#1


東の大陸に栄える軍事国家グランウッドは現在、あることで非常に盛り上がって

いた。


それが16歳の成人を迎えた第一王子――クラウスの婚約者を決めること。


現役軍人であり軍務に勤しむ多忙な彼はそれどころではない状態なのだが、父である

国王が主催する月に二度の夜会には必ず出席しなければならない。


ここ数か月ほど続く穏やかな世の平和を心の遠くのほうで恨みながら華やかな会場の

椅子に座っていたクラウスは何度目かのため息を吐いていた。



「……遠征に行きたい。」



低く不満げにそう呟けば傍らにいた従者であり親友のジャックが楽しそうに笑って

肩を揺らしているのがわかる。



「殿下。それなら早く婚約者をお決めになれば、こんな茶番のような退屈な夜会に

出なくて済みますよ。」


「無理だ。決めたら決めたでその後が面倒すぎる。ただでさえ軍務が忙しいという

のにその上に婚約者の相手もしてやらないととなったら…俺は一体いつ心穏やかに

過ごせばいいんだ。」


「真面目に考え過ぎですよ殿下は。婚約者だからといってその女性に構い続ける

決まりはありませんし、多少放っておいても一国の王子である貴方に異を唱える

度胸のある令嬢はいませんよ。」


「だとしても…」



席に着いたままクラウスがちらりと会場を見やれば、彼の声がかかるのを今か今かと

待ち望み期待に目を輝かせる令嬢たちの姿ばかり。


彼女たちの中で一体どれくらいが上にのし上がろうと野望を持った者たちで、反対に

純粋に自分へ憧れ好意を寄せている者なのか。


はたまた興味をもっていないと装ってその実は鋭くこちらを観察して狙っている

ハンターなのか。


どの道この会場に集まってきた人間は少なからず自分と婚姻関係を結びたいと思って

いる輩なのだ。


そして自分はまだ、誰も娶るつもりはない。


憂鬱な面持ちのまま席を立てばそれだけで視線は集まり、黒に近い紺の髪をふわりと

揺らしながら歩けば黄色い悲鳴が上がり、よく不機嫌なのではと周囲に勘違いされる

鋭いらしい目で適当に視界に入った女性を見れば失神される。


どうにか失神しないで耐えた幾人かの令嬢と簡単な挨拶を交わしダンスをする。


噂では他国の王子たちはこれを笑顔で喜んでやってのけるというのだから自分には

信じられない。


定期的な視察や軍務を優先するクラウスにとっては苦痛以外の何物でもなかった。


この日も、いつも通り一定の時間まで適当に過ごしてから会場を後にする。


追って来たジャックはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべたまま特に何も口にせず

一緒にクラウスの自室までやってきた。


そして毎回飽きずに吹き出して親友を笑い者にするのだ。



「…お前もよくまあ、飽きないな。」


「はっはっは!だって!クラウス、お前のあの顔ときたら…っ…あれでさ、お嬢様

たちは自分が好感もたれてるかもって思ってるんだぜ?」



おかしくて笑うしかないと一気に砕けた様子のジャックを特に気にすることもせず

クラウスは大きなソファに身を沈めた。


ふかふかとした柔らかな感触が先程までの憂鬱な気分を少しだけ癒してくれる。



「ああ、それでさ。何日か前に話した例の案件。確かめに行ってみるか?」



腹を抱えて笑っていたのが嘘のように、一転して今度は真剣な表情でそう言って

ジャックは向かいのソファに座った。


例の案件。というのは、長きに渡り領土争いが繰り広げられた時代において東と西を

繋ぐ間に位置する国――ルーナ王国の調査である。


今でも気を抜けば血で血を洗うような戦争が簡単に起こってしまうほど戦好きで

血気盛んな王族がごろごろと残っているなか、中立を保つルーナ王国はどこからも

攻められず且つ他国と同盟を結び守ってもらっているわけでもない。


王宮へ出入りする渡り商人やルーナ王国との貿易で向かわせた使者の話によると

国王夫妻は至って普通の王族なのだという。


知略に長け人心の掌握を得意としているわけでもなし。


他国との取引においても無難な線しか辿らない。


同盟国ももたず自国のみで中立を守り続けるには何かしらの強みがなければまだ

今の時代では生き残れない。


それがわからないほど愚かな国王であれば既に滅んでいるか他に下っている。



――ルーナ王国には、なにかある。



そう思い立ってかの国に探りを入れているのはグランウッドに限らず他の国も同様に

『親睦を深める』意味で使者を送っていた。


事あるごとに戦争を回避し平和を謳歌している王国など、全ての民からすれば楽園

以外の何物でもないが戦争狂の国からしてみれば絶対に支配できない国だから非常に

おもしろくない。


幾つかの国は如何にしてルーナ王国を攻め落とすか画策しているらしい。


そして、なかなか成果の上がらない調査は遠征を得意とするクラウスに回ってきた。


クラウスは貴族とのやり取りよりも平民との交流の方が性に合っているようで、

遠征先で立ち寄った村々で歓迎される。


彼自身もその歓迎を心から喜び農民に混じって作業を手伝う度に護衛からため息を

もらっていた。


しかし結局はその甲斐あって民から有力な情報を得たり時に他国から潜伏してきた

輩に奇襲をかけられても大事には至らずオマケに農民は味方でいてくれる。


父王もその評判を知っているからこそ、重要な遠征では必ずクラウスを使う。


今回の調査に関しては重要性は高くないが非常に難航していることから使者が音を

上げてクラウスに頼めないのか進言したもの。


本人としても丁度この騒がしく落ち着けない国から抜け出したいと思っていた頃合い

なので、とてもありがたい話である。


ではあるのだが。



「ちなみに、期間はどのくらいなんだ。」


「どこの国も難航してるからな。特に細かい指定はないみたいだけど、国王様から

夜会は外さないように言われてるぜ。」


「待て。ルーナ王国まで確か馬を飛ばして三日はかかるよな。往復で六日…次の

夜会が二週間後だから…八日間しかない。それで何か掴めと…?」


「別に強制ってわけじゃないから無理なら断ってもいいんじゃないか?まあ…

断ったら断ったでご令嬢の皆様に追われる毎日だろうけど。」



クスクスと楽しそうに笑うジャックを恨めしそうに睨みながらクラウスはどうするか

改めて頭を悩ます。


難航することを承知で調査に出て束の間の解放に喜ぶか、諦めて軍務に向かう度に

待ち構える令嬢の波に立ち向かうのか。


どう考えても圧倒的に前者の方がいい。


既にクラウスの答えがわかっているだろうジャックは嬉々としてこちらの言葉を

待っているように見えるから余計に憎らしい。



「…わかった。ルーナ王国の調査に行こう。ついでにあちらの国王夫妻に挨拶へ

伺うのもいいだろう。すぐに準備してくれ。」


「はいよ。向こうでももみくちゃにされないといいな。」


「さっさと行け!」



最後までからかってくる親友を追い出すように怒鳴っても、長い付き合いからか

その効力はとても薄い。


ジャックは『おお怖い。』とわざと肩を竦めてみせてはいても顔は眩しいほどの

笑顔を浮かべたまま崩れなかった。


親友が部屋を出て行ったのを確認してからクラウスはようやく戻って来た一人の

時間に心を落ち着ける。


ぼんやりと調査の話が回って来た日に渡された今までの報告書を眺めながら、明日

からの解放された日々を淡く期待した。

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