☆


 手のひらに魔力を集中、赤々と燃える炎をイメージ。

 握った手の中に生まれる熱を……放つ。

「うーん」

 組み上げた焚き木はパチパチと音をたてて燃えだしたが、シャノンの表情は明るくない。男物のシャツをまとった腕を掲げ、手を握っては開いてを繰り返す。

「そういえば、下弦を過ぎたんだっけ」

 女神がシルクレアの民にもたらした恵みの魔力は、月の満ち欠けで強くも弱くもなる。

 満月を迎え、下弦の月を過ぎ、新月へ向かうにつれて、魔力は弱くなる。

 そして、魔法を使う際の疲労度が格段に増大する。

 だからといって、王宮の魔法騎士団や魔法師団が「月が弱くて戦えません」などと言っていられないので、魔力のこめられた装身具――魔道具を用いて、魔力増幅と疲労軽減を各自で行う。シャノンの魔道具は、ミカヅキさんがくれたお守りの腕輪である。

「せんぱーい、お鍋載せてもいいですかー?」

 両手に鉄鍋を持ったジェリーがやってくる。

「いいわよー。ここにお願い」

「よっこらせ……っと」

 ジェリーは石を積んで作ったかまどの上に、鍋を載せる。中身は、豆とミルクと塩が少々、それから削ったチーズ。火が通ったら豆のスープができあがる。

「ありがとう、ご苦労様」

 シャノンはふと、ジェリーのシャツをまくった手首や襟元から覗く鎖骨のあたりに目をとめた。

(ジェリーは、どこに魔道具を着けてるのかしら?)

 シャノンの腕輪、グレッグのカフスやネクタイリングなど、大抵の魔法使いは一見してわかる装身具を着けているのだが、ジェリーには目につく魔道具が見当たらない。

「おれ、あっちを手伝ってきますね」

 少し距離を置いたところに同じ形の竈がもうひとつ作られ、そこには鉄板を載せて、ヒースがパンケーキの生地を流し広げている。

 昨晩、ジェリーが厨房の竈を壊してしまったので、早朝から全員総出で、裏庭で野外炊事をすることになった。

 彼は一人一人に頭を下げて回ったが、誰も気にしていなかった。

 騎士団の演習だと思えば、これはこれで楽しいものである。

 特に大陸の姫君など、初めて見る光景にたいそう興奮していた。手には鉛筆と帳面を持って。

「お外でお料理……お食事……。まるで、冒険小説に出てくる傭兵たちのようですわ。実際に体験できるなんて感激ですわ!」

「セシアさまっ! 火のそばは危ないですから、もう少し離れてくださいねっ!」

 片眼鏡の側近、ユルリッシュが椅子とテーブルを設置しながら諭すも、セシアは聞いていない。

 昨日の雲行きとは打って変わって、今朝は雲ひとつない快晴。

 まぶしい緑を含んだ風がすがすがしい。

 男性陣が屋敷から運び出したテーブルに、三つ編みのカルミアが手際よく食器を並べ、無表情のアザレアが干した果物を丁寧に並べていく。

「お・く・さ・ま」

「なっ、なに?」

 ふつふつと細かな泡を立てるスープの鍋をかき混ぜるシャノンの横に、いつの間にかメイド三人娘がいた。三人とも、たった今まで向こうで作業していたはずなのに。まるで気配がなかった。

「ゆうべは、どうだったの?」

 声をひそめて尋ねてきたのはヒース。

「どうって、何が?」

「やだもう!」

 質問の意味がわからず聞き返すと、背中を力いっぱい叩かれた。日々、あらゆる食材と格闘しているだけあって、華奢な見かけによらず剛腕だった。つまり痛い。

 ヒースはじれったそうに、しかし小声で続けた。

「旦那様との…………よ」

 よく聞こえなかった。

「ジェリーがどうかした? 竈を壊してヒースに申しわけないって言ってたけど」

「んなこたどうでもいいのよ!」

 ものすごい剣幕で詰め寄られる。

「え? え?」

「奥様」

 興奮するヒースに代わって、カルミアが含み笑いを漏らしながら尋ねた。

「互いの気持ちを確かめ合ったお二人が初めて共に過ごされた夜はいかがでしたか? と、ヒースは聞いております」

 ヒースは、うんうんと強くうなずく。

「え……っと?」

 質問の意図をまだ理解できていないシャノンに、アザレアが無表情で爆弾を放り込んだ。

「昨晩は二人にとって実質、初夜。契りを結んだのか否か、という話」

「ちぎ……っ!?」

 すべてを理解したシャノンは、手元の鍋を引っくり返しそうになった。

 幸い、ジェリーには聞かれていないようだ。向こうの竈で、セシアと一緒にパンケーキを焼いている。

 顔を真っ赤にしてふらつくシャノンに、アザレアは淡々と告げる。

「それによっては、私たちから祝いの品を用意したい」

「け、結構よ……。ないから、そういうのはないから……」

 三人は、あからさまに残念そうな顔を見せた。ヒースに至っては、小さく舌打ちまでしている。

「もしかして……ゆうべの話、聞いてたの?」

「「「さあ?」」」

 三人は綺麗なユニゾンですっとぼけた。

「聞いてたのね?」

 ふいに、向こうにいるセシアと目が合う。

 セシアは、口元に指を添えて意味ありげに微笑んだ。

(セシア様にも聞かれてた!?)

 年甲斐もなく泣いてしまったのも聞かれたのだろうか。だとしたら死ぬほど恥ずかしい。

「ちょっと待って」

 シャノンは三人に向き直り、小声で言う。

「ゆうべの話を聞かれたってことは、わたしたちが魔法騎士だってセシア様に知られちゃったんじゃ……?」

 セシアとユルリッシュの人となりからして、素性を知られても困ることはないだろうが、王太子メルヴィンからその許可を得ていない。任務を遂行する上では、彼の指示が最優先である。

「ご心配なく、奥様。セシア様がお部屋の前へいらしたのは、お二人が抱き合って愛を確かめ合っていらっしゃる時でしたので。聞かれて困ることはお耳に入っておりません」

「なんか脚色されてる気がするけど、助かった……」

 反省材料がひとつできた。任務中は心を乱さないこと。

 やがてスープとパンケーキができあがり、青空の下の食卓に料理が並べられた。

 日頃は別で食事を摂る使用人たちも、今朝は同じ食卓を囲んだ。

 大勢での食事はひさしぶりで、騎士団の仲間たちを思い出す。シャノンはスープを二回おかわりした。

 青空の下とにぎやかな食卓が心地よかったのか、ジェリーもパンケーキを三枚たいらげた。蜂蜜をたっぷりかけて。

 メイド三人娘とセシアは誰かの恋バナに花を咲かせ、グレッグとユルリッシュはシルクレアの魔法とダリアダの錬金術の相違について語り合っていた。

 年齢も身分も国境も関係なく、皆が笑っていた。

 この宝石のように輝かしい時間を、シャノンはこの先何度となく思い出すだろう。

 たとえ、他の誰かの記憶から雪のように消えてしまったとしても。

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