エピローグ
エピローグ
季節は初夏を迎え、道行く建物の外壁が麗しく色鮮やかな藤の花に彩られる。春先はけぶるように光っていた緑も、すっかり色濃く染まっていた。
王宮の中庭では、季節の花が人々の目を楽しませている。
壮麗な剣のようなアイリス、華麗に舞い踊る淑女のドレスのようなバラ、色とりどりの花々を窓から見下ろしていた王太子メルヴィンは、軽く結わえた蜂蜜色の髪をなびかせて振り返った。
「このたびの任務、ご苦労だったな。シャノン・バグウェル」
「恐れ入ります」
魔法騎士団の制服に身を包んだシャノンは、直立の姿勢で礼をとった。
「体調はどうだ?」
「おかげさまで、この通りです。ご心配をおかけして申しわけありません」
自分の手に余るほどの魔力を放出し、昏睡状態に陥ったのが二か月ほど前のこと。
衰弱した身体を回復させるため、メルヴィンの私邸での静養を余儀なくされた。
手っ取り早く体力をつけるにはお肉に限る、とヒースが完成したばかりの
「もともと、表向きの遠征が三か月ほどの予定だったからな。気に病むことはない」
「ありがとうございます」
ふと、メルヴィンはシャノンの手元に視線を向けた。
「新しい腕輪も、馴染んできたようだな」
シャノンの左手首で、幅広の銀の腕輪が光る。透き通るような薄青の魔法石が嵌め込まれている。
長年愛用していた三日月のような細い腕輪は、いつの間にか右手首から消えていた。
「殿下。ザカライア・シュワードは、今は……?」
「地下牢に拘留されている。お前に浄化されてからは静かなものだ」
「そうですか……」
思えば、彼も不運だったのかもしれない。女神シェヴンに焦がれ、ジーン王子の輝きに魅せられ、幼くして心を奪われてしまった。
「奴の、大陸との人脈や交渉術、分野を問わない幅広い知識には一目置いていてな。俺の手足となって働かないかと声をかけたら、『死んでもごめんだ』と断られたよ」
「……思ったより元気そうで、よかったです」
「いずれは、嫌でも働いてもらうがな」
メルヴィンは、美しくも氷のように冷たい笑みを口元に浮かべた。
「ああ、そうだ。夏が終わる頃に、姫がまたシルクレアへ来ることになった」
「セシア様が?」
シャノンが静養している間、セシアは側近のユルリッシュと共にダリアダへと帰国した。
「今度は、正式に俺の婚約者として王宮へ迎える」
「わあ……、おめでとうございます」
シャノンは、胸の前で両手を重ねた。思わず
「その時は、お前に姫の身辺警護を頼みたい」
「ぜひ、おまかせください」
シャノンは晴れやかな笑顔で背筋を伸ばした。
「そういえば、わたしが王宮の宿舎に戻ることになったから、殿下のお屋敷が寂しくなるって、カルミアたちが言っていました」
「ああ、たまには顔を見せに帰るか」
メルヴィンは、旧知の友へ思いを馳せるかのように穏やかな笑みを浮かべた。
「絵の中の友人たちにも挨拶せねばな」
「あの、殿下。絵画といえば、ひとつ気になることが」
シャノンが問いかけると、メルヴィンは金色の濃い睫毛を上下させてゆったりと首をかしげた。
「ああ……弟の絵のことか」
「はい。ある日を境に、ぱったりとお話をなさらなくなったので、気になって」
すると、メルヴィンは目を伏せて言った。
「絵画の魔法は解いた。もう、弟の思い出に縋る必要はないからな」
魔法騎士団の鍛錬場。
「団長、お疲れ様です!」
「おお、シャノンか。ひさしぶりだな」
団長デリックは剣を鞘に収め、快活な笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「調子はどうだ? もう動いても大丈夫なのか?」
「え……っと、あの」
屋敷で静養していたことは、メルヴィンの他に誰も知らないはずなのだけれど。
困惑するシャノンに、デリックは「ああ、すまない」と声をひそめた。
「大体のことは、殿下から伺っているんだ。他のやつらには内緒だがな」
「そうだったんですか?」
「やむを得なかったとはいえ、大変なことに巻き込んでしまって悪かった」
「だ、団長っ。頭なんか下げないでください。わたしは大丈夫なので!」
実直で生真面目なデリックは、目下の者にも礼儀を欠かない。申しわけなさそうに見下ろしてくる眼差しは、まるで大型の猟犬のよう。
「本当に苦労をかけたな。妻も、シャノンにはとても世話になったと手紙で教えてくれた」
「…………つま?」
とは?
