☆


 ミカヅキさんに会えたら、聞きたいことがある。

 名前は?

 歳は?

 魔法騎士になったのは、いくつの時?

 出身は?

 家族は?


 どうして、今まで声をかけてくれなかったの?



「ミカヅキさんって、どなたですか?」

「えっ!?」

 乳白色の列柱が並ぶ回廊。隣を歩くジェリーが不意に問いかけた。

「さっき、おれのことを『ミカヅキさん』って。お知り合いですか?」

 無意識に口に出してしまっていたらしい。恥ずかしい。

「えっと、昔ね、危ないところを助けてくれた人なの」

 魔法騎士になってから三年、可能な範囲で王宮じゅうの人に聞いて回ったのだ。シャノンが探している恩人「ミカヅキさん」については、知らない者のほうが少ない。

 特に隠す話でもないので、王太子の執務室へ向かう道すがら、十二歳の時に大陸へ連れ去られそうになった出来事をジェリーに話して聞かせた。

「それは……とても怖い思いをしたんですね」

 ついさっき知り合ったばかりの他人の、それもずっと昔の話なのに、ジェリーはまるで自分のことのように沈痛な面持ちで耳を傾けている。

「そんな顔しないで。ミカヅキさんのおかげで無事に家へ帰れたし、全然何ともなかったのよ。ごめんなさい、入団初日にこんな暗い話をしちゃって」

 焦って両手を振るシャノンに、ジェリーは「いいえ」と首を横に振った。

「先輩のことが知れて嬉しいです。もっと色々と聞かせてください。おれ、早く先輩と仲良くなりたいです!」

 アーモンド形のぱっちりとした目を細めて、ジェリーは無邪気に笑った。

 せんぱい?

 シャノンは歩みを止め、隣の新人騎士を見上げた。

「先輩って、わたしのこと?」

「あっ、すみません勝手に」

 月明かりのようにも、陽光を浴びて輝く泉の水のようにも見える銀色の髪を無造作に掻きながら、ジェリーはすまなそうに言う。その姿はまるで、耳の垂れた子犬のよう。

「シャノンさんのこと、先輩って呼んでもいいですか?」

 魔法騎士団の中では、後輩にあたる騎士たちからも名前で呼ばれているので、シャノンにとって馴染みの薄い呼び方だった。同時に、とても新鮮に感じられた。

「もちろんよ、ジェリー」

 快諾されたのが嬉しかったのか、ジェリーの顔がぱっと輝いた。

「あらためて、よろしくね」

「はいっ、先輩!」

 シャノンが右手を差し出すと、ジェリーはふたたび両手で包み込んできた。

「握手は片手でいいんだけど……」

 そして顔が近い。

 おそらく彼は、自分の美貌について自覚していないのだろう。

(見慣れるまで時間がかかりそう)

 シャノンの手を両手で握ったまま、ジェリーは視線を外さない。

「あの、ジェリー……?」

 先ほど、助け舟を出してくれたティモシーは今頃、鍛錬場で団長の手ほどきを受けている。稽古を中断され、兄王子にシャノンが呼び出されたせいで拗ねてしまったので、団長が埋め合わせを買って出たのだ。

