#25


唐突な告白を受けてしばらく頭の中が真っ白になっていたクラウスはリゼリーから

視線が外せないでいた。


これは夢ではなくて現実なのに、地に足が着いているはずなのに、ふわふわと浮いて

いるような感覚が目立って消えない。


徐々に回復する思考が『これは母の差し金だ』と訴えていてそれに納得する自分が

いるのに、真剣に言葉を発したリゼリーを目の当たりにしていると見事に霞んで、

彼女自身の意思で言っているように捉えてしまう。


リゼリーが自分を好きだというのは、本当なのかもしれない。


けれども自然な状態から自然と口をついて出た言葉ではない以上、それをそのまま

受け取って先に進んでしまっていいものかは判断に困るところ。


しかし…この浮ついた気持ちが次への期待を重ねて思考の邪魔をする。


冷静になれ。判断を誤ってはいけない。


とりあえずは、この悪魔のような笑みをした母から離れなければ。



「…あー…その、なんだ。母上。リゼは初めての長旅で疲れているんだ。早く部屋に

案内して休ませたい。」


「はいはい。効果抜群のようで、なによりだわ。」



あっさりと退いた母からリゼリーを取り戻して、衣裳部屋から廊下へ出る間際。


母は最後の最後まで静かに見送ってはくれない。



「クラウス。その子の手、離すんじゃありませんよ。」


「言われなくても、わかっている。」



リゼリーの手を引いて部屋に辿り着くまでの間、彼女はずっと何かに緊張していた。


先の大胆な告白の後に部屋へ行くとなれば…まあ。


思考がそちら側へ傾いてしまうのは仕方ないと思いつつ、クラウスは如何にその

つもりはなくて休ませたいだけなのだと説明するべきか悩む。


誤解が無いように説いた後は、可能なら『好き』という発言が果たしてどういった

経緯で出て来たのか、それは素直に期待していいものなのか確認したい。


部屋に入って静かに扉を閉めるとリゼリーはわかりやすいくらいに小さく跳ねた。


そわそわとして落ち着きが無く、視線も右往左往している。



「…リゼ。」


「は…はい…っ」



ぱちりと合った視線にどきりとしたが、まだ抑えられる。



「何を、そんなに緊張しているんだ。」


「だ、だって…私…クラウスに…その…」



恥ずかし気に少し伏せられた瞳と朱に染まった頬とが相まって、何とも言えない

女性としての魅力が醸し出される。


今すぐに抱きしめて触れ合いたい衝動に駆られながらクラウスは持ち前の自制心で

ぐっと堪えて理性を保つ。


決して手の早い軽い男だとは見られたくない。


見られたくはないのだけれど、少しくらいは…と思ってしまう。


なかなか合わない視線がどうにももどかしく、リゼリーの頬をそっと両手で優しく

包んで上向かせる。


彼女の恥じらいを捨てきれない僅かに揺れる瞳はずっと見つめていたいくらいに

とても綺麗で、誘われるようにゆっくり顔を近づければリゼリーの方が先に目を

閉じてしまった。


嫌がらず抵抗もしないということは、期待してもいいのかもしれない。


ふっと小さく笑ってクラウスはこつんと軽く互いの額を当てた。



「…そんな、無闇に襲ったりはしないよ。それとも…疲れているリゼに手を出せる

ほど、俺は野蛮に見えるだろうか。」



言って、直後にリゼリーは目を瞑ったまま小さく首を横に振って否定した。


それが嬉しくて、堪えていたのに彼女をきゅっと抱きしめてしまう。



「俺はリゼの気持ちを大事にしたい。君に、俺の傍で生きていてほしい。だから…

ゆっくりでもいい。教えてくれないか。」



耳元で優しく囁けばリゼリーはこくりと頷いて塞いでいた視界を開く。


それから部屋に備え付けられたソファに座っていろんなことを話した。


順番に、リゼリーを急きょ迎えに行くことになったきっかけから戻って来て国王

である父と話した今後のことまで。


気づいたのなら隠す必要は無いねと彼女の方もまた、自身のことを語ってくれた。



「私には生まれつき、何かを強く願うと叶う不思議な力があったの。」


「それはじゃあ…もしかして、こちらへ戻って来る間に宿で祈っていた…?」



こくりと頷いて、リゼリーは肯定した。



「うん。追手が来てクラウスたちが危ない目に遭わないようにって。別のことを

お祈りするのはとても久しぶりだったから…ちょっと不安だったんだけど、ちゃんと

叶って良かった。」


「それはまあ、そうだろうな。リゼはずっと何も知らないままルーナ王国の為に

祈っていたわけだし…」


「あ、あのねっ…驚かないで、っていうのは無理だと思うんだけど…私…実は、

全部憶えているの。」



憶えている。と聞いてすぐには何のことなのかわからなかったクラウスだが、数秒

後になって記憶のことだと理解してから、リゼリーが転生を繰り返していることを

思い出して結びつける。


要するに、彼女は一度目の生を受けてから今までの記憶を保持している…と。



「それは…本当、なのか…?」


「本当…だよ。生まれ変わるだけでも気味が悪いのに、記憶もはっきりと憶えている

なんて言ったらとっても怖いよね。だから…アニエスにも話していないの。」


「………。」



クラウスは次に何と言って声を掛ければいいのか迷った。


全てを憶えているということは、つまりは自分がこれまでに共に過ごしてきた親や

姉弟、その代が替わるごとに大小と異なる環境、そして自身の死の瞬間さえも――



「クラウス…?」



想像を絶しすぎてリゼリーが今までに自らの心を失わずに耐えていられた現状が、

とてもじゃないが自分には理解しきれない。


彼女は一体、どこまで優しく――そして強かなのだろう。



「ご、ごめんなさい。やっぱり、気を悪くしちゃったよね。でも…でもね、私は

クラウスにだけは…あんまり隠し事していたくなくて…」



ほろりと涙するリゼリーに驚いてクラウスの思考は現実に戻ってくる。


沈黙していた間に、どうやら彼女に誤解をさせてしまったらしい。



「いや、違う。違うんだ、リゼ。これはその…」


「いいの。クラウスがそう思ってしまうのは当たり前だから。えへへ…変なの。

もう慣れちゃって、平気なはずなのに…。」



必死に笑顔を保って涙を堪えようとするリゼリーの姿に、クラウスは堪えられ

なかった。


慌てて彼女の涙を指で拭って、小さな背中を撫でたり優しく頬や額に口づけて

どうにか落ち着けようとする。


無事に涙は止まったものの…恥じらいが戻ってきたリゼリーは可愛すぎてこちらの

思考を鈍らせようとするから困る。


今は話を…話をしなければ。



「すまない。決して気を悪くしたわけではないんだ。ただ…リゼが今までのことを

全て憶えているということを具体的に想像したら…。君に、何と声を掛けたらいい

のか…わからなくなってしまった。」


「クラウス…。」


「リゼ。君はずっと、一人で大きく大切なものを負って…祈っていたんだな。俺は

それを少しでも、担っていいだろうか…?」



ふわりと、リゼリーはクラウスに抱き着いて何度も頷いた。


顔を見なくても彼女が嬉しそうに笑っていて、同時にまた涙を溢していることも

微かな体の震えと小さな嗚咽から伝わる。


自分の言動が少しでもリゼリーを救えるなら、より生きたいと笑顔で未来を語れる

ようになれるなら、いくらでも彼女の為に捧げよう。


だからその代わり、リゼリーが自分だけに心を向けてくれたなら。

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