セシアの言葉に、シャノンとジェリーは顔を見合わせた。

「先ほどの男たちと、何か関係が?」

 シャノンが問いかけると、セシアはうなずいた。

「彼らは、ダリアダからわたくしを追って来た者たちです」

「ダリアダの民が……王女を?」

 ジェリーは銀色の眉をひそめた。

「いいえ。彼らはシルクレアの民です」

 その場にいた誰もが、息をつめた。

 溌剌としたヒースでさえ、驚きに顔をこわばらせていた。

 王女の側近ユルリッシュだけは、表情を変えずにその場にたたずんでいる。

 沈黙の中、カップの音が涼やかに響く。

 セシアは紅茶を一口含み、ほうっと息をついた。

「素晴らしいお味ですわ、ヒース」

 セシアは、ワゴンの前に立ちつくすヒースを見上げ、可憐に微笑みかけた。

「き、気に入ってもらえて、よかったわ……」

 ヒースは、これ以上聞いてはいけないと悟ったのか、ぎこちなく微笑み返して、逃げるように客間をあとにした。

 セシアはもう一度カップに口をつけてから、シャノンたちに向き直った。

「先ほど、お二人がご覧になりましたとおり、彼らの目的はわたくしの命です」

「シルクレアの民が、セシア様を殺めるために大陸へ渡ったというのですか?」

 ジェリーが、信じられないといった様子で、たしかめるように聞き返した。

 シャノンも同じ気持ちだった。同胞が、異国の王族をつけ狙うだなんて。

「わたくしの存在が、シルクレアの創生の女神シェヴンに対する冒涜なのだそうです。『穢れ』なのだと」

 幼い王女は、さも何でもないことのように、よどみのない口調で言った。

「何を根拠にそんな……」

 声を震わせるシャノンの横で、ジェリーがはっとしたように薄青の目をまたたかせた。

「……ゲルダ?」

 彼が口にした名は、シャノンにとってなじみのないものだった。

「ご明察ですわ、ジェリー様」

 紅茶の湯気が、セシアの吐息で小さな灯火のように儚く揺れる。

「ジェリー。ゲルダって……?」

「『はじまりの魔法使い』に力を与えたとされる、二人目の女神です」

「二人目?」

 シャノンは、戸惑い気味に聞き返した。

 自分が知っているシルクレアの創生物語では、女神シェヴンが唯一無二の創造主なのだ。二人目など、聞いたことがない。

「シェヴンと『はじまりの魔法使い』についての伝承は、諸説あると言いましたよね?」

 シャノンはうなずいた。今朝ほど、ジェリーが懇切丁寧に講義してくれた。

「時代の流れとともに忘れられた説のひとつに、女神が双子だったという言い伝えがあります」

「双子……」

 ジェリーはうなずき、続けた。

「姉のシェヴンと、妹のゲルダ。双子の女神は力を合わせて、荒れ果てた岩のかたまりだったシルクレアに生命を、罪人だった『はじまりの魔法使い』に魔力をもたらしました。……ここまでは、先輩が知るシェヴンの神話とほぼ同じだと思います」

「ええ」

 役目を終えた女神は月へ還り、今この時もシルクレアの民を見守っていると、伝えられている。

 だから、シルクレアの民は満月の夜に女神シェヴンへ祈りを捧げるのだ。

「ゲルダは、神の禁忌を犯しました。人間に……『はじまりの魔法使い』に恋をしたんです。月へ連れ帰ろうとするシェヴンを振り切って、ゲルダは地上へ留まりました」

 ジェリーの後を、セシアが引き取って語る。

「神々の怒りを買ったゲルダは、天へと連れ戻されました。片恋で終わったとはいえ、彼女の罪は重いものでした。人間に心を明け渡した罰として女神の力を失い、地上の人々の目に触れることのない月の裏側に永久に幽閉されたのです。ゲルダが『穢れ』と呼ばれる所以ゆえんですわ」