 鍛錬場を離れる際に、団長が「王子のいない時間帯を選んで連れてくるべきだったな」とこぼした本当の意味を、シャノンは知らない。

「イメージと全然違うから、びっくりしました」

「ん?」

 騎士の風格とか年長者の威厳がない、という意味だろうか。それについては反論の余地がない。

「団長さんから、『女だてらに剣を振り回して、ところかまわず手加減なしに魔法をぶっ放す、歩く兵器のような娘がいる』って聞いてたので」

「団長……っ」

 あとで絶対、肩パンしてやる。

「だから、おれよりもずっと背が高くて屈強な感じの、雄々しい女性を想像してたんですけど」

 肩パンに加えて、腹パンもしてやる。

「想像してたよりもずっと、可愛らしい方だから、驚いてます」

「は……?」

 木々を揺らす風のようにさらりと言われ、シャノンは返す言葉が思いつかなかった。桜色の瞳をまん丸に見開くのが精一杯だった。

「髪と目の色も、撫子の花みたいで綺麗です。初めて見た時、どこのお姫様だろうって思いました」

 一応、地方に領地を持つバグウェル伯爵家の令嬢ではあるのだが、今はそれを説明できる精神状態ではなかった。

 物心ついた時には、二人の兄たちと一緒になって馬の背に乗り、野山を駆け、剣を手にしていた。騎士団に入る頃には、弓も槍も扱えるまでになっていた。

 同期の少年騎士たちから一度も女扱いを受けたこともなければ、王宮という華やかな場で三年も勤めていながら異性から甘い言葉をかけられた経験もない。

 ……ということに、たった今気づいた。

「そんなこと言われたの、初めてだわ……」

「そうなんですか? みんな、恥ずかしがらないで素直に言えばいいのに」

(いやいや、誰もそんなこと思ってすらいないし)

 なんと言っても「歩く兵器」だ。王侯貴族の麗しい令嬢たちと実際に並んでみれば、小姓に見られる自信がある。

「じゃあ、おれが先輩の最初のファンですね」

「ふぁん?」

 そろそろ手を放してもらえないかしら、と切り出そうとしたのだが、思考が飛んだ。

 こんな時に限って、騎士も女官も誰も通りかからないなんて。

 視界の端を、青い翅の蝶がひらひらと舞う。

「おれ、先輩に一目惚れしました」

 花が咲いたような笑顔と、甘く響く声。

 シャノンの頭に、一気に血が上った。

「とっ……、年上をからかうんじゃないわよ!!」

「あいたっ」

 団長に腹パンをする前に、知り合ったばかりの後輩に拳で腹パンを食らわせてしまった。鳩尾に深く。


     ☆


「ひさしぶりだな、シャノン・バグウェル。風邪でも引いたか? 顔が赤いが」

「いいえ、王太子殿下。どうか、お気になさらず……」

 執務室では、王太子メルヴィンが布張りの椅子に背を預け、青い目を猫のように細めて笑っていた。

(絶っっっっ対、さっきの殿下に見られてた!!)

 シャノンのそばを舞っていた、青い翅の蝶。同じ姿形をした蝶が、メルヴィンの肩にとまっている。

 絵画のように壁に飾られている、金色の飾りに縁取られた鏡。青い翅の蝶が見た光景が、この鏡にそのまま鮮明に映し出される。

 メルヴィンが得意とする魔法のひとつ、遠見とおみの魔法である。

 王宮内であれば、彼が思い描く場所どこにでも蝶を行き来させて、様子を見通すことができる。

 内部派閥の動向から色恋のネタまで。金髪碧眼の美貌を持つ王太子は、王宮内のありとあらゆる情報……というか、すべての人間の弱みを握っている。

 彼を敵に回したら、いっそ死んだほうがマシだと思えるほどの辱めを受けることだろう。

「魔法騎士団の者たちは、仲が良さそうで何よりだ」

 訳知り顔で笑みをたたえるメルヴィンに、シャノンは奥歯を軋ませつつ、精一杯の作り笑いを浮かべた。

(こっの、悪趣味腹黒王子……!)

 穴があったら入りたい。なくても掘って潜りたい。

「お前が、ジェリー・アヴァロンか」

「お初にお目にかかります、王太子殿下」

 先ほどまでの子犬のような無邪気さが嘘のように、ジェリーは優雅な所作で礼を取った。シャノンがお見舞いした拳は、さほど効いていない様子で、平然としている。少女めいた顔立ちに反して、身体は頑丈らしい。

