われたと聞いたら居ても立っても居られない気持ちになるのは

よくわかるし、自分だってきっと同じことをする。


優先するべき仕事があったとしても放って様子を見に来てしまう。


大丈夫。そう伝える為にリゼリーはそっとクラウスの背に手を伸ばして優しく撫で

ながら彼に身を預けて寄り添った。


そうすれば少しずつ落ち着いてくる鼓動と穏やかな呼吸音に安心する。


緩んできた緊張の隙間から顔を上げて確認すれば、自然と重なった視線の先に映る

不安げに揺れる深緑の瞳。



「……テルミオから聞いた。リゼが襲われたと。」



声にも不安の色が含まれていて、いつもよりどこか弱く聞こえる。



「すまない。どうやら警戒態勢がまだ甘かったようなんだ。……君に、怖い思いを

させてしまった。」



後悔して酷く落ち込んだ様子にリゼリーはふるふると首を横に振って懸命に否定し

すぐに言葉を紡いだ。



「びっくりはしたけど……怖くなんて、なかったよ。テルミオ様がすぐに助けて

くれたし……その、仕方ないもん。」


「仕方ない?」


「えっと……話を、聞いたの。クラウスが戦いに行くって。だから忙しくてなかなか

会えなくても、皆がその準備で手薄になっちゃうのも……わかるから。」


「ああ……そのこと、なんだが。」



クラウスは自分から少しだけ視線を反らして迷うように呟き、彼のその言いづらい

という雰囲気が先程少し予想していた展開になりそうで怖くなる。


もし。もしも本当に、グランウッド王国と戦争になったら。



ルーナ王国は確実に負ける。



彼はリゼリーがどれだけかの国を愛し守ろうと尽くしてきたのかを知っている。


だから手加減をして降伏を促そうとするかもしれない。


それでも王族の誇りや意地を張って父らが乗らずに強行に出てしまったとしたら。


いくら優しいクラウスでも、最悪の選択を強いられることになる。


誰も幸せにならない。そんな結末がちらちらと頭の中で見え隠れする。



―――どちらの国も、幸せになる為には。



結局は『それ』しかないのだと、暗に悟らされているようで気持ちは沈む。



「クラウス。私は大丈夫。大丈夫だから。」


「リゼ……だが」


「お仕事、まだ残ってるんだよね。私は待ってるから……クラウスはクラウスにしか

できないことを先にやって。お願い。」


「……ああ。わかった。」



まだ何か言いたそうな顔をしていたけれど素直に引いてくれたクラウスに心の中で

感謝して、ふわりと優しく大きな手で頬を包まれた。


いつものように額にキスをするのかと思って緩く瞳を閉じたが、落ちてきた柔らかな

感触は唇に当たった。


そっと触れるだけの静かな口づけ。


感じたすぐ近くの温かさがゆっくりと離れたときに通る、ひやりとした空気に夢

ではなく現実だと知らされて遅れた鼓動が加速する。



「絶対に、一人で動かないでくれ。」



囁かれるように言われて反射的にこくりと頷くと、クラウスは少し安心したように

淡く笑んで退室していった。


その後しばらく、マチルダが部屋に戻ってくるまでの間中リゼリーはその場に佇んで

何を考えることもできず、ただ閉まった扉をぼんやりと見つめていた。


沈んでいた自身の気持ちが上がっていたことにも気づかないまま。

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