レポート・9「某市民劇場、場内清掃」

9−1「死民劇場のテセウス座」

「ようこそ、我がテセウス座へ。私、座長の大賀見おおがみと申します。皆様には我が一座の公演するオリジナルオペレッタ『13』を存分に楽しみいただきたく…」


某県の市民劇場の2階。そこにある大型モニターには、現在公演されている演劇のライブ映像が映し出されている。


舞台には10人以上の公演者が並び、幕も引かれ間もなく劇が始まるようだ。


「…私さあ、劇場公演ってどーもダメなのよね。ライヴとか映画館とかスポーツもそうだけど、集団で見に行くものってなんか周りの人を意識しちゃうというか、周りの人たちと一緒に動いたり笑ったりしなければならない同調圧力を無意識的に感じちゃって居づらくなっちゃうのよ…この気持ち、わかる?」


カーペット用の清掃モップの機械を動かしながら防護服姿の主任はそうぼやく。

…確かに。僕にはその感覚になんとなく思い当たる節がある。


「えっと、修学旅行でテーマパークに行った時になんで集合写真でみんなと一緒に無理やり笑って、そこの着ぐるみと一緒に写真撮られなくっちゃいけないのかと感じることですか?」


そこに主任は「そう、それ」という。


「ちなみに、私が知人とともにテーマパークに行った時には最後まで粘って着ぐるみが諦めて知人とだけ写真を撮るまでテコでも動かなかったから。せっかく金払って行ってるんだし自分の好きにさせて欲しいと思うのよ。」


(…そもそも行かなければいいのでは?)と感じるも、僕も常々人付き合いをシャットアウトする人生を送り続けていたせいで人脈がなくなって仕事先を探すことに苦労したクチなので、主任もそれを意識して人付き合いに苦労しているんだなと勝手に解釈する。


「…違うわね、私はテーマパークを個人的に楽しみたい派なのよ。夢や魔法と謳っておきながらパレードの横でテーブルに乗った残り物のチキンに群れたスズメが争いながら肉をむさぼる様子を写真に収めたり、カップルの片方が一人で盛り上がった挙句に告白スポットで告った途端にフラれる瞬間に出逢ったり。そういう夢と現実との落差が大きければ大きいほど私は金を払ってそこまで行った価値があると思うのよ。」


「ふふふ」と笑う主任の目はどす黒く活き活きしているが、僕が仕事をしているスタッフだったら「帰ってくれ」と言いたくなる部類であることは間違いない。


『まあ、人の価値観はそれぞれですから。十人十色の個性の色が映える世界こそ人生を謳歌するにふさわしいと思いませんか?』


不意に、そう問うてくるのは古風な燕尾服を着た華やかな雰囲気の男性。

胸の名札には『市民劇場支配人 大賀見 誠』と金色の文字が躍っている。


それに主任は気がつくと相手に挨拶をする。


「…あら大賀見さんお久しぶりで。1年ほど会っていませんでしたかね?先ほど舞台で座長としてご挨拶していましたけれど、ここを離れてよろしいのですか?」


すると先ほどまでモニターで自己紹介をしていた大賀見は慇懃に頭を下げる。


『ええ、今回は演じていただける方がベテラン揃いなので、しがない代表でしかない私は紹介だけに止めさせていただきました。それに、見目麗しい主任さんにお会いするのも1年ぶりのことで…よろしければ、そちらのお若い方のご紹介とともに改めて貴女についてもご紹介願えませんでしょうか?』


その瞬間、主任が苦虫を噛み潰したような顔をする。

…どうやら、主任は大賀見が大嫌いのようだ。


ちなみに僕はといえば、この手のタイプは苦手と感じるのだが…


「私はあくまで清掃班の主任を務めているだけですので個人的に名乗るほどのこともありませんわ。こちらもつい最近入った清掃班の新人でして私と同様に名乗る必要もない役職ですので、今後お名前を聞くのは控えていただけません?」


大賀見は『そんな、そんなご謙遜を…』と言いながら、さらに言葉を続けようとするも、そこに恰幅の良い防護服を着た女性がのっしのっしとやってくる。


「遅くなってしまったね、エージェント・ドグラ。そこの清掃は終わりそうかい?新人君も大変だねえ…ここは騒がしいところだろう?常にうちら撤去班と一緒に回収と清掃をせわしなく行わなければならないから、まあローテーションは年に1回だからこの数日間は我慢して欲しいんだが…えっと、大賀見さん?」


そう言って意味ありげに目配せする女性に大賀見はスッと後ろへと引く。


『ええ、お二方ともお仕事の話ですね。それでは私はこれで…』


そして、燕尾服の尾が扉の向こうに消える頃、主任は「カサンドラお疲れ」と、ねぎらいの言葉をかけて女性の肩を叩く。それに、この劇場の専任特派員として撤去班を指揮するエージェント・カサンドラは大きくため息をついてみせた。


「…全く、あの死人はどこにでも現れて困っているよ。ま、本人はあまり自覚が無いようだけど…大丈夫かい?今も、この子の本名はバレていない感じかい?」


それに主任は「もちろん」と胸を張る。エージェント・カサンドラはそれを見ると少し胸を撫で下ろし、床を一瞥してから下に続く階段に目をやる。


「…それなら良かったよ。じゃあ、そこのカーペットに染み込んだ血を拭き取ったら、次はトイレの床拭きをお願いするよ。入水自殺した女優の遺体を回収したけど床が水浸しでね…ほんっと、ここは死人が多くて嫌になるよ。」


そう言って、エージェント・カサンドラはかぶりを振るとドスドスと音を立てて去っていく。


僕は彼女を見送った後でモニターで上演されているオペレッタをちらりと見た。


そこには、先月自動車事故で亡くなった主演男優がすでに血が乾き肉がえぐれた腹を見せながらも見事なバリトンボイスで歌う様子が映し出されていた…

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