6−4「脱出」

目の前に立ちはだかる自分の背よりもはるかに高い人型の木を見た里中さんは、当然のように動きを止める。


…いや、止まっただけではない。


腕や足が茶色の幹のように硬く変化していき、ざわざわと全身から植物の葉や根が茂り足元を中心に緑色の苔が周りを侵食していく。


「動いちゃダメよ。絶対に。」


主任の言葉と同時に、もはや一本の木となり動くことのできない里中さんの隙間を縫うかたちで人型の木はずるりと身を乗り出す。そして、周囲に背の高い草を大量に生やしていきながら僕らの方へとゆっくりゆっくりと歩き出す。


…だが、その足が途中で止まった。


僕らのところであと一歩というところ。

窓からの光が木の足元まで届いていた。


人型の植物はそれをじっと見つめた後、僕らを一瞥してから隣の扉をくぐっていき、今度は事務室の中をゆっくりゆっくりと歩いていった。


「…縄、切るわよ。」


主任は人型の木が完全に去って行ったのを見送ると、持っていた包丁で僕の体を固定している縄を切断し、自由にしてくれた。


「ほい、じゃあ窓から脱出して応援が来るのを待ちましょう。植物は報告書によれば紫外線に弱くてね。日光を浴びている人や物には近づけないの。逆に暗いところでは急成長して人間含めて生物を自分の苗木にしようと寄ってくるし撤去班が回収していた紫外線カプセルが壊れたから、ああなっちゃったってわけね。」


そう言いながら外に出ると主任は社有車を見て文句を言った。


「あ、鍵が壊されてるしタイヤもパンクしてる。クッソ、車も替えないと。」


そして車のドアを開けるなり無事だったお茶のボトルを見つけ、主任はキュルッと蓋を外して一気飲みする。


「あー、美味しー。やっぱ暑い日はこの一杯よ。」


ついで、タイヤがパンクしているにも関わらず車の運転席に腰を落ち着けると、残りのしずくを必死に飲もうとする主任。


だが、僕が開けたお茶に口をつけない様子を見ると、その蓋を閉めて「ふうっ」とため息をついてこう言った。


「あの子ね、うちの会社に連れて行けば戻るから。」


瞬間、僕は主任の顔を見る。


「…うん?嘘じゃないわよ。じゃなきゃそこまで放置していないわよ。紫外線で周囲を囲んで24時間安静にさせておけば自然と植物部分が剥げ落ちるって、この報告書に研究結果を書いた会社の科学研究部門の漆原博士が言ってたもん。」


語尾に「もん」をつけながら最後は駄々っ子のようにスマホの画面をパシパシと叩いて怒る主任。(…というか誰だよ、漆原博士って。)


「あ、ちなみにこの名前はコードネームで本名じゃないの。本人は植物学の権威で海外の名門大学を飛び級で卒業して40歳で大学の教授になったのに、ここに引き抜かれてから散々専門外のこともふっかけられて1年で頭が薄くなっちゃった可哀想な人で、このあいだなんか…」


そして、見も知らない博士の個人的な悲しい話を聞かされそうになったその時、数台の社有車がこちらへとやってくるのが見えた。


「あー応援も遅いなあ…SOSから10分以上も経ってるじゃん。」


主任はそう言うと、僕をちらりと見てからぼそりと言った。


「…ま、彼女は活動に関してもまだ初犯っぽかったし必死に周りをコントロールしようとしているようにも見えたから、きっと、情状酌量の余地ありってことでそう悪いようにはならないはずよ。」


ついで一台の車が止まり、報告をしに行くのか主任はドアを開けて外へと出る。


(それなら、まだ良いのか…)


僕は車内に置かれてしまっていたためにすっかり温くなってしまったボトルを見つめると、蓋を開けてお茶に口をつけた。

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