第1章 先輩って呼んでもいいですか?

「その人、本当に魔法騎士だったの?」

 魔法騎士団の鍛錬場。シルクレア王国第三王子ティモシーは、稽古用の模造剣に両手をもたれて上目遣いで問いかけた。

「立派な剣をぶら下げて、悪漢から救ってくれたっていうだけで、シャノンが勝手に騎士だって思い込んだだけなんじゃない?」

 あどけなさが残る少年の澄んだ声に反応して、頭上を飛ぶコマドリがガラスの鈴を転がすように鳴いた。

「で、でも、王宮で待ってるってミカヅキさんが」

「ミカヅキさん?」

「三日月の夜に助けてもらったから、ミカヅキさんです」

「安直。ダサい」

 そもそも、とティモシーは続ける。

「そのミカヅキさんとやらが実際に魔法騎士で、本当にシャノンのことを待っていたなら、真っ先に声をかけてくるはずだよ。名前も姿も隠して何年も放置プレイなんて、よっぽどの性悪か変態のどっちかだと思うけど」

 正論すぎて、返す言葉もない。

「三年前、魔法騎士団に入ってすぐ、先輩がたに聞いて回ったんです。わたしと同じ年頃で、銀髪に水色の目をした、女の子よりも綺麗な騎士さんについて」

「それで?」

 濁りのない青い瞳で顔を覗き込まれ、シャノンは答えることを一瞬ためらった。

「ティモシー様は、お気を悪くなさるかもしれませんが……」

「ここまで話しておいて、中断されるほうが気分悪いよ。それに、騎士団に入ったきっかけを教えてくれって言い出したのは、ぼくだもの。聞かせて」

 ティモシーの護衛官に任命されてまだ半月余りだが、シャノンは心根が優しく素直な王子とすぐに打ち解けることができた。

 頭の回転が速く、理論的で的確な物言いをするため、周囲からは可愛げのない王子だと囁かれているが、シャノンは彼の、相手の心に寄り添おうとする姿勢に感銘を受けた。

「先輩がたは、『そんなやつは騎士団にいない。お前が見たのは、亡くなられたジーン王子の幽霊だろう』と」

 シルクレア王と王妃の間には、三人の王子がいる。

 御年二十歳の王太子メルヴィン。

 シャノンが現在、剣術の稽古をつけている第三王子ティモシー、御年十二歳。

 そして、第二王子ジーン。十年前、幼くして病死。享年七歳。

 シャノンは貴族の生まれだが、舞踏会など社交の場に出席したことがないため、ジーン王子との面識はない。お姫様みたいに着飾ることよりも、剣術の稽古に夢中だったのだ。

 壮年の先輩騎士たちいわく、在りし日のジーン王子は輝く銀髪と透き通る薄青の瞳が美しい、月の精霊のような面立ちをした少年だったという。

「ジーン兄上の幽霊か……。本当にいるなら、ぼくも会ってみたいな」

 ジーン王子が没したのは、ティモシーが二歳の時。彼には兄の記憶も思い出もない。

「すみません。こんな不謹慎な話を……」

「いいってば。ぼくが聞きたかったの」

 シャノンの隣で、ティモシーの蜂蜜色の髪がタンポポのようにふわふわと揺れる。ジーン王子が月の精霊だとしたら、ティモシーは春を告げる花の精霊を思わせる。

「その人、幽霊なんかじゃなくて、きっと生きてどこかにいると思うよ」

 たとえ気休めで言ったのだとしても、ティモシーの気遣いが嬉しい。

「わたしも、そう思います」

 シャノンは、自分の眼前に右手を掲げて見せた。細い銀細工の腕輪が、陽光を照り返して光を散らす。

「ミカヅキさんがお守りにとくれた腕輪です。六年の間、この腕輪はわたしを守ってくれました」

 大陸の密売人にさらわれかけた夜以来、彼がくれた腕輪のおかげか、一度も危険な目に遭うことなく平穏で健やかな日々を過ごすことができた。

 それに、助けてくれたあの時、彼は両腕でしっかりとシャノンの身体を受け止めてくれた。たしかに体温を感じた。

「騎士団にいれば、いつかきっと会えるはずです。わたしはミカヅキさんの言葉を信じます」

 シャノンの声に応えるように、腕輪がひときわ強い輝きを放った。

「もしかしたら、あの姿は変装だったのかもしれないですし」

「は?」

 眉根を寄せるティモシーを横目に、シャノンは大真面目な顔で続ける。

