2−7「過去の淀み」

前の職場もその前の職場も僕は毎回同じことを考えていた。


給料は低くても必死に働けばきっと定着する、母親に迷惑をかけないために職場に馴染まなければならない。馴染むためにはどんなことを言われても我慢するべきだ。辛くなっても決して辞めてはいけない。苦しくても我慢しなければ。人はこれを当たり前のようにこなしているんだから。辛いのが普通、息ができなくなりそうになっても、流せるようになるまで我慢するんだ、我慢しろ、我慢しろ…


この数年の間に積み重ねられていた悪夢のような感覚が蘇り、だんだんと立っていることが辛くなってくる。


前の職場を辞めてしまったことは悪いことだったのか?

給料が低くても我慢するのが当たり前だったのだろうか?

医者に勧められて転職することはいけないことだったのか?

いや、そもそもこんなことぐらいで具合が悪くなる自分はどうなのか?

人として生きていくには欠陥品なのではないのだろうか?

でも、死んではいけないと言われている、どうすればいいのか?


無限ループにも似た思考と気分の沈みに玄関先で座りこむ。


いっそ医者から以前にもらった頓服薬を飲もうかとも考えるもパニックになっているせいで、どこにしまったか思い出すことができず余計に焦りが募っていく。


そして、電話口の母は最後にこう言った。


『始ちゃん、前々から思って話しているけれど、あなたは頭の良い方ではないわ。勉強も嫌いだし周りの流れもまるで読むことができない…だから、せめて必死に今の職場にしがみつきなさい。辛くとも流すことを覚えなさい、いいわね。』


「…わかったよ。母さん。」


ギリギリそう答えると僕は切れた電話を握り、壁に寄り掛かる。

(分かっちゃあいたが、やはり辛い。母親と話をすることは。)


必死に呼吸を整えよろよろと立ち上がり、コートを壁のフックに掛ける。


一瞬、あのマネキンに殺されてしまった方がマシだったかもしれないと思うも、その後に自分が人を襲っただろうと言われたことを思い出し気後れしてしまう。


その時、玄関の収納扉につけられた姿見に僕の全身が映った。

…目の下にクマがうっすらと浮かぶ、死んだ目をした男。


「自分は何もできないと親にだって言われているんだ…死にたくもなるさ。」


そう言って泣きそうになり、僕はシャワーを浴びるため風呂場のドアを開けた。

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