異国の香を焚きしめた空間は、自分たちの住む場所から切り離されているような心地がする。

 外の世界の文化に触れる高揚感よりも、今は言いようのない不安に似た気持ちがシャノンの胸中を占めていた。

「ジェリー様が、シャノン様の恩人で、メルヴィン様の亡くなられた弟君……」

 セシアの葡萄色の瞳が、蝋燭の灯りを照り返して星のようにきらめいた。同時に、小さく息をのむ音が夜の静寂に溶け出す。

 セシアの居室にて、円卓を囲むシャノンとメルヴィンは、彼女の表情の移り変わる様子をじっと見守る。

 シャノンはメルヴィンの許可を得て自分の身分を明かし、メルヴィンは二人の魔法騎士に夫婦を装わせて秘密裏に護衛任務を遂行していた事実を、セシアに告白した。

「申しわけありません、セシア様」

「姫をお守りするためとはいえ、結果的にあなたを騙してしまった」

 シャノンとメルヴィンは、そろって頭を下げた。

「お二人とも、どうかお顔を上げてくださいませ。わたくしは騙されただなんて、少しも思っていませんわ」

 それに、とセシアは言葉をつなぐ。

「シャノン様とジェリー様は、わたくしの素性を知らずとも、身を挺して助けてくださいましたわ。初めてお会いした時から、お二人が信頼に足る方たちだと信じておりました」

「セシア様……」

 シャノンが顔を上げると、セシアは静かに微笑んでいた。

「ただ……」

 セシアは小さくふくらんだ可憐な唇に手を添えて、不可解そうな表情で小首をかしげた。

「シャノン様とジェリー様がご夫婦でなかったことに、わたくし驚いておりますわ。どこからどう見ても、相思相愛の新婚さんでしたもの」

「ほへっ?」

「ほう」

 シャノンは鳴き声を響かせそこねたニワトリのような声をあげ、メルヴィンは興味深そうに目を細めた。

「姫、詳しくお聞かせいただけますか」

「とても長くなりますが」

「構いません」

 メルヴィンはいっそう目を輝かせる。

「や、やめましょう? そんな話に割く時間はありませんから、やめましょう!?」

 シャノンは、飛べない鳥のように両手をバタバタさせながら話を打ち切った。初対面のはずなのに、二人の息の合いようは何なのか。

「仕方がない。あとでゆっくりと」

「そうですわね」

(あとで!?)

 目を白黒させるシャノンをよそに、メルヴィンとセシアは居住まいを正した。

「先日より、シャノン様に仲介していただいていた、お手紙なのですが」

 セシアが本題に入ろうとした時だった。

「あの……セシア様」

 申しわけないと感じつつも、シャノンは思い切って口を開いた。

 どうしても聞いておきたいことがあった。

「ジェリーは……どんな顔をしていましたか?」

 セシアは、シャノンの胸中を読み取ったかのように瞳を揺らした。

「すみません。危険な目に遭われたセシア様に、こんなことを聞くべきではないとわかっています。でも……」

 うつむくシャノンに、セシアは構わないと言うように首を振った。

「ジェリー様は、笑っていました」

 シャノンは、胸に錆びた杭を打たれたかのような痛みを覚えた。

「とても、悲しそうに笑っていました。何かを迷っているかのような……戸惑いのようなものを、わたくしは感じました」

「迷い……?」

 セシアは小さくうなずいた。

「たしかに、ジェリー様はわたくしの命を摘み取る目的で牙をむかれました。ですが、ジェリー様は武器をいっさい手にしませんでした。威嚇のような攻撃魔法を放っただけで。その気になれば、わたくしなど一瞬で殺めることができたはずですのに……。まるで、ここで騒ぎを起こすことで、ご自分が悪者になるための理由を作り出しているかのように、わたくしは感じました」

