8−4「休□の清掃日*チェック・4」

特別休暇の*日目の朝。


ベッドの上に横たわってスマートフォンの上で指だけを動かす。


眠りたいが眠れない。食事も摂りたいとは思わない。

目を瞑ると嫌な記憶ばかり思い出してしまう。


文章を目で追うだけなら、それほど負担ではないのでそうすることにする。

そう、文章を目で追うだけなら。


『4月2日、場所:第82番倉庫(通称、***)温度*7℃ 湿度2*%

 8:3*〜1*:00まで、途中*回の休憩を挟んで清掃終了。

 防護服着用の上、*の廊下を清掃。数名の***を見るも。異常はなし。』


なぜだろう。どこか文章がぼやけて読めない。

疲れてきているのだろうか。


僕は目をこする。


(…文章だけなら、それなりに整っているのにね。)


漫画を描くのを諦めた頃に母から言われた言葉。


試しに漫画で書いていた短編SFを小説に直し、数篇ほど小さな賞に応募するとそのうち1つが努力賞に入った…と言っても雑誌掲載もされないような佳作以下。


でも、それで希望を持ってしまったのは間違いない。


バイトで生計をつなぐ傍ら、時間を見つけては長編へ繋がるようにコツコツと小説を書き進めるようになった。文章を早く打ち込めるように練習し、自分の1日の書ける平均時間を測定し、文章に齟齬が見られないように何度も校正を繰り返す…そして、小説を書き始めてから3年が経った頃、僕は気づく。


(…評価が、下がってる。)


もはや何の賞にも入らない。

サイト評価は軒並み下がっていく。


原因もわからない。

理由もわからない。


…いや、わかっていた。

本当は何が理由かわかっていた。


『4月*日、場*:第**番倉庫(通称、***)温度*7℃ 湿度2*%

 *:3*〜1*:00まで、途中*回の休*を挟んで清掃終了。

 防護服着用の上、*の廊下を清掃。異常*なし。』


文字が読めない。いや、違う。

…僕はそこで恐ろしいことに気づく。


もしかして、文章が打てなくなっているのではないのか?

もはや、まともな文を紡ぐことさえできなくなっているのではないのか?


そうだ、母親と一緒に実家から別居した後。


実家から離れた分、僕の収入は乏しくなっていく一方で、時間外になろうとも、小説を書く時間は確保するようにしたため寝不足になることも多くなり、そのせいで臨時職の仕事もなかなか進まなくなり月日を追うごとに無視や悪口などの周囲のいじめが酷くなっていき…とうとう、僕は1年も経たずに鬱病を発症した。


(…始ちゃんは何かと何かを一緒にすることができないからね。しばらく、次の仕事を見つけてそれに専念するようにしなさい。)


そして、僕は母の言葉に従うように、小説を書く時間を減らした。


それでも、仕事は1年と続かない。仕事に専念しようとすればするほど自分の中で何か歯車が合わない感じが募り周囲とギクシャクしてしまう。お金がないので休む間も無く次の仕事を探し見つからず、母親に頭を下げて生活費を工面する。


生活保護という考えも頭をもたげたが、それを母は否定した。


(ダメよ、始ちゃんは1度でもその生活に入ったら2度と戻れなくなるわ。)


確かにそうかもしれない。


でも、自分はすでに生きること自体に失敗しているのではないのか?

足掻いても失敗しかないのに、なぜ生きる必要がある。


日を追うごとに生きていくのが辛くなった。

それでも生きている自分が許せなかった。


そして、2年前のある日。


仕事休みに試しにパソコンを開こうとしたら画面が真っ暗なままになった。

何度電源を入れ直しても真っ暗なままだった。


業者に電話を入れると故障だと言われた。

直すにはパソコン1台分以上のお金が必要だと言われた。


お金がない以上、それをどうすることもできない。


バックアップも何も取れていない。

今まで書いてきた小説のデータはパソコンの中で死んでいる。


…いや、そもそも評価も下がっていたのだ。

これ以上、何を書いても意味がなかったのだろう。


足掻くだけ無駄なのだ。

必死になればなるほど失敗するように僕はできている。


『*月*日、**:第**番倉庫(通称、***)温度**℃ 湿度**%

 *:**〜1*:0*まで、途中*回の休*を挟んで清**了。

 *護*着用*上、*の廊下を清掃。異常*なし。』


文字の崩れた日誌を読みながら僕は指さえ動かすことができなくなっていた。


…結局、夢なんて持つだけ無駄なのだ。

生きるのが苦しくなっていくだけなのだから。


なにしろ僕にはもう何も残ってはいないのだから…


「…でも、周囲の人間に迷惑をかけるのは嫌なんでしょ?」


上から聞こえる主任の言葉。

…あれ?そも、なんで主任の言葉が聞こえるのか。


その瞬間、僕はガバッと飛び起きた。


そこは、どこかの病院と思しきベッドの上。腕には輸血の管が付いており、目の下にどこか違和感を感じ、拭い取ると赤いかさぶたのようなものが取れた。


「…第67番倉庫。通称、陸奥蓋むつがさ生体科学研究所。ここはその付属病院の病棟、小菅くんは倉庫掃除の際に事故にあってここに運ばれてきたの。」


横を見るとパイプ椅子に腰掛け、本を片手に持った主任がニヤリと笑う。


「お疲れ様…それと、とりあえず生還おめでとう。」

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