7−3「部屋から出てきた老人」

「そろそろ2時間か…朝食まだでしょう?」


清掃車での移動中。主任はそういうとゴソゴソと後ろの荷台のリュックを探り、ケース型のカセットコンロを取り出すとついで上に網を乗せてアルミホイルで包んだハムチーズ入りのイングリッシュマフィンをじりじりと焼き始める。


「…え、ここで料理とかしていいんですか?」


低速の清掃車の上だからこそ出来る芸当だが、清掃中に飲食して良いなんて聞いたこともない。すると主任は「いいの、いいの」と言いながら防護服のマスクを外しペットボトルのお茶に口をつける。


「この場合、むしろ適当な部屋で食事して行方不明になった方が問題だもの。」


(…そういうものかなあ)と思いつつ主任の指示で右に曲がると、奥の通路に薄ぼんやりの輪郭の見える僕らと同型機の清掃車とライトの灯りが見えた。


「あ、ちょいストップ。」


そういうなり、主任は僕の動かしている清掃車の運転席へと手を伸ばしライトをカチカチと点けたり消したりいじり始める。


(…何してるんだろう。)すると、向かい側からもカチカチとライトの左右点滅が見え、それが3分ほど続いたかと思うと向かいの清掃車は向きを変えて次の曲がり角へと消えていった。


「あれ、昨年度ここを担当した清掃班の車なの。さっきコンタクトしていたのはそこの班の人でね。時空が曲がっているのはお互い知っているし、気をつけましょうとは言ったけど、あの車に乗っていた運転席の子はうっかりどこかの部屋に落ちちゃってね…未だに帰ってきていないのよね。」


さらっと恐ろしいことを言いながらも主任は「あちちっ」と言いながらホイルに包まれたイングリッシュマフィンをくれる。


「火傷しないように気をつけてね。この先は直進だし、運転代わってあげるから食事がてらに外の景色でも見てなさいな。」


「…はあ」と言いつつマフィンをパクつく僕。


近くの部屋を見ると棚に並んでいた書物が水の中に溶けていき、青色に発光する小エビのような生物へと変化していく。それを主任も見ていたらしく片手でマフィンをパクつきながら声を上げた。


「あー、あれね。私も2、3回見たことあるけど、どうも水の中に長時間浸けられた物体はああなっちゃうみたい。君も落ちないように気をつけようね。」


ほんのり甘い手のひらほどのマフィンはあっという間に無くなってしまい、僕は自分がかなりお腹を空かせていたことに気がついた。


「帰ってきたらジェームズにちゃんとしたご飯を作ってもらいなさい。ちょうど大きなプロジェクトが完了して今日から特別休暇をもらったところだし、上の食料品店でパスタを選んでいたところを見るに事前に頼まれていたんでしょう?」


(う…図星だ。)僕はそれを聞くと、縮こまってお茶を飲む。


昨日ジェームズは帰って来るなり僕の仕事内容を聞き出し、近くのスーパーでは手に入らない海外のパスタを3点ほど注文してきたのだ。聞けば、自分の仕事が無事に終わり気晴らしに美味しいイタリア料理を作ってやるとのことだった。


「なんだかんだ言って品物の取り揃えはいいからね。ここの店は。」


そして食事が終わったので清掃車を止めて主任と運転を代わろうとすると、ふと後ろの小部屋から一人の老人が出てくるのが見えた。


「ぱ…パンをくれないか?さっき、良い匂いがしただろう。」


たどたどしくそう語りながらこちらへとやってくる老人。彼はヒゲも白髪も伸び放題で、ずぶ濡れのボロ布をかろうじて体に巻きつけた姿でこちらへとよたよたとやってくる。


僕は運転席を変わりながらも痛々しい老人のために食料を探そうとリュックに手を伸ばしたが、主任はどこか思うところがあるらしくその手で制し、老人にこう尋ねた。


「私たち、ここの清掃をしているんですけれど、あなたはいつからここにいらっしゃいますか?」


濃い海藻とカビの匂いを漂わせる老人はゼエゼエと喘ぎながら、こう答えた。


「ずっと、数えるのもわからないほどにここにいる。」


主任は周囲を見渡してから老人に切り返す。


「大変でしたね。食べるものもないでしょうに。」


その言葉を聞くと老人は大きく頷いた。


「…そうだ、だから私はここにあるものを何でも食ったんだ。そうしてでもおかねば私は生きていくことができず、どれほど大変な思いを…」


だが、その先を続ける前に主任は運転席のエンジンをかけた。


「でしたら、申し訳有りませんが食料をお渡しすることはできません。別の方を当たってください。」


そして、主任は素早く僕に「早く、清掃車を動かして」と耳打ちした。

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