☆


 干したリンゴ、アンズ、クコの実、クルミ、アーモンド、シナモン、バニラ、ココアパウダー、それからