第4章 妬いたらいけませんか?
1
シルクレア王宮。
執務室で羽根ペンを走らせる王太子メルヴィンの手元に、一羽のコマドリが舞い込んだ。
午後の陽光に透けるような翠色のコマドリは、脚に真珠ほどの大きさをした濃い青色の珠を携えていた。
メルヴィンは、執務机にまっさらな羊皮紙を広げた。
次の瞬間、魔法で形作られたコマドリの姿が光の粒子となり霧散する。
濃い青色のインクを凝縮させた珠は羊皮紙の上で弾け、そこに文字を綴った。
伝達魔法の差出人は、魔法騎士シャノン・バグウェル。
大雑把で向こう見ずな性格とは裏腹な繊細な筆跡に、メルヴィンは素早く目を通す。
「困ったお姫様だ」
そうつぶやく彼の口元は、困るどころか愛おしげに微笑んですらいた。
メルヴィンはしなやかな指先で、宙に複雑な文様を描いた。
ダリアダ王国のセシア王女が予定を大幅に繰り上げてシルクレアへやって来た旨を綴った文字が、ぐにゃりと形を変えて羊皮紙の上を這う。
それはみるみるうちに、まったく別の文章へと生まれ変わった。
メルヴィンが拳を握ると、精緻な文字列はふたたび真珠ほどの珠を形作った。
「シャノン・バグウェルのもとへ届けておくれ。場所は、俺の屋敷だ」
どこからともなく現れた青い翅の蝶に返信の珠を預け、窓の外へ放った。
緑と土の匂いを含んだ風に、メルヴィンの黄金色の髪の先が踊る。
「ようこそ、シルクレアへ。俺の姫」
☆
城下。メルヴィンの私邸。
「ご挨拶が遅れました。ダリアダ王国第一王女、セシアと申します。こちらは、側近のユルリッシュ」
小さなレディこと十二歳のセシア王女は、スミレ色の華やかなドレスの裾をつまんで礼を取った。かたわらに控えていた黒髪の男性ユルリッシュも、それに倣って恭しくお辞儀をする。
「こちらのご迷惑を承知で勝手に参りましたこと、深くお詫びいたしますわ」
セシア王女は、きっぱりと言うと小さな頭を深く下げた。カナリヤの羽根のような美しい金髪が、華奢な肩からはらりとこぼれる。
「気になさらないでください。遠いところをようこそいらっしゃいました」
気遣わしげに微笑むジェリーに促され、セシア王女は客間の長椅子にちょこんと腰を下ろした。側近のユルリッシュは窓際に控える。
セシア王女は、向かいの長椅子に並んで座るジェリーとドレス姿のシャノンを交互に見つめ、小首をかしげた。
「お二人は、ご夫婦でしたのね」
「見えませんか?」
おどけたように言いながら、ジェリーはごく自然な動作でシャノンの手をそっと握った。
(ひえええええ)
シャノンの心臓が、水をかけられた子猫のように跳ねた。
(いい加減慣れなさい、シャノン。何事も慣れよ、慣れ。そうだわ、この手を革手袋だと思い込めばいいのよ)
シャノンは心の中で、呪文を唱えるように自己暗示をかける。
「ジェリー様が、シャノン様を『先輩』と呼んでいらしたので、婚姻関係にあるようには見えませんでしたわ」
はっきりと、すっぱりと、さっくりと。
偽装夫婦の化けの皮は、一瞬で暴かれた。
シャノンとジェリーの笑顔が凍りつく。
(どどど、どうしよう。バレた……まだ何も成果を上げてないのに、任務終わった……!)
冷や汗が止まらないシャノンは、背後にただならぬ殺気を感じた。
振り返らなくてもわかる。
任務に忠実な王太子の執事グレッグが、人好きのする笑みを浮かべたまま激怒している。
「王女殿下」
口を開いたのは、ジェリーだった。
「セシアとお呼びください。こちらでお世話になる間は、ただの娘ですわ」
「では、セシア様。私とメルヴィン様が、寄宿学校時代の友人であることはご存知でしょうか?」
「ええ。メルヴィン様より聞き及んでいますわ。シャノン様とお引き合わせになったのも、メルヴィン様だと」
ジェリーはうなずく。
「実は、彼女……シャノンは、寄宿学校の先輩なのです」
「えっ」
シャノンは思わず声をあげてしまったが、セシアが気づいている様子はない。
「幼い頃から探求心が旺盛なシャノンは、男性へと姿を変え、女子禁制の寄宿学校へ飛び込んだのです」
「まあ!」
セシアは口元に両手を添え、頬を上気させた。すっかり信じ込んでいる顔だ。
一方のシャノンは、光を失った桜色の瞳で、隣のジェリーを見つめている。
何を……、この子は何を言ってるの?