「……その女神ゲルダが、セシア様と何の関係が?」

 シャノンは、浮かんだ疑問をそのまま口にした。

「おれの想像ですが、セシア様は女神ゲルダに連なる存在でいらっしゃるのではありませんか?」

 ジェリーの問いかけに、セシアは葡萄色の瞳を瞬かせ、一呼吸置いて「ええ」と答えた。

「セシア様」

 それまで沈黙していたユルリッシュが、この時初めて口を開いた。

「かまいません。お二人がいなければ、今頃わたくしは命を落としていたかもしれませんもの。お話しするのが道義でしょう」

 ユルリッシュは首肯し、ふたたび沈黙した。

「女神ゲルダは、『はじまりの魔法使い』への想いを捨てきれず、空へ連れ戻される際になみだの雨を降らせました。ゲルダの泪は彼女の魔力の一部。わたくしは時代を経て、女神ゲルダの魔力を色濃く受け継いで生まれた者」

 シャノンとジェリーは、そろって息を呑んだ。

「『ゲルダの化身』や、『穢れの乙女』など、彼らが勝手につけた二つ名は、そのあたりでしょうね」

 少しおどけた様子で、セシアは細い肩をすくめた。紅茶はすっかり冷めてしまった。

「女神の化身が、なぜダリアダに……」

 シャノンは問いかけようとして、はっと口をつぐんだ。

「シルクレアの民の血を引く者は、大陸にも少なからずいますから。昔は、そのような時代でしたもの」

 セシアは、王族として申し訳ないといった悲しげな眼差しで言った。

 かつてシルクレアの民の魔力は、大陸の人間にとって鉱物や宝石と同列の、「資源」だった。人として扱われることなく、用済みの者は打ち棄てられた。

「あの男たちは、セシア様の命を奪うためにダリアダへ渡り、あなたを追いかけてシルクレアへ戻ってきた……ということですか?」

 ジェリーが尋ねる。

「彼らは、女神シェヴンの信奉者ですわ。一般のシルクレアの民よりも、ずっと深く女神シェヴンを崇拝し、そしてシェヴンと対立したゲルダを何よりも忌避しています」

(本当に、あぶない新興宗教だったのね)

 シャノンは、日の当たるところを避けるような彼らの黒装束姿を思い出す。

「彼らはダリアダ王宮に潜伏し、わたくしの暗殺を企てていました。わたくしは、彼らの動向を占いで予見し、ユーリと共に彼らの目を欺いてシルクレアへ渡ったのです」

 彼らが同じ船に乗り込んできたのは想定外でしたけれど、とセシアは嘆息した。

「わたくしが前々から何者かに狙われていることを、メルヴィン様はご存知でした。こちらからご相談する前に、メルヴィン様が提案してくださったのです。『事が片付くまでの間、シルクレアに身を隠しては』と」

 そこまで話したところで、セシアは頬を赤く染めてシャノンとジェリーを見返した。どこか気まずそうに、両手の指を絡ませながら。

「あの、本当は……お二人には内緒にするつもりだったのです。メルヴィン様から、『友人夫妻に心配をかけたくないから、婚約者候補のふりをしていてほしい』と……」

 シャノンの頭の奥に、気高き王太子の高笑いが響いた気がした。

(殿下たちの縁談も偽装って……なんてややこしい)

「ごめんなさい……」

 堂々たる王女の風格はどこへやら、セシアは年相応の少女らしく瞳をうるませて縮こまっていた。

「セシア様、そんな顔なさらないでください。あの、わたしたち全然怒ってなんかいませんから! ね、ジェリー?」

「そうですよ。だって、おれたちもぎそ……あいたっ」

 口を滑らせそうになったジェリーの脇腹に、シャノンの肘が入った。

(そこはバラしたら駄目だから!)

 聡明と思いきや、天然はやっぱり天然だった。

「セシア様、話してくださってありがとうございます。メルヴィン様の代わりに、わたしたちがセシア様をお守りします」

 シャノンの隣で脇腹をさすりながら、ジェリーもうなずいた。

「ありがとうございます」

 セシアは深く頭を下げた。窓辺に控えるユルリッシュも、無言で頭を下げた。

「長旅でお疲れでしょう。今日は、ゆっくりとお休みになられてください」

 ちょうどそこへ、急いでセシアのための居室を調えたカルミアがやってきた。彼女に誘導されて、セシアとユルリッシュは客間をあとにした。

 一息ついたところで、シャノンとジェリーは冷めた紅茶に口をつけた。

 ふと、シャノンの視界に青く光るものがよぎった。

 光に透ける美しい模様をした青い翅の蝶が、深い青色の――インクを凝縮させた伝達魔法の珠を携えていた。

 王太子メルヴィンの返信である。

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