9−10「最終演目」
「…ち、大賀見の奴。こんなことまで出来たのか。」
観客席の隣にいる主任は舌打ちしながら舞台に設置された大型モニターを見た。
そこに映るのは撮影現場と思しき数人のスタッフとその中に紛れる翼さん…いや、赤みの差した顔立ちや服装から翼さんの妹である小岩井さんがいる。
彼女は不安げな顔で台本を持ちながら隣にいる『マネージャー・
「八森、裏切ったな!俺の翼は、翼はたった一人しかいないはずなのに…!!」
瞬間、マネージャーは顔を青くする。
「加賀本!なんでこんなところに。違う!これにはワケが…」
女性マネージャーの制止を振り切り、叫び声をあげる小岩井さんの腹に加賀元は包丁を突き立てた…かのように見えた。
「え?あ…翼?」
そこに立つのは、腹に包丁が突き刺さったまま血を一滴も流さない女性。
冷たい目で加賀元を見下ろす、小岩井翼さんがそこにいた。
「生き返った…生き返ったのか…!?翼…!」
加賀元の顔は歓喜に変わるも、すぐにゲホゲホと咳き込んでうずくまる。
その背中には包丁が…今しがた彼女の腹に刺したはずの包丁が深々と突き刺さっていた。
『私を殺した。妹も殺そうとした…でも、償うべき人間は2人いる。』
そう言うと翼さんは男の背中からゴボリと回転させながら刃を抜き出し、完全に絶命した加賀元を足元に捨て置くと、マネージャーの女性へと近寄る。
『八森アキナ…妹の夢を奪い続けた女。妹を女優に引き込もうとわざと音楽オーディションで落とすように汚い根回しを続けて…ようやく受かった妹のデビューを機に私が芸能界を引退したいと言ったら、その日にストーカーだった加賀元に私の居場所を教えて殺させた…卑劣な女…』
包丁を持って迫る翼さんにマネージャーは悲鳴をあげながら後退る。
「だって…だってしょうがないじゃない。私はあれほど双子の方が売れると言ったのに、あなたは聞く耳を持たなかった。妹には音楽の才能があるとか、妹には自分の道を進ませてあげたいとか、口を開けば、妹、妹、妹…売れるにはもっと周囲に従うべきなのよ。私は、私の言っていることは間違いだとは思っていない!現に、
『…嘘つき。』
瞬間、マネージャーの目がグルンと裏がえる。
その脳天には包丁が刺さっていた。
『知っているわよ。この子が私の入院していた病院に来た時、あなたが言葉巧みに誘い出すところを。撮影現場は何も知らされていなかったし、監督とあなたは懇意にしていたから、この子を代役デビューさせてしまおうという魂胆だったんでしょう。悲劇のヒロインとして金儲けの道具に使おうとしか考えていない…私は、あなたのそんな打算的な考えが昔から嫌いだったわ…アキナ叔母さん!』
「あ…あ…あ…」
かろうじて息があるのか。声にならない声を上げ、細かく痙攣するマネージャーに翼さんは容赦なく包丁を引き抜く。
「あ…」
はずみで血飛沫が飛び、翼さんの体は血でみるみる赤く染まる。
そして、翼さんは妹のほうを向き…
『…ごめんね。お姉ちゃん人殺しになっちゃった。』
からんと落ちる包丁、両手で顔を覆う翼さん。
よろよろと2、3歩彼女は後退る。
『でも、どうしようもなかった…あなたを助けたかっただけなのに。』
肩を震わせる翼さん。
その姿はどこか泣いているようにも見えた。
『両親が死んで、あの叔母に引き取られて…私は生活費を稼ぐために彼女にそそのかされて芸能界に入って…でも、あなたには自由に生きて欲しかった。叔母に言われるままに働く私とは違う、自分の決めた道を進んで欲しかった…だから、こんなことになって、本当にごめん。』
しゃがみこんで嗚咽を漏らす姉に妹はそっと近づく。
「…お姉ちゃん。泣かないで、だって…」
そして、言葉がかけられる寸前。
別の言葉が遮った。
『…だって、こいつらが全て悪いじゃないか。』
血まみれになったマネージャーと殺した男を床に落とす大賀見。
いつしか目の前のモニターは消えており、舞台の上には血で赤く染まった翼さんと向かい合わせに立っている大賀見の二人だけがいた。
『…ここは?』
呆然と舞台の足元を見る翼さんに一人拍手をしながら大賀見は言った。
『素晴らしい演技だったよ翼嬢。我がテセウス座の中で最高のショーだった。』
『え?でも、私は…』
戸惑う翼さんの肩に優雅に手を置く大賀見。
『君のしたことは一夜の夢、野外劇の一部でしかない。君の犯した全ての罪はこの座長である大賀見が引き受けよう。2人については、我が一座の一員として…まあ、雑用係が妥当になるのかな?ともかく、彼らの面倒はこちらで引き受けよう。では、最後に名演技をしてくれた、翼嬢から一言…!』
瞬間、彼女にスポットライトが当たる。
…その時、彼女が僕の方を向いたのを感じた。
驚き、戸惑い、そして…
『もし、私の妹に会うことがあったら伝えてください。お姉ちゃんはいつでもあなたの幸せを願っているって…』
瞬間、彼女の身体がステージから崩れ落ちていく。
落ちる先は、僕のいる観客席。
僕はとっさに席から立ち上がると彼女を受け止め…
『…上着をかけてくれてありがとう。もう、寒くないから。』
そう言うと、彼女は眠るように目を閉じた。
途端に、観客席から割れんばかりの拍手が起こる。
周囲を見渡すと、そこには客席に座るあふれんばかりの死者がいた。
骨になったもの、半分崩れかけたもの、焼けた死者もいる。
その視線の先にはカーテンコール。
大賀見を中心として、むくりと起き上がった未だに白目を剥いたマネージャーや足元を血まみれにした背中を刺された男、その他、昨日から舞台に上がっていた死者である女優や男優や須藤くんや佐藤くんの姿もそこにはあった。
皆、拍手を受け、それぞれの役割を果たし、満たされた顔で頭を下げる。
死者として頭を下げる。
この劇場の劇団員として頭を下げる。
そして最後のカーテンが引かれると、劇場はシンと静まり返り…
後には、主任と僕と永遠の眠りについた小岩井翼の死体だけがそこにあった。
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