顔から瞳がこぼれ落ちそうなほどに目を見開くシャノンに、デリックは爽やかな笑顔で砲弾のような重量級の直球を打ち込んできた。
「カルミアだよ。俺の奥さんだ」
清楚な黒髪おさげの、たおやかな微笑みが脳裏に浮かんだ。
「え…………、えええええええええええ!?」
鍛錬場の石畳にシャノンの声が反響し、周囲の木々がざあっと揺れた。枝先にとまっていた小鳥たちが一斉に飛び立つ。
今回の任務で遭遇したどの事実よりも、シャノンにとって衝撃が強かった。
「相変わらず騒々しいね、シャノン」
よく通る軽やかな少年の声。
振り返ると、稽古用の模造剣を手にしたふわふわ金髪の愛らしい王子が呆れ顔で立っていた。
「ティモシー様。ご無沙汰しています」
「ねえ、シャノン。挨拶回り、まだ終わらないの? 早くぼくと手合わせしてよ。この人の剣筋、いやらしくて底意地が悪いからやりにくいんだよね」
可愛らしい顔を心底嫌そうにゆがめる視線の先には、制服姿のすらりと背の高い銀髪の青年がいた。
「えー、でも、やりにくい相手と手合わせしたほうが早く強くなると思いますよー」
今期の新人の中で抜きんでた実力を持つ魔法騎士は、へらっと笑いながら言った。
彼の左手首には、幅広の銀の腕輪が輝いていた。濃い桜色の魔法石があしらわれている。
「その余裕綽々なところも腹立つ」
「じゃあ、先輩との手合わせをかけて、もう一戦やりません? ティモシー様」
「うっわ、本当にムカつく。いいよ、あっちでやろう」
そう言うと、二人は嵐のように走り去った。
「仲がいいんだか悪いんだか……」
苦笑するシャノンの隣で、デリックは微笑ましそうに彼らの姿を見守っていた。
「あれが、彼なりの兄弟としてのコミュニケーションなんだろうな」
「団長……」
振り仰ぐと、デリックは口元に人差し指を添えて「ここだけの話」と囁いた。
「ティモシー様が何もご存知ないことが、彼にとって救いになっているかもしれない」
「そうだといいですね」
木製の剣がぶつかり合う楽器のような音色の中に、二人のかけ声が響き渡った。
夕刻、魔法騎士団詰め所の裏にて。
「今日から別居ですね」
「誤解を招く表現はやめてほしいんだけど」
ジェリーは魔法騎士団の宿舎、シャノンは女官たちと共に女性専用宿舎で、今夜からそれぞれ寝起きする。
「寂しいですね。ずっとベッドを共にしていた身としては、一人寝ができるか不安です」
「いや、わたしが寝込んでいた時はそもそも寝室は別だったからね?」
突っ込むシャノンをよそに、ジェリーは大仰な仕草で世界の終焉のようなため息をついた。
「先輩を抱きしめて眠りたい……」
「一度たりともそんな夜はなかったわよね?」
騎士団の誰かが通りかかったらと思うと、気が気ではない。シャノンは左右に視線をめぐらせる。
「先輩、ぎゅってしてもいいですか?」
「だっ、だめに決まってるでしょ。こんなところで……」
「別のところなら、いいんですか?」
「そうじゃなくて……」
端正な顔に色香をにじませて見つめられると、目をそらせなくなってしまう。頬が熱い。
「少しだけ」
ジェリーの囁きが耳元をくすぐったかと思うと、ふわりと包み込むように軽く抱きしめられた。
「もう……」
シャノンは観念して、ジェリーの胸に額を預けた。
「今、こうしていられるのが夢みたいです」
「……うん」
ジェリーは女神による「嘆きの祝福」から解放され、「月の反逆者」ではなくなった。
常にその身を満たしていた無尽蔵の魔力も、月の満ち欠けに従って変化するようになった。
「あの時、おれの代わりに先輩が空へ還ってしまったのかって、本気で絶望したんですよ」
「ごめん……」
彼に生きていてほしいと願ったのに、自分が命を落としたら何にもならない。
「約束してください。どこにも行かないって」
「ええと……任務で遠征する時は?」
「それは、ノーカンで」
顔を上げると、照れくさそうに微笑むジェリーと目が合った。
どちらからともなく、顔を近づける。
互いの吐息が重なって、唇が触れ合いそうになったその時。
「お前ら……よそでやれ、よそで」
低音の穏やかながらも困惑したような声に、シャノンは我に返った。
「ひ、あっ、ごめっ……あっ? アーネスト!?」
ジェリーの腕の中から逃げるように飛びのくと、目の前には黒髪の長身の青年、同期で親友のアーネストがいた。
彼は、髪を無造作にかきながらシャノンとジェリーを交互に見やった。
「……人畜無害だと思って油断してたら、一番大きい虫だったか」
「むし?」
きょとんと薄青の目を見開くジェリーの無邪気な姿に、アーネストは「すまない、忘れてくれ」と手を振った。
「団長がお前ら二人を探していたぞ。新しい任務らしい」
「わたしたち二人? セットで?」
「だそうだ」
短く答えると、アーネストは足早に立ち去った。
嫌な予感しかしない。
頬を引きつらせるシャノンとは対照的に、ジェリーは真昼の太陽のように嬉しそうな顔をしている。
「先輩、どんな任務でしょうね? 楽しみですね!」
「楽しみ……ねえ」
「また、夫婦役だといいですね!」
「わたしの心臓がもたないから、遠慮したいわ」
口ではそう言いつつも、シャノンの心は躍っていた。無意識に笑みがこぼれる。
ジェリーが胸に抱く期待と、シャノンが抱えるいくばくかの不安を裏切らない、予想通りの任務を与えられるのは、また別の話。
そしてその頃、王太子の執務室では。
メルヴィンは一冊の本を手にしていた。
丁寧に紐綴じされた美しい装丁の物語。
著者の名前は、彼の婚約者となる姫君。
添えられた便箋に目を走らせ、ふっと微笑んだ。
「題名を考えてほしい……か。俺の姫は、なかなかの難題を投げかけてくる」
それは、悲しみに捕らわれた女神を救うために戦う、恋人たちの物語。
しばし考えたのち、メルヴィンは優雅な所作で羽根ペンを手に取った。
ずっと先の世代まで、永遠に読み継がれるようにと願いをこめて。
『 』
―おわり―
年下子犬系騎士と秘密の任務 高見 雛 @hinahina_tkm
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