年下子犬系騎士と秘密の任務

高見 雛

プロローグ

プロローグ

 シルクレアの民の魔力は、高く売れるらしい。

 大陸の南西に浮かぶ島国、シルクレア王国。「はじまりの魔法使い」と呼ばれる、世界で最初の魔法使いが生まれ育った地だとか、骨をうずめて魔力のすべてを大地にそそいだとか、土地そのものが世界創生の神の加護を受けているとか、言い伝えは数えきれないほど。

 大袈裟とも言える伝承の数々を裏付けるのが、シルクレアの民が持つ魔力である。

 年端もいかない幼子でさえ、大陸の高位魔法使いを凌ぐほどに強い魔力を秘めている。

 ゆえに、シルクレアの民は大陸の裏社会において高値で取引される。

 大陸諸国の軍事力として使役されるか、子を産まされるか。もしくは、魔力だけを抜き取られたのちに肉体を打ち棄てられるか。

「出してよ! ここから出しなさいよ! ちょっと、誰かいるんでしょ? 出しなさいってば!」

 細い銀色の三日月が浮かぶ夜の街道を走る幌馬車の中で、薄汚い麻袋が水揚げされた魚のように暴れている。

 幼いながらも勝気な声を上げているのは、十二歳の少女。名前はシャノン。

 豊かな桜色の髪と、同系色のぱっちりとした瞳が愛らしい活発な少女は現在、顔も知らない男たちによって麻袋に詰められ、今まさに大陸の取引市場へと「出荷」されようとしていた。

 月の弱い夜に屋敷の外へ出てはいけない。両親や使用人の言いつけを守らなかったことを、シャノンは心から後悔した。

 夜風に乗って、潮の香りがする。

 港に着いたら、きっと大陸行きの船に乗せられるのだ。両親や兄たちと、一生会えなくなる。

「やだぁ……」

 裁縫や楽器の演奏よりも剣の稽古を好む男勝りな少女が、不安と恐怖に耐えきれず涙を浮かべたその時だった。

 幌馬車を引いていた馬が、突然いなないた。御者台から男たちの慌てる声がする。

 袋詰めにされた状態のシャノンは身動きが取れず、急停止した馬車の反動でごろごろと転がり、そのまま外へと放り出された。

「きゃあっ!」

「獲物が落ちたぞ」

「拾ってこい! 逃がすんじゃねえぞ!」

 密売人たちが月の欠けた夜を選んで「狩り」をするのには、理由がある。

 月が満月に近ければ近いほど、魔法使いは大きな力を発揮することができる。逆に、新月となれば魔力のない普通の人間とほとんど変わらない。今夜のシャノンは、持てる能力の二割程度しか放出することができないのだ。

 しかし、今夜が満月だったとしても、はたして自力で彼らに抵抗できていたかわからない。

 大陸の人間に捕まってしまったという恐怖、家の大人たちの言いつけを守らなかった後悔が、彼女の能力を鈍らせていただろう。

 何より、現状で自分がどんな魔法で対抗するのが最善か、判断がつかない。子どもが狙われやすい理由のひとつである。

(どうしよう。どうしたら……)

 夜着姿でさらわれたシャノンは、昼間は携帯している稽古用の模造剣も魔法の補助に使う魔道具も、何ひとつ持っていない。

 繊維が硬く織目の粗い麻袋は、少女の歯で食いちぎるのは困難だ。

 それでも、シャノンは脱出を試みようと、麻袋の中で目一杯暴れた。

「くそっ、暴れんなっ!」

「いやーっ! 来ないで! 触らないでよ!」

「このクソガキ、おとなしくしろっ」

 粉袋を担ぐかのように身体を持ち上げられたその時、

「うわっ!」

 風が細く鳴いた。

 真っ暗なはずの麻袋の中で、銀色の光が眼前を横切ったような気がした。

 シャノンの身体が宙に浮いた……違う、男が麻袋を取り落したのだ。

「きゃっ……!」

 また落ちる。袋の中では受け身を取ることもままならない。シャノンは目を閉じて身構えた。

「大丈夫?」

 見知らぬ少年の声。

 路上に叩きつけられるはずだった身体は、誰かの腕に受け止められていた。

 次の瞬間、麻袋だったものが発光し、虹色に光り輝く粉へと転じる。シャノンの身体を包んでいたそれは、星空に吸い込まれるように天高く昇っていった。

「あ、ありがとうございます……」

 礼を言うために顔を上げたシャノンは、思わず息をのんだ。

 冬の冴えた月明かりを魔法で紡いだかのような、美しい銀髪。氷の中で雪の結晶が花咲いているかのような、透き通った水色の瞳。小さくふくらんだ桜色の唇は少女と見まがうほどに可憐で、女の自分よりもずっと綺麗な人だとシャノンは思った。

「気をつけて。月の弱い夜は、彼らのようなゴミがうろついているから」

 シャノンと同じ年頃に見える少年は、美術品のように整った顔とは裏腹に辛辣な言葉を口にする。

「そこのガキ、人様の商品に手ェ出しておいて、ゴミ呼ばわりとはいい度胸だ」

「失礼。人の言葉を解するゴミだった。訂正するよ」

 怒りをあらわにする男たちへ、少年は美しくも冷たい笑みを浮かべた。

 馬車のほうを見ると、馬の足元に土くれのようなものがまとわりついている。身動きが取れないもどかしさからか、馬が苛立ったような鳴き声を上げる。

「大丈夫、怪我はさせてないよ」

 心配そうに馬を見るシャノンの耳元で、少年が囁いた。

「あれ、あなたが? どうやって……」

 月の弱い夜は、魔法使いの戦力は著しく弱体化する。たとえ、王宮に仕える高位の魔法使いであっても、その理は変わらない。

「それは内緒」

 一瞬だけ見せた、年相応の屈託のない笑顔。

 自分が貨物のように運び出される寸前だったことすら、忘れてしまいそうになる。

 抱えられていた身体を地面に下ろされる間じゅう、シャノンは全身が心臓になったかのようにどきどきしていた。

「おとなしくしろ。二人まとめて売りに出してやる」

「男のほうのガキも、キレーなツラしてるから高く売れるだろうさ」

 山賊のような風体の男が二人、卑しい笑い声を上げながら近寄ってくる。

「下がって」

 シャノンを背中にかばう少年の手には、いくつもの装飾品が輝いていた。

 大ぶりの宝石が嵌った指輪がふたつ、細かな宝石で文様のような意匠をほどこした指輪もふたつ。両手首には糸のように細いものから指よりも太いものまで、腕輪が幾重にも飾られている。

 おそらく魔道具の類なのだろうとシャノンが推察していると、彼が腰から抜いたのは杖ではなく、剣だった。それも、王宮の騎士団の人たちが携えているような鋼の長剣。

「あなた、魔法騎士……?」

 騎士団に入れるのは、大人の男の人だけだと思っていた。自分と同じ年頃の子がいるなんて、夢にも思わなかった。

 男たちがこちらへ向かって飛びかかる。

 一瞬の出来事だった。

 少年が長剣を真横に凪ぐと、今夜の三日月のような銀色の光がほとばしった。

 男たちは声を上げる間もなく、気を失ってその場に倒れ伏した。

「さあ、お行き」

 少年が馬の足元を拘束していた魔法を解くと、馬は大きくいなないて港と逆方向へと駆け出した。

「あの、助けてくれてありがとう……」

「家まで送ると言いたいところだけど、他にも仕事があるんだ。これを持っていれば、もう襲われることはないから。彼らも明日の朝まで目を覚まさない」

 少年はすまなそうに言うと、シャノンの右手首に腕輪をはめた。細身の、銀細工の美しい腕輪だった。強い魔力の波動を感じる。

「わたし、シャノンっていうの。あなたの名前は?」

「内緒」

 彼は口元に人差し指を当てて、いたずらっぽく首を傾けた。

「それじゃあ、わたしも魔法騎士になるわ。王宮で、あなたの名前を教えてもらう」

 怜悧な水色の瞳が、驚きに揺れる。そして、春の雪解けのような暖かな色を宿した。

「いいよ。それまで、自分の身は自分で守れるようにしておくんだね」

「もちろんよ。剣の腕なら男の子にも負けないもの。今夜みたいな失敗は、もうしないわ」

「わかった。王宮で待ってる」

 少年は、着ていた濃紺の外套をシャノンに羽織らせた。軽くて柔らかい。まるで、蝶の翅に包まれたような心地だった。

「ぼくを……見つけて」

 彼の言葉の真意を、この時のシャノンはまだわかっていなかった。

 月明かりのように儚い光を放ちながら彼が姿を消した後は、シャノンを守るかのように穏やかで暖かい風が吹いた。


 三年後、シャノンは十五歳にして女性初の魔法騎士として王宮入りを果たした。


 それからさらに三年。

 十八歳となったシャノンは、あの少年をまだ見つけられずにいる。

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