9−9「答えあわせ」
「はい、カット。」
そうして僕と翼さんの顔の間に手刀を入れたのは午後にこちらにやってくると言っていた主任であり、僕も翼さんもお互いハッと顔を上げる。
「…翼ちゃん、でいいのかな?君、さっき助けてくれた人の名前を知っている口ぶりだったけれど。その人の名前を言える?」
その瞬間、翼さんは目をパチクリとさせて『え?』と逆に聞く。
『いえ、妹はその人にお礼を言いたいけど、誰だろうねー?と言ってましたよ。私も知るわけないですし。』
「ん、わかった。じゃあ犯人はこいつだ。」
そう言うなり主任は階段横の衝立をガラガラと横に引き、そこで積み上げられたガラクタの隙間に潜り込み金色の手帳に必死に何かを書きつけている大賀見の姿を露わにする…だが、僕はその顔を見てギョッとした。
大賀見の顔は半分以上炭化しており顔には皮膚下にまで残る大きな焼けただれや眼球が飛び出している様子まで見て取れた…だが、彼はハッとした様子で顔を上げると顔にスッと手を当て、いつもの整った顔立ちに戻す。
『…ああ、お見苦しいものをお見せしてしまってすまなかったね。脚本の筆が進むとつい集中力がおろそかになってしまう。生前も必死に書いている時ほど顔が怖くなりがちだとか言われていたが…』
そこに腕を組んだ主任が冷たい目で言う。
「死者の意識を操作するのもおろそかになりがちね。その情報はこちらで活用させていただくわ。カサンドラについては精神的ストレスを理由に今日の午後から1年以上の長期休暇に入ってもらうから。夕方から別の人間に代わってもらうし、それだけは知らせておくわ。」
ガラクタの隙間から出てきながら大賀見は『ほう』と特に驚いた様子もない。
『彼女も随分と苦労していたようだからね。前々から私は思っていたのだが彼女は南の島のバナナの木の下でのんびり房が落ちてくるのを待つような生活の方が向いているような気がしていたんだ…ねぎらいも込めてゆっくり休むように私からも言っていたと彼女に伝えておいてくれ。』
それに対し、主任は首を横にふる。
「残念ながら、彼女にはここで担当した件について記憶処理を受けてもらうわ。女優であった実の母親が舞台のストレスで入水自殺した挙句にここで劇団員として働かされていたなんて、とても冷静でいられるような事案ではないからね。」
そこで僕は気づく。
(…そういえば、昨日の入水自殺した女優の話を聞いた後で昼食時にカサンドラさんの目が充血していた。あれは、自分の母親との別れに泣いていたものだったのだろうか?)
大賀見はそれに『何のことかな?』と、とぼけて見せる。
「須藤が仲間に引き入れられたのもそれが原因ね。あんたと須藤が数日前に話しているところを見たって撤去班から証言が出ているし、彼は撤去班のベテランで数人分のスマートフォンの管理をしていたって話もあったから。」
主任はそこまで言うと「やれやれ」と首を振る。
「…変だと思ったのよ。取り込まれたのは2人にもかかわらずスマートフォンは3台も手に入れていたから、でも彼が事前に名前を取られて持ち出したなら説明がつく…カサンドラの母親を解放してもらうために須藤の名前とトレードを持ちかけたんじゃない?」
その質問に大賀見はフッと笑った。
『…まるで探偵のようだ。でも、須藤くんはどうして
主任は皮肉げに笑ってみせる。
「よく知ってること…どうやら名前を奪った須藤からあらかた情報を抜き取ったみたいね。まあ、彼はカサンドラとも長年一緒に仕事をしてきたから。1週間前に入ってきた女優に対するカサンドラの動揺ぶりから母親の話を聞いていたみたいだし、そこにつけこんで、あんたが交換条件を持ち出したってところかしら?ちなみに、佐藤の名前については須藤を手に入れた過程で手に入れたと考えているのだけれど…答え合わせとして合ってる?」
主任の質問に大賀見は薄く笑う。
『…まあ、否定する必要もないだろう。そう、私は須藤くんの自己犠牲あふれる精神に感銘を受けて彼の意思を汲んであげる形にしてあげたかった。ゆえに
主任はそれにため息をつく。
「なるほど、筋書きはわかったわ。でも…カサンドラの不信感をあおる形でうちの清掃員とそこの翼ちゃんとくっつけようとしたのは、いただけないわね。」
その言葉にドキッとする僕。
大賀見は『いやいや』と否定する。
『考えても見たまえ、自分の価値観に悩んでいる青年と若手女優との邂逅。最初は不信感から始まるも妹の恩人という接点を皮切りに次第に仲が深まっていき、最後には互いを理解し結ばれていくというハッピーエンド…美しいとは思えないかい?』
主任はそれに首を振る。
「最終的に人を殺す脚本しか作れない
『ほう、作家志望なのか…どうりで』と何かに納得した様子の大賀見。
ガシャンッ
その時、彼の背後で何かが落ちた。
『一応断っておくが、私はあくまで一番幸福な結末を目指して脚本を作っているつもりだ…だが、時には脚本よりも本来あるべき現実の方が残酷なこともある。残念ながら、もはやシナリオの分岐点はとうに過ぎてしまった。あとは進むべき結末へと物語は進むだけだ。』
落ちてきたのは、ガラクタの中に混じっていた1台のポータブルテレビであり、画面から男性のアナウンサーの声が流れる。
『今、入ってきたニュースです。女優でタレントの小岩井翼さんを殺害した容疑で拘留されていた加賀本義弘容疑者が先ほど拘置所から逃亡し、現在も逃走中の身であることが警察関係者からわかりました。加賀本容疑者は逃亡の際に近くの民家に押し入り、刃物を所持しているとの情報も入っており…』
『…あ、そんな。』
声に振り返ると、翼さんがよろよろと階段から立ち上がるのが見えた。
『…そうだ、思い出した。私、殺されたんだ。あいつに…いや、アイツらに。どうしよう…妹が。このままじゃ、妹が危ない…』
ブツブツ言いながら階段の外へと歩き出す翼さん。
何か危ないものを感じ、僕はとっさに彼女を引き止めようとするも…
そこに大賀見が声をかける。
『では、我々テセウス座がその先をサポートしよう。ここでは君は一介の女優。そこで何を起こそうとも、結末がどうなろうとも全ては我が劇団の脚本の1ページの中にしか過ぎない。』
途端にざわざわと周囲の風景が動き出し、翼さんが目の前から姿を消す。
『存分に演技をしたまえ…野外公演の始まりだ。』
大賀見の言葉。
…そして気がつけば、僕らは劇場モニターが引き出された観客席に座っていた。
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