3
☆
「奥様。スープのおかわりはいかが?」
「えっ、あっ、だだだ大丈夫よ! ありがとう!」
「旦那様。パンケーキもう一枚召し上がる?」
「いやえっ、あのっ! おれはもうお腹がいっぱいだから……ありがとう、ヒース」
裏庭の朝食の席にて。
シャノンは目を伏せて、ひたすら匙を口元へ運ぶ動作を繰り返している。
一方のジェリーは虚空を見つめ、すっかり空になった皿にナイフを擦りつけている。
ふと、シャノンが顔を上げた。偶然にも、ジェリーも同時に視線を前へ向けた。
「「…………っ!」」
向かい合って座る二人の視線がぶつかり、同時に目を逸らした。顔が耳まで赤い。
(どうしよう。ジェリーの顔がまともに見れない……!)
シャノンは昨夜、カルミアが用意してくれた香りをまとって寝室へ向かった。
そこから先の記憶が途切れている。
気づいたら夜が明けていた。
ベッドの真ん中に毎晩並べているはずの、枕のバリケードが取り払われて、シャノンはそこに一人で寝ていた。
昨夜はぼんやりしていてわからなかったが、着ていた夜着の生地が、驚くほど薄かった。朝の光に肌が透けるほどの薄さだった。
そして、ベッドから離れた壁際のソファに、毛布を身体に巻きつけたジェリーが小動物のように丸くなって眠っていた。
シャノンはそこで察した。記憶が抜け落ちていた時間、自分は何かやらかしたのだと。
自分の髪や手首から香る昨夜の名残を吸い込むたびに、覚えていないはずの体温がよみがえる。
ジェリーの様子を見るに、彼は昨夜の出来事を覚えている。とても気まずそうな顔で、シャノンと目を合わせようとしない。
カルミアは、男性が好む香りだと言っていた。媚薬に近い香料なのだろう。
その香りにあてられたのが、ジェリーではなく自分なのだとしたら。
(わたし、後輩を襲った痴女になってしまったんじゃ……?)
一心不乱にスープを掬っては口へ運ぶが、まるで白湯をすすっているかのように味がしない。
ヒースが焼いてくれたふかふかのパンケーキも、今朝はふやかした乾パンにしか感じられなかった。
「こちらを、メルヴィン様へ」
朝食後、セシアが手紙の返事を届けにシャノンたちの居室へやってきた。
「ありがとうございます、セシア様。たしかに、お預かりいたします」
シャノンは白い封筒を丁重に受け取った。
セシアは、シャノンと隣に座るジェリーへ交互に視線を送り、可憐かつ優美な仕草で小鳥のように首をかしげた。
「今朝のお二人は、新婚というよりは、両想いになったばかりの恋人のようですわね」
「「えっっっっっ!?」」
二人は同時に同じ呼吸で反応した。
「少しよそよそしいといいますか……、照れくさくて死んでしまいそうなお顔をなさっていますわね」
十二歳の少女とは思えない的確な見解に、二人とも言葉が出なかった。
「結婚後も恋愛ができるなんて、素晴らしいことだと思いますわ」
「ど、どうも……」
シャノンは曖昧に微笑み返した。
横目でジェリーの顔を盗み見ると、彼は眉尻を下げて困ったように微笑んでいた。
「そうですわ、ジェリー様。午後からユーリが竈の修理に取りかかりますの。よろしければ、お手を貸していただけますかしら?」
「もちろんです。ぜひ手伝わせてください」
午後の約束を取りつけて、セシアは早々に退室した。彼女の足取りがスキップしているように見えたのは、気のせいだろうか。
セシアがいなくなった途端、気まずい沈黙が二人の間に降りた。こんな時に限って、メイドたちもグレッグもいない。
「「あ、あの……」」
思い切って口を開いたら、見事に声が重なってしまった。気まずい。
「な、なあに?」
「いえ、先輩からお先に……」
視線がぶつかり、同時に逸らす。もう何回目だろう。ものすごく気まずい。
わずかに開けた窓の外から、風に揺れる緑の囁きが聞こえてくる。
「あのね……」
意を決して、シャノンはふたたび口を開いた。
「わたし、あなたに何か失礼なことをしたんじゃないかしら? だとしたら、謝らせてほしいの。その……昨夜のこと、何も覚えていなくて」
「し、失礼なんてそんな……何も……、ナニモナカッタデスヨ?」
何かあったらしい。
「本当にまったく覚えてないんだけど、あの……幻滅とか、した?」
「しませんよ、幻滅なんて! おれは死ぬまで先輩が好きですから!」
まさかの即答に、シャノンは面食らった。
「そ、そうなの……?」
「おれこそ、すみません。感じ悪い態度を取っちゃって……」
ジェリーは思案するように視線をさまよわせ、天井に向かって息を吐いた。
「自分の理性と戦ってました」
理性とは。
桜色の目を
「男なので」
「……はあ」
見ればわかる。女性をしのぐ美しさを持っていても、彼は男性だ。
「ええとですね……言葉を選ばずに言うと、昨夜の先輩は、猛獣の前に放り込まれた生肉みたいなものでした」
「生肉」
それは、お腹を壊すのでは。
まだよくわかっていないシャノンの心中を汲み取ったのか、ジェリーは言葉をつなぐ。
「先輩の色気が半端なくて、死ぬかと思いました」
「…………」
「気を抜いたら襲っちゃいそうだったので」
「は…………」
ようやく理解した。
理解して、血の気が引いた。
「わたし、ジェリーにふしだらなことをした、の……か、し、ら……?」
「先輩は悪くないですからね。不可抗力みたいなものですから」
「否定しないってことは、わたしが痴女……」
シャノンは両手で顔を覆った。
「痴女じゃないです! 押し倒されましたけど、先輩そのまま寝ちゃいましたから未遂です!」
「とんだご迷惑を……」
「迷惑どころか、おれにとってはご褒美みたいなものでしたけど」
「やだもう、死ぬほど恥ずかしい……」
シャノンは、顔を覆う指の隙間から桜色の瞳を覗かせた。
「ごめんね……?」
「謝らないでください。誰も悪くないです」
そうは言っても、この気まずさは簡単には消えてくれそうにない。
「できれば、ちゃんと両想いになってから、先輩が正気の時に押し倒してほしいと思ってます」
「うわ~~バカ~~~~!」
シャノンは思わず、ジェリーの肩をバシバシと叩いた。五発ほど。
「騎士団に戻ってからだと機会が減るでしょうから、この任務中にぜひ」
「ぜひじゃないわよ、バカ~~~~!」
無邪気に笑うジェリーの肩を、シャノンはさらに五発叩いた。
二人の間にあった気まずさは、いつの間にか霧が晴れるように消えていた。
「そうだ、先輩」
ふと思いついたように、ジェリーが口を開いた。
「おれ、魔道具を持ってないんです。買いに行きたいんですけど、付き合ってもらえませんか?」
シャノンは目をみはった。
「え、ええ。明日、一緒に魔道具屋へ行きましょう」
わずかな驚きと、大きな安堵。
彼が「月の反逆者」かもしれない可能性が、この瞬間、シャノンの中で限りなくゼロに近いものとなった。
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