「私とシャノン……先輩は、同室でした」
わざわざ言い直した。
「ある日、私は先輩が女性だと知ってしまいます。同室では、隠すのにも限界がありますからね」
ジェリーのなめらかな語り口に、セシアは聞き入ってうなずいている。
「彼女は学校を辞めようとしましたが、私が止めました。私は、先輩が卒業するまで彼女を守ると決めました。秘密も、彼女自身も」
「…………」
即興で考えて喋っているのだとしたら、頭の回転が恐ろしく速い。
(詐欺師になれるんじゃないかしら)
機転を利かせて場を切り抜けようと奮闘している後輩に対して、シャノンは失礼な感想を抱いた。
「以上が、私たちのなれそめです」
ジェリーはシャノンの手を取り、指先に軽く口づけた。
「学生時代の癖が抜けなくて、結婚した今もつい『先輩』と呼んでしまうことがあります」
ね? と微笑みかけられ、シャノンは言葉に詰まった。顔が、耳まで熱い。
「素敵ですわ!」
セシアは立ち上がり、小さな手で拍手をする。スタンディングオベーション。
「なんて……なんて劇的なのでしょう。胸が震えますわ。創作意欲が湧きますわ。薄い本が厚くなりますわ!」
薄い本とは。
シャノンが不思議そうに見つめると、セシアは「いえ、なんでも」と小さく咳払いをして座り直した。
そこへ、厨房担当のヒースがティーセットを載せたワゴンを押してやって来た。
「あなたは、先ほどお会いしましたわね」
セシアは気さくに声をかけた。
「どうもー。王女様だとは知らずに、失礼してごめんね」
他国の王女相手でも、ヒースのフランクな接し方は変わらないようだ。誰に対しても臆せず、分け隔てなく接することができるのは、ある種の才能だろう。
広場でヒースと合流した際、「いつの間に子供作ったの!?」と変化球の冗談を投げられた時はシャノンもジェリーも肝が冷えたが。
「セシア様のお好きなものがわからないから、急ごしらえだけど一通り作ってみたの。気に入ったお菓子を選んで」
給仕された大皿には、黄金色に輝く焼き菓子と、花の砂糖漬け、宝石のように色とりどりにきらめくマカロンが敷き詰められていた。その美しさは、急ごしらえと言うには余りある。
「まあ、わたくしのために作ってくださったの? こんなに? 全部あなたが?」
セシアは両手を組んで、夢見るような眼差しでため息をついた。
「どれを頂こうかしら? 目移りしてしまいますわ」
予想外の反応に、シャノンたちは目をみはった。
「セシア様は、お好きな食べものがないと、うかがっていましたが……?」
シャノンが問いかけると、セシアは摘みたての葡萄のような瞳を無邪気にきらめかせた。
「いいえ」
「三度の食事よりも本がお好きで、食べ物は口に入れば何でもよろしいのでは……?」
「いやですわ。メルヴィン様ったら勘違いなさっていますわ。わたくし、お手紙で『食べものの好き嫌いはございませんが、本が好きすぎるあまり食事をするのをよく忘れます』とお伝えしましたのよ」
セシアは、おかしそうにころころと笑う。
「なんて雑な解釈……」
呆れるシャノンの隣で、ジェリーが肩をすくめて笑った。
「ところで、セシア様のお供の方は、ユルリッシュさんだけなのですか?」
一国の王女でなくとも、妙齢の令嬢ならば侍女を連れているはずだ。訪問の日程を早めた件といい、セシアの動向にシャノンは違和感を覚えていた。
「ええ、ユーリだけです。他の者たちは置いてきました」
セシアは薄紫色のマカロン、スミレの花の砂糖漬け、雫型のアーモンドの焼き菓子、黄金色のザントクーヘンを選んだ。ヒースが手際よく皿に取り、カップに紅茶を注ぐ。
湯気の向こうで、セシアの表情がかすかに揺らいで見えた。
「侍女たちを巻き込むわけにはいきませんから」
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