シャノンは思わず顔を近づけた。

(やっと、会えたの?)

 あの夜と同じ、氷の中に雪の結晶が花開いたような色の瞳を確認したくて。

「大丈夫ですか? もしかして、頭とか打っちゃいました? えっと、医務室? 医務室行きます?」

 銀髪の青年は、困ったような顔で瞬きを繰り返す。それでもシャノンの身体を押しのけようとしないところから、人の良さがうかがえる。

「あのっ、ごめんなさい。とんだ失礼を」

 我に返ったシャノンは、慌てて飛びのいた。

 あまりにも恩人と特徴が重なっていたので、つい前のめりに食いついてしまった。

「いえ。お怪我がなくてよかったです」

 銀髪の青年は、シャノンの手を取って立たせてくれた。色の白い繊細そうな指先で、膝の砂埃を軽く払う。

 似ている……けれど、雰囲気がまるで違う。

 恩人のミカヅキさんは、美しさの中にどこか危うさと冷たさを秘めた、不思議な魅力のある少年だった。

「あなたも騎士団の方……なんですか?」

 シャノンの服装に上から下まで視線を走らせ、彼は意外そうに問いかけた。きょろきょろと回る水色の瞳は、どこか子犬のようで可愛らしい。

 濃紺を基調とした騎士団の制服は、機能性と見た目の統一感を重視したデザインとなっている。立ち襟の上衣と共布のズボン、踵の丈夫な膝下丈のブーツが基本のスタイルとされているが、唯一の女性騎士であるシャノンは、膝上丈のプリーツスカートの下に細身のズボンを身に着けている。「腰回りの線が目立たないように」という王妃の気遣いと、「今後、女性騎士が増えた時のために可愛い制服を作っておきましょう!」という思いつきによるものである。

 耳の上の位置でひとつに結った桜色の長い髪が、風に揺れる。

「はい、わたしは……」

「いたいた、シャノン!」

 向こうから、長身の騎士が手を振りながら歩いてくるのが見える。

「あっ、団長さん!」

 青年は軽やかな動作で振り返った。

 まだ夢の中にいるような心地で立ちつくすシャノンのそばに、いつの間にかティモシーがいた。手には、先ほどシャノンが払ってしまった剣を携えている。

「もしかして、ミカヅキさんってあの人?」

 小声で問いかけられる。シャノンは小さく首を横に振った。

「違うと思います」

 魔法騎士団の長デリックは、シャノンと青年が立ち話でもしているように見えたのか、嬉しそうな笑みを浮かべた。裏表のない実直な性格で、笑うと三十五という年齢よりもずっと若く見える。

「なんだ、もう仲良くなったのか……っと、これはティモシー王子。失礼いたしました」

「かまいません。どうかそのままで」

 礼を取ろうとするデリックを、ティモシーが制する。騎士団においては、ティモシーは王子である前に剣の教えを請う身だ。王族扱いはしないでほしいと告げられているのだが、根が真面目な団長はいつも条件反射で敬礼してしまうのだ。

「団長、わたしに何かご用ですか?」

「ああ。他のみんなには午後の点呼で紹介するつもりだが、まずお前に会わせたくてな」

 そう言って、デリックは真新しい制服に身を包んだ銀髪の青年の肩に手を置いた。

「はじめまして。今日からお世話になります、ジェリー・アヴァロンです」

 銀髪の青年――ジェリーは、屈託のない笑顔を浮かべ、可愛らしく小首をかしげた。

 身長はシャノンより頭ひとつ分ほど高く、肩幅や胴回りも男性らしい無駄のない体つきをしているが、仕草や笑顔はまるで幼い子どものようだ。

「えっ、新人さん……?」

 戸惑うシャノンの横で、ティモシーも目を丸くしている。

 魔法騎士団では、毎年冬の終わりに王宮の役人による書類審査を経て、実技試験を行い、騎士団幹部の裁量で新人騎士を採用する。実技試験に携わったシャノンの記憶に彼のような人物はいなかったし、今年の入団式は半月も前に済んでいる。

「事情があって、正式な試験は受けていないが、剣の腕は今年の新人の中でダントツだ」

 剣に妥協のないデリックが手放しで人を褒めるということは、相当の腕前なのだろう。

「歳は十七。お前のひとつ下だな」

「よろしくお願いします」

 ジェリーはシャノンの前に右手を出した。その手には、魔法具の指輪も腕輪も何ひとつなかった。

(この人は別人よ。ミカヅキさんじゃないの)

 心のどこかで期待している自分に言い聞かせようとする。

「シャノン・バグウェルです。よろしく」

 右手を差し出すと、ジェリーは両手でぎゅっと握り返した。温かい。

 ふと、あの少年に抱きとめられた瞬間を思い出す。

「シャノンさんのお話は、団長さんから聞いてました。女性で初めての魔法騎士だって。すごいです! お会いできて嬉しいです!」

「あっ、ありがとう……あの」

「はい?」

 シャノンの手を両手で優しく包み込んだまま、ジェリーは身をかがめて顔を覗き込んできた。骨格は男性だが、目鼻立ちの華やかさと麗しさ、肌のなめらかさは貴族の令嬢のようで、顔を近づけられると、あまりのまぶしさに目がくらんでしまいそうになる。

「手、握りすぎなんだけど」

 二人の間に割って入ったのは、ティモシーだった。

「あっ、すみません! つい興奮しちゃって」

 ジェリーは慌てて手を放した。

(ティモシー様、ありがとうございます……)

 心臓が止まるかと思った。

 生まれた時から家には二人の兄がいて、王宮に入ってからは男所帯の騎士団で過ごしているから男性と接するのは平気なはずなのに、シャノンは今までにないくらい――騎士団の入団試験の時よりも緊張していた。

「なれなれしい」

 ぼそっと、ティモシーがつぶやく。見ると、いつも落ち着き払った理知的な王子が、おやつを横取りされた子どものようにふてくされていた。

(稽古を中断されて、ご機嫌を損ねてしまわれたのかしら?)

 自分も末っ子なので、ティモシーの気持ちに共感できるものの、こういう時に年長者としてどうしたらいいかわからない。

「稽古中のところ悪いが、王太子殿下がお呼びだ」

「王太子殿下が?」

 騎士団の演習や、国境警備の任務に王太子メルヴィンが参加する機会は多い。シャノンともそれなりに顔見知りではあるが、個人的な交流は一切ない。

 拗ねていたティモシーも、意外な人選に不思議そうな表情を浮かべる。

「団長。わたし、王太子殿下に何か粗相でもしましたっけ? まったく身に覚えが……」

「ああ、驚かせてすまない。そういうわけじゃないんだ。お前に頼みたい任務があるらしい」

「わたしに?」

 ますますわからない。シャノンは首をひねった。

「まあ、初対面でこの打ち解けようだからな、任務も滞りなく遂行できるだろう」

「へ?」

 間の抜けた声で聞き返すと、デリックはシャノンとジェリーの間に入り、ふたりの肩をぽんと叩いた。

 ジェリーと目が合い、微笑みかけられる。恩人に似ていることを差し引いても、この笑顔はやっぱり心臓に悪い。

「シャノンとジェリー、お前たちふたりを殿下はご指名だ。頼んだぞ」

「えええええっ!?」

 思わず上げた大声に、木立に止まっていたコマドリが逃げるように飛び立った。

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