「実は銀髪でも魔法騎士でもなければ、わたしと同年代でもなくて、女性だという可能性もありますし!」

「いや……」

 ないと思うけど、というティモシーの声は、シャノンの耳に届いていない。

「持ってる手がかり全部捨てて、ノーヒントで王宮じゅうを探すつもり? 何百年かかると思ってるの?」

「何百年かかってでも、絶対見つけます!」

 呆れ顔だったティモシーは、しょうがないと言いたげに小さく肩をすくめた。

「会えるといいね」

「はい!」

 シャノンは晴れやかな顔でうなずいた。

「それじゃあ、ぼくはシャノンがミカヅキさんとやらを見つける前に、あなたから一本取れるくらいにはなっておこうかな」

 ティモシーが、木製の模造剣を手に立ち上がる。

「一本と言わず、十本でも百本でも」

 シャノンも立ち上がり、そろいの模造剣を掲げた。

 休憩の終わりを告げるかのように、頭上を飛ぶコマドリが高く鳴いた。

 太陽が南へ昇る時分、魔法騎士の面々はそれぞれ持ち場についており、早朝は騒がしい鍛錬場が静寂に包まれている。

 二人が間合いを取るために歩く踵の音が、石畳から空へと吸い込まれるように反響する。

 魔法騎士を目指す貴族の子弟に稽古をつけることは今まで何度かあるが、誰かに教えることは、自分が鍛錬するより遥かに難しい。

 相手の剣の癖を見抜き、足の運び方をより的確な角度へと導き、そして剣に対する情熱を押し上げる。

 正しく強く育てるためにはどうするのが最善なのか。師という立場でありながら、毎日が学びであるとシャノンは痛感する。

「始め!」

「やあっ!」

 シャノンの掛け声を合図に、ティモシーが飛び出す。小柄な体躯を巧みに使って、間合いを詰めてくる。下段から繰り出される一撃を、シャノンは軽く受け流す。

「脇がガラ空きです。実戦なら即死ですよ!」

 上、下、左、下、右。息をつく間もなく向かってくる少年の剣は、少しずつだが確実に重く強くなっている。今は軽々と受けているが、一本取られる日はそう遠くない。

 鋼の剣の交わる音と違う、楽器のような高らかな音色が四月の青空に響き渡る。

「はっ!」

「甘い!」

 未熟さゆえ、シャノンは何事も夢中になると加減を忘れてしまう。

 つい、剣に魔力を込め、本気で振り抜いてしまった。

 白銀色の閃光が斜めに走る。

「わっ!」

 ティモシーの手から、剣が弾き飛ばされる。

 軽くて使い勝手の良い木製の剣は、くるくると円を描いて空高く飛んでいった。まるでブーメランのように。

「ああっ、すみません!」

 シャノンは自分の剣を鞘に収め、空を舞うティモシーの剣に向かって駆け出した。

 この時間帯、普段は鍛錬場に誰もいない。

 だから、シャノンは他に人がいることなど、これっぽっちも想定せずに全速力で走った。

 くるくると踊るように回る剣を追いかけて、上を向いて走った。

 一切、前を見ていなかった。

「シャノン、危ない!」

「え?」

 ティモシーの声に振り返ろうとした時にはもう、その人影に正面から飛び込んでしまっていた。

「きゃあっ!」

「わわっ」

 カランカラン……と、模造剣の落ちる音がとても遠くに感じられた。

 反射的に閉じた目をふたたび開けた時、シャノンの目に飛び込んできたのは月明かりのように冴えた銀色だった。

「大丈夫ですか?」

 耳に心地の良いテノール。

 どうやら、見知らぬ男性に正面衝突して尻もちをつかせてしまったようだ。もっと細かく言うと、シャノンが押し倒したかのような体勢である。

「あ……」

 真っ先に謝罪したいのに、言葉が出ない。

 シャノンは何度もまばたきを繰り返す。

 さらさらと流れる、美しい銀色の髪。こちらを心配そうに覗き込んでくる、少女のようにぱっちりとしたアーモンド形の双眸は湖水のように透き通った水色。年の頃はシャノンと同じ十八くらい。真新しい濃紺の団服。

 知れず、鼓動が速くなる。

「ミカヅキ……さん……?」

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