#22


三日という時間をかけてようやく着いた四年ぶりのルーナ王国。


街中が嫌なくらいにしんと静まり返り、決して時間帯が夜だからという理由だけで

ないことはクラウスの勘が強く訴えていた。


王宮へ――秘密の庭園へ急がなければ。


馬に乗ったまま正門の方へ向かう途中…背後で大きな鐘の音が一つ、鳴った。


早く。早く。そう自分の後ろから何かが急かすように。


自分たちを出迎えた門番の兵士たちは驚きを隠せないままジャックの巧みな言葉に

乗せられて門を開いた。


馬を預けて王宮内へと足を踏み入れてすぐに向かった、秘密の庭園へと続く長い

廊下の真ん中。


四年前に会った時よりも背が伸びて少し大人の女性らしく成長したアニエスが肩を

揺らして一人立ち尽くしている。



「…アニエス?」



びくりと体を震わせて振り返った彼女は、泣いていた。



「クラウス様…!お姉さまを…お姉さまを助けてください…っ!」


「どうした。一体、何があったんだ。」


「司祭が話していたことを聞いたんですの。今夜…月が一番高くに昇った時に、

お姉さまを…っ…わたくしではもう、お父様たちを止めることができませんの…。

だから、だからどうか…クラウス様がお姉さまを攫ってくださいまし!」



アニエスから半ば乱暴に渡されたのは、四年前のあの時にクラウスがリゼにかけて

置いていったローブ。


『旅人』に変装していた、あの時の。



「アニエス…どうして君が、これを…?」


「早く!早く行ってちょうだい!お姉さまを…守って!」



有無をいわさずアニエスに強く背を押され、クラウスは彼女を気にかけながらも

庭園へと走った。


アーチ形の扉をくぐって、眼前に広がるいつまでも変わらない広い草原。


夜空に大きな姿を現した丸い月は何故だか綺麗に見えなかった。


絶望へのカウントダウンをされているかのように、ゆっくりと時間をかけて高くへ

昇り続けるそれが、今宵は忌々しくこの目に映る。



「…リゼ!どこにいるんだ!」



リゼリーの姿を探してクラウスは庭園を駆けた。


彼女がいるとしたら、あの場所しか今は思いつかない。



「リゼ…っ!」



息を切らせて向かったのは下に湖を眺めることができる小高い丘。


リゼリーはその場所をとても気に入っていた。


着いて見上げたその先に――出会った時と同じように、彼女は月の眩しい光を受けて

儚く光っていた。


風前の灯火。そんな言葉がとてもよく似合うような。



「え……クラウス…?」



信じられないといった様子で振り返ったリゼリーに、四年前のような幼さはどこかへ

消えていた。


月の女神と呼ばれるのが相応しいくらいに美しく可憐に成長していた。


本当なら再会の喜びにきつく抱きしめて、今までの寂しさを埋めたいくらいに

彼女を感じていたい。


けれどもそんな時間は…



「リゼ。ここから出よう。アニエスから君を守れと…攫ってくれと頼まれた。」


「アニエスが、そんなことを…?私は…ごめんなさい。行けないの。」


「どうしてだ。君が…リゼが、月の女神だからか。」


「……っ」



リゼリーが息を呑むのがわかった。


それだけで自分の中で出した答えが不確実なものから確実なものへと変わる。



「君はもう、何度巡った?何度この国を窮地から救った?君を愛し、慕ってくれる

人はどのくらいいるんだ…?」


「わかってる。わかってるよ…。死んでもまた同じ姿で生まれてきて、気味悪く

思う人が増えてることだって…私を知ってた人たちはみんな…とうの昔にいなく

なっちゃったことだって…。」


「この国は建国した当時よりもずっと栄えた。人も集まり、兵も育っている。

君一人が犠牲になり続けている必要だって、無いはずだ。」


「そんなことを言わないで、クラウス。私には…生き続けられる自信が無いの。

このまま生きていたとして…私の価値なんて…」



涙声になって俯いたリゼリーに、クラウスは頭を悩ませた。


彼女が繰り返し生まれて生き続けてきたのは国の平和と繁栄の為に。


たとえ彼女を慕い敬う人間がいなくなったとしても、顔も名前も知らない誰かの

安寧を守れることに自分の存在価値を見出して日々を送らなければ、今までの

想いも願いも無駄になってしまうと思い込んで。


決して、そんなことはないというのに。


リゼリーに生きる価値を与えてくれる存在が、国と過去から続く想いならば。


クラウスは彼女の手を取って少し強く握った。


それに驚いてこちらを見上げたリゼリーと視線が合ったのを確認してから、本気

だと感じさせる為にも語気を強めて言い放つ。



「リゼ。国の為ではなく、俺の為に生きてくれないか。君に生きる自信が無いと

言うのなら、俺が君の生きる理由になる。」



だからどうか。


一人で、今より生きることを諦めないでくれ。



懇願するように紡がれた言葉は、リゼリーの瞳を涙で溢れさせる。


何度も同じ世界を巡って、誰にも求められなくなった彼女の心は犠牲になることに

慣れ過ぎてしまっていた。


今回も少しばかり異例ではあったけれど、四年という月日が諦める気持ちを優先

させて、消しきれない個人的な気持ちだけが独り歩きしていた。


その気持ちがまたこうして、前面に出てくるのはとても早くて。


一度死んでまた生まれて…三度目以降の人生から初めて思った。



「……たい…。」


「リゼ…?」


「…生きて…いたいよぉ…っ…」



言葉と同時にぽろぽろと零れた涙は止められない。


リゼリーの主張を当然だと肯定するようにクラウスは彼女を抱きしめた。


遠くで聞こえ続ける鐘の音。


庭園の奥――そこから幾人かの声が近づいてくるのに時間はかからなかった。


クラウスはアニエスから手渡されたローブを咄嗟に羽織り、そのフードを目深く

被って顔を隠す。



「――何奴?!まさか貴様…っ」


「ああ。そのまさか、かな。」


「女神の信仰者だ!衛兵!娘を奪われてはならん!」



さながら、月の女神を攫いに来た信仰者のように振る舞って。



「仲間がいないなんて、誰が言ったかなー?」


「でん…ごほん!相棒!助太刀します!」


「国を救う女神様に手を下すなんて、本当に罰当たりですよね。」



信じて連れて来た仲間たちは、常に自分を見ていてくれる。


長い付き合いが、次にどのように動けばいいのか彼らに指示を出さなくとも視線

だけで合図が取れるようにしてくれている。


クラウスはリゼリーを横抱きにして、ジャックが切り開いてくれた退路を進む。


背後で聞こえる仲間の勇ましい声とリゼリーを攫われたことに憤慨する司祭の声に

混じって、全く別の声が四方からした。


何事かと周囲を見回せば自分や仲間たちと同じようにローブを纏った人間が次から

次へと闇夜から現れては衛兵たちの足止めをする。



「その子を頼む!」


「女神様は俺たちの希望だ!」


「神殺しの王族を赦すな!」


「あんたになら、任せられる!」



クラウスの傍を通る度に掛けられる、今でも月の女神を信じる者たちの声。


顔も名前もわからなくとも…リゼリーを慕う人間はこんなにもいた。


自分の腕に抱かれた彼女もそのことを痛感しているらしく、ただ静かに綺麗な

涙を流していた。


森の中を抜け、仲間たちが事前に連れてきたであろう愛馬にリゼリーと二人で

乗ってすぐに駆け出す。


ジャックと軍友二人も後から遅れて続き、本格的に追手がかかる前にルーナ王国から

できるだけ遠く離れた場所まで走った。


可能ならこのまま夜通しで移動したいが、遠征に慣れていないリゼリーに無理を

強いることになってしまう。


それだけは避けたいので、やはり行きと同じように途中の村で休憩を挟みながらの

帰国となるのは仕方ない。


宿で休む度にリゼリーが何かに祈っている姿を見かけたけれど、クラウスは追手の

見張りに徹していたかったので聞けなかった。


ルーナ王国からリゼリーを攫っての三日後。


残りの道中は不思議に思ってしまうくらいに順調で、彼らがあんなに彼女へ執着して

いたにもかかわらず追手は一人として来なかった。


無事にグランウッドへ帰って来て、一番に出迎えたのは王妃である母。



「まああっ!クラウスがこんなに可愛い子を…!」



リゼリーを一目見るなり瞳を輝かせて彼女を連れて行ってしまった。


悪いようにはしないだろうことはわかっていても、せめてお互いの紹介からこう

なってしまった過程の話はざっくりでもしたかった。


仕方ない。とため息を吐けば、すぐ隣でジャックに肩を叩かれ頷かれる。



「そんなもんなんだよな。息子しかいない家庭の母親ってさ。」


「……はあ。」



クラウスには彼の言いたいことがさっぱりだったが、それに突っ込んでいる余裕も

無ければ時間も無い。


無事に帰って来れたのだからそれで良し。とはいかないのがこの世界なのだ。


リゼリーの生きる理由になると、彼女を攫うと決めたのだから、自分のしでかした

ことには最後まで責任を持たなくてはならない。


クラウスはすぐに謁見の間へと向かう。


父に結果を話し、これからのことをどう考えているのか伝えるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る