「…………」

 目をみはるシャノンに、セシアは「あくまで、わたくしの主観ですが」と付け加えた。

「ありがとうございます……」

 瞼の裏が熱くなるのをこらえて、シャノンは唇を震わせた。

「ジェリー様が『月の反逆者』だと聞いて、先ほどの行動に納得いたしました。失われていた記憶が戻ったのだとしたら、今はご自身の立場に戸惑われているのかもしれません」

「セシア姫。あなたの御心の広さに感謝いたします」

 メルヴィンは今一度、深く頭を下げた。

「ですが、弟が姫を傷つけた事実はけっして許されることではない。ジーンの兄である前に一人の騎士として、弟には相応の罰を受けさせます」

「メルヴィン様の裁量におまかせいたしますわ。どうか、寛大なご判断を」

 シルクレアのことわりに反する「月の反逆者」は、命が尽きる日まで幽閉される宿命にある。

 どれほど譲歩されたとしても、ジェリーが日の当たる場所で笑える日は、きっともう来ない。

 シャノンは、膝の上で両の拳を握りしめた。

「では、本題に移りましょうか」

 セシアがひかえめな声音で言った。

「わたくしもシルクレアの皆様のように伝達魔法を使うことができたら、メルヴィン様とシャノン様のお手をわずらわせる必要がなかったのでしょうけれど」

「伝達魔法の文書は瞬く間に消え失せてしまいますが、姫のしたためた手紙は永遠に私の手元に残ります。これほど幸せなことはありません」

「まあ、お上手」

 セシアは口元に手を添えて、くすくすと笑った。

 彼女と接している時のメルヴィンは、王宮で見かける威厳と風格に満ちた王太子からかけ離れた、花を愛でる少年のような優しい表情をしていると、シャノンは感じた。

(偽装婚約とは言っているけど……)

 シャノンの視線に気づいたメルヴィンが、不思議そうにこちらを見た。反射的に目をそらす。次期国王の顔をじろじろと見るなど、不敬きわまりない。

「先日、シャノン様たちが倒してくださった者たちについて、わたくしなりに占っておりましたの」

「姫は、我々のような魔法は扱えないが、そのぶん占いに特化した魔力を秘めている」

 セシアは、円卓の上に占いのカードを伏せて並べ始めた。

「あの日、わたくしの腕に触れた男から魔力の波動と思念を読み取り、数日にわたり追跡しながら占いました」

 横に五枚並べたカードを、一枚ずつ表に返していく。

 現れた絵柄は、黄色い書物、黒い剣、金色の人魚、白いバラ、そして赤い月。

「赤い月……」

 シャノンの心臓が跳ねた。脳裏にジェリーの顔が浮かぶ。

「お察しの通り、この赤い月はジェリー様を表しているようですわ」

 セシアは、赤い月のカードを前へ押し出した。

「彼ら……ええと」

「『女神の使徒』と我々は呼んでいます」

 言いよどむセシアに、メルヴィンが助け舟を出す。

「『女神の使徒』は、ジェリー様を除いて十三人。そのうち六人は、シルクレアの高位魔法使い……魔法師団に籍を置いている方たちですわ」

「あの時の……」

 フードで顔を隠した魔法使いたち。彼らは、民間に流通しない貴重な杖を携えていた。

「首領の名前は、ザカライア・シュワード。繁華街の向こう側に住む貴族ですわね」

 表情を硬くするシャノンに視線を配りながら、セシアは続ける。

「ジェリー様は、彼の屋敷に身を寄せているようですわ」

 シャノンは息をのんだ。

『黙っていても、彼はボクのところへ戻ってくる』

 ザカライアの声が脳裏によみがえる。

「姫。ザカライア・シュワードが高位魔法使いや弟を引き込んだのはなぜです?」

「断言はできませんが……」

 セシアは、メルヴィンとシャノンへ順に視線を送った。

 包帯の巻かれた指先で、黄色い書物と黒い剣のカードを示す。

「彼らは、シルクレアの中に新たな国を建てようとしているのではないでしょうか」

「独立国家だと……?」

 メルヴィンの眉間に皺が刻まれる。

「まさか、ジェリーは……」

 シャノンは口元を両手で覆った。

 セシアは数拍置いて、口を開いた。

「この占いが現実のものとなるとしたら……ザカライア・シュワードは、ジェリー様を新たな国の王にするつもりですわ」

 蝋燭の炎が、蛇が身体をくねらせるように細く揺らいだ。

 セシアの指先が、金色の人魚のカードに触れる。

「シルクレアの民よりも強く深く、女神シェヴンを崇拝する者たちの理想郷を」

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