#28


王宮の庭師自慢の広大な庭園は複数の区画に分かれていて、それぞれにコンセプトが

あるらしい。


それが何なのかは植物に興味の無いクラウスにとってはわからないのだが、茶会

などで訪れる令嬢たちにとっては感動的で貴重なのだとか。


幼少期によく母に連れられては『あの花は…』『この植木は…』と誇らしげに語られ

薄い反応を示しては何故か叱られたのを憶えている。


冷涼な今の次期なら、確か西側の区画が一番の見所だったはず。


思い立ってクラウスはそちらの方向へリゼリーを案内し、予想通りにたわわと咲き

誇っている花々と巡り会えた。



「わあ…っ!とっても綺麗。ねえ、クラウス。このお花は何ていうの?」


「ああ。それは…」



聞かれて自分でも不思議なくらいに出てくる花の名前。


興味は今でも無いのだけれど、母に仕込まれた知識だけはしっかりと活きている

ようで言葉に詰まらない。


答える度に尊敬の眼差しを向けてくるリゼリーが可愛いのでついつい花に関する

マメ知識なんかも語ってしまう。



「この花には古くから言い伝えがあるらしくてな。なんでも、茶に煎じて淹れると

人の心を自在に操る効能があるとかなんとか。」


「そ、そんな怖いお花ってあるの…?」


「ただの伝説だろう。それが事実なら、今頃は戦争なんてどこもしていないさ。」


「そう…だよね…。でも、どうしてそんなお話ができたのかな。」


「諸説はあるんだろう。例えば好きだった花に願を掛けて仕込んだら叶ってしまった

とか、心の病に伏した者に使ったら治ったとか…色々な。」



ひとしきりぐるっと庭園を回った後、二人は緩やかな風の吹き抜ける草原の上に

並んで座った。


まだ空高くに昇っている陽を眺めながら久々のゆっくりとした時間に癒され和んだ

クラウスが執務室に戻りたくないと片隅に思い始めた頃。


誰かが誰かを呼ぶような声が庭園の奥から聞こえた気がした。



「ねえクラウス。誰かが人を探しているみたい。」


「…そのようだな。」


「庭園は広いし、手伝ってあげた方がいいかな。」



立ち上がりそうになったリゼリーの腕を、クラウスは咄嗟に引いて抱き込む。


予期しないことにバランスを崩した彼女は小さな悲鳴を上げて自分の中に収まるも、

傍から見ればリゼリーがクラウスを押し倒しているような構図だった。


そのことよりも遠くからする声の方に気を取られていた本人は、その声の主が自分を

探しているのだということを知っていて、まだ戻りたくない意識が強いために現状の

把握が疎かになってしまう。


庭園内に響く声が静まってようやくリゼリーに意識を戻せば、顔を真っ赤にした

彼女と視線が合って驚く。



「リ、リゼ…?どうした…?」


「ど、どうしたって…クラウスの方だよ…っ…きゅ、急に、こんな…」



言っていて恥ずかしくなったのか段々と細くなっていく声に、つい今しがた自分が

リゼリーにしたことを思い出す。


そしてすぐ目の前で羞恥と戦っている彼女の状態に気づいたが既に遅く。


こうなっては謝って弁解するよりもこの状況を逆に利用して自分のペースに巻き

込んでしまった方が、後々になってぎくしゃくしないのでは。



「ああ…そう、だな。正直に言うよ。リゼに、触れたくなった。」


「えっ…」


「リゼが寂しいと思ってくれたように、俺もリゼに会えなくて寂しかった。ずっと、

こうして触れ合いたいと思っていた。」


「ク、クラウス…」



抱きしめて密着した彼女の、小さくて華奢な身体から聞こえる早足な鼓動につられて

クラウス自身の気も急くのがわかった。


わかったけれど、リゼリーからいつぞやの真偽を明らかにするまでは一人先に走り

出してはいけない。


それでも実に堪えづらい触れたい欲求があるのは本当なので、額や頬に口づけを

落としながら意を示し彼女の耳元で囁く。



「…なぁリゼ。気になっていることがあるんだ。」


「ん…うん…。なに…?」


「俺と母が口論になりかけた時、リゼが言ったあの言葉は…」



皆まで言う前に、大人しかったリゼリーはがばっと勢いよく起き上がって離れた。



「あああ、あのっ…あれ、あれは…!ちがうの!…じゃなくて、そうなんだけど…

ちがくて…!」



そのあまりの速さに変な聞き方をしてしまったかと焦ったがすぐに返って来た彼女の

言葉でそうでないことがわかって安堵する。


説明したいのにうまく口が回らないといった様子のリゼリーに落ち着くようにと

手を伸ばせば、彼女はよりクラウスから距離を取った。


そして。



「ご、ごめんなさい…っ!」



リゼリーは脱兎の如くその場から逃げていってしまった。


これは一体、どのように受け取ればいいのか…クラウスは大いに悩みながら一人

草原の上に寝転がる。


本来ならその謝罪の意味も含めて知る為に追いかけるべきなのかもしれないが、

万が一にも問いただして仲がこじれるようなことがあっては困る。


それに自分にはこういった場合にうまく立ち回って女性の心を掴めるほど経験も

無ければ、頼れる人間も個性的過ぎて参考にならない。


リゼリーの、あの静かで澄んでいる雰囲気に繊細かつ純粋でありながら強かな気概は

他の誰とも重ならず、まさに彼女だけにしかない特別なもの。



「ああ…難しいな…。」



聞きたいこともうまく聞けず、思うようにならないことに悶々とする。


他にも何か方法はあったはず。どうして考えられなかった。


いつもならもっと冷静に対応して状況を維持しつつ好転させてきたのに、リゼリーを

前にすると急いてしまって正確な判断を誤る。


それでも遠征で各地を駆け回っている時よりも、軍務や政務でただひたすらに使命を

全うしている時よりも、気持ちは軽く温かい。


傍にいれば触れていたいし、離れていれば思いに馳せる。


今までに一度として無かったこの気持ちを、人は何と言って表していただろうか。



「……ああ。そうか。これが…」


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