第3章 黙って守られてください
1
「セシア王女は、どんなものがお好きなのかしら?」
朝食の席で、シャノンはふと口にした。
「好きなもの、ですか?」
焼きたてのパンをちぎるジェリーが、こちらへ視線を向ける。
「食べものとか、ご趣味とか。しばらく一緒に暮らすのだから、何か共通の話題があったほうが楽しく過ごしていただけると思うの」
「そうですね。グレッグは、殿下から何か聞いてる?」
ジェリーが、かたわらに控えるグレッグに問いかけた。
「一年ほど前から、メルヴィン様とセシア王女はお手紙のやり取りをなさっておいでです。わたくしが伺った話では、セシア王女は歴史学と文学を好まれるそうです。異国の文化にもご興味を示されているらしく、メルヴィン様がお贈りするシルクレアの書物を積極的にご覧になっているとか」
「…………」
シャノンはスープ用の匙を握りしめ、笑顔のまま硬直した。
「せんぱ……じゃなかった、シャノン。どうかしましたか?」
「無理かもしれない」
「えっ?」
桜色のつぶらな瞳から光が消える。
「わたし、本が……というか、文字のかたまりを見ると、三秒で眠気が」
まばたきを忘れた視界の端では、料理担当のヒースが、果実のソースの添えられた肉料理を給仕している。
「どうしよう。わたしがセシア王女のお話し相手になるつもりでいたのに……。ほら、女同士のほうが何かと話しやすいと思うの。こう……警戒心を解くというのかしら。なんとなく、うまいこと行く気がしていたんだけど」
匙を置き、両手で頭を抱える。
「セシア王女の前で口を開いたら、わたしが脳みそまで筋肉でできてることがバレる……」
貴婦人の振る舞いや、新婚夫婦の芝居なら、気合いと根性で何とか乗り切れる自信があった。
「頭は、気合いと根性じゃどうにもならないわ……」
遠回しにバカであることを暴露してしまったシャノンは、青ざめた顔を手で覆った。
「グレッグさん……ちなみにセシア王女のお好きな食べものは……?」
「三度のお食事よりご本がお好きとのことで、『口に入れば何でもよろしい』そうです」
「最後の砦が……!」
いよいよ、シャノンはテーブルに顔を突っ伏した。スープにダイブする寸前で、ヒースが素早く皿を避難させる。
「あたしの料理を『口に入れば何でもいい』ものと一緒にされたら、たまったものじゃないわ。絶対に『あなたの料理がなければ生きていけない』って言わせてやるんだから」
思わぬところで闘志に火がついたヒースは、ハシバミ色の吊り目をぎらつかせた。
事実、ヒースの料理は絶品であった。
昨日の夕食に出された鴨肉など、表面の皮は程よくパリパリに焼けて脂が染み出ていて、ナイフを入れた断面は美しいペールピンクに輝き、しっとりと柔らかかった。身を口に含むと、あふれる肉汁と添えられたカシスのソースが絡み合い、なんとも言えない極上の味わいを生み出すのだ。
今朝の献立も昨晩の鴨肉に負けず劣らずの品なのだが、残念なことに味を楽しむ余裕がシャノンにはなかった。
「ヒース、とてもおいしいよ。王都で鹿肉なんてめずらしいね」
ジェリーが微笑みかけると、ヒースは猫のような目をぱっと輝かせた。
「旦那様は北方の出身だって、メルヴィン様から聞いていたから。
アザレアと同様、ヒースも敬語が苦手なタイプのようだが、グレッグが咎めないところを見ると、自由にさせるのがメルヴィンの方針なのだろう。ジェリーも気にしていない様子で、朗らかに応対している。
「わざわざありがとう。田舎を思い出すよ」
「旦那様は、お魚は食べられる? 今日はお魚を買いに行こうと思うんだけど」
「村は山里だから滅多に食べる機会がなかったけど、好きだよ」
「決まりね。奥様もそれでいいかしら?」
シャノンはテーブルに突っ伏したまま、力なくうなずいた。
「おさかなもすきです……」
「もう、お行儀が悪いわよ。ちゃんと食べて」
幼子を叱る姉のように、ヒースはシャノンの肩を揺り動かした。
ふと、
「あー……」
ヒースが不可解な声を漏らす。シャノンは身を起こして、ヒースの顔を見上げた。
「どうかした?」
「えっと……当たり前といえば当たり前なんだけど、お二人、同じ香りがするなーって」
瞬間、ジェリーと目が合う。
ぼっ! と、シャノンは顔を真っ赤に染めた。
共に夜を明かした寝所で、二人ともいつの間にか眠ってしまっていたらしく、目が覚めたら真っ白な羽根布団の上に二人並んで転がっていた。額がぶつかりそうな距離にジェリーの寝顔があったので、シャノンは心臓が止まりそうになった。毛布は、おそらくカルミアがかけてくれたのだろう。
特に何かあったわけではないのだが、男の人と一晩を共にしてしまったことや、夜着姿を見られたことなど、思い返せば頭が破裂しそうなほどに恥ずかしいことだらけである。
ましてや、同じ香りとか。
「おそろいですね」
そうだった。この後輩は、こういうことを恥ずかしげもなく、さらっと言える人だった。
シャノンは照れくささを隠すように、皿の上の鹿肉を口へ運んだ。美味しいのだろうが、今朝は味がまったく認識できない。悲しい。
「セシア王女の話し相手、おれにまかせてもらえませんか?」
「え?」
窓から射し込む陽光が、ジェリーの薄青の瞳と銀色の髪をますます透き通った色合いに見せる。
「シルクレアの歴史は最低限、頭に入ってますし、有名どころなら文学も多少はたしなんでますから」
「すごい……。てっきり、魔法騎士団は全員、脳筋だとばかり」
「すごい偏見ですね」
ジェリーは、にっこりと微笑んで続けた。
「そうだ。この機会にシャノンもお勉強しましょう」
「えっ」
気のせいかしら、急に耳が遠くなったような。
「グレッグ。学習時間を設けてもいいかな?」
「もちろんでございます。メルヴィン様の書斎から、お役に立ちそうな文献をお持ちいたしましょう」
「ありがとう」
「えええ……?」
困惑するシャノンに、ジェリーは陽だまりのような笑顔を向けた。
「セシア王女と仲良くなりたいんですよね?」
「え、ええ……」
「昨夜、『もっとがんばるから』って言いましたよね?」
「うっ……」
聞かれていた。
「じゃあ、がんばりましょう」
笑顔の圧が、一切の反論を許さない。
「優しくしますから」
澄んだ声で、悪党の常套句のようなことを言う。
シャノンはぎこちない笑顔を浮かべ、ぎこちない動きで残りの料理をたいらげた。
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