「デリックから話は聞いているだろうが、お前たち二人に依頼したい任務がある」

 少し長くなる、とメルヴィンにすすめられて、二人は長椅子に並んで腰を下ろした。

「ある女性の護衛と監視を頼みたい」

「どなたでしょうか?」

 王太子直々の要請ということは、王家にゆかりのある女性なのだろう。

「俺の婚約者になるかもしれない女性だ」

「ご婚約されるんですか?」

 祝いの言葉を述べようとしたシャノンだったが、メルヴィンの表情は明るくない。

「ダリアダ王国の姫だ」

「大陸の……?」

 シャノンの表情がこわばる。

 ダリアダ王国は大陸の西端に位置する小国で、上質な精油や医薬品を精製する技術に長けている。シルクレアを魔法の国と呼ぶならば、ダリアダは錬金術の国といえる。

 シルクレアとダリアダの国交は表向きには良好であるが、国民はあちらに対して芳しい印象を抱いていないのが実情だ。

 かつて、魔力目当てにシルクレアの民を拉致して売買にかけていた大陸の玄関口が、ダリアダ王国だった。

 この数年で、魔法騎士団による国境警備が強化されて被害は激減したものの、国民の大陸に対する警戒心は簡単に解かれるものではない。

「どうして大陸なんだ、と言いたげな顔だな」

「も、申しわけありません」

 シャノンは頭を深く下げた。

「顔を上げてくれ。この縁談について前向きなのは、俺と国王陛下ぐらいのものだ。無理もないさ」

 メルヴィンは苦笑を浮かべる。

「ここから先は、内密にしてほしい」

 シャノンとジェリーは無言でうなずいた。

「近く、ダリアダの……セシア王女が極秘でシルクレアを訪問する」

「王宮へおいでになるんですか?」

 メルヴィンは首を横に振った。

「城下に俺の私邸がある。セシア王女には、身分を隠してそこに滞在してもらう予定だ」

「王女のお人柄を見極めるため、ですか?」

「この縁談が我が国にとって利益をもたらすか、ダリアダという国が信頼に値するかを確認するためだ」

 人柄など二の次だよ、とメルヴィンは続けた。

「もしも、信頼に値しないと殿下が判断なさった場合は……?」

「すべて白紙になるだけだ。セシア王女には、すみやかにお帰りいただく」

 美しくも冷たい微笑みに、シャノンは背筋が冷えるのを感じた。

「お前たちには、セシア王女および側近の者の動向を逐一報告してほしい。城の外では魔法が届かないからな」

 メルヴィンは、しなやかな指先に青い翅の蝶を遊ばせながら言った。

「……承知しました」

 王太子の考えに思うところはあるが、騎士団の任務は絶対である。

「あの」

 それまで黙って話を聞いていたジェリーが、口を開いた。

「シャノン先輩とおれが選ばれた理由は、何ですか?」

 それはシャノンも不可解に感じていた。

 王族の婚姻、さらには国交に関わる重大な任務ともなれば、自分たちのような若輩者より経験と実績のあるベテラン騎士を指名するはずだ。ましてや、ジェリーはついさっき着任したばかりのド新人である。

「ああ、それは」

 メルヴィンは「言ってなかったっけ?」くらいの軽さで、歌うように言った。

「新婚夫婦を演じてもらうには、お前たちが適役だからさ。特にジェリーは城下の者たちに面が割れていないから、動きやすいだろう」

 後半については、シャノンの脳に言語として行き届いていなかった。

 しんこん?

 ふーふ?

 誰と誰が?

「馬鹿正直に魔法騎士など配置したら、あちらに警戒されるからな。セシア王女には、俺の友人夫婦の屋敷にしばらく滞在してほしいと、すでに伝えてある」

「そうですか、わかりました」

 いやいや、わかりましたじゃなくて。

 頭の整理がつかない間に、ジェリーとメルヴィンが着々と話を進めていく。

「王女の到着は一週間後の予定だ。お前たちには、明日にでも屋敷へ入ってもらい、王女を迎える環境を整えてほしい。困りごとがあれば、屋敷の使用人を頼るといい。信頼のおける者ばかりだ」

「おまかせください」

 ジェリーの自信はどこから湧いてくるのか。

 隣へ視線を向けると、嬉しそうに微笑みを返された。

「騎士団に入って初めての任務が、先輩と結婚することなんて夢みたいです」

 せめて、頭に「偽装」をつけてほしい。

「がんばりましょうね、先輩!」

 騎士団の任務は絶対である。

 シャノンは力なく笑い返すだけで精一杯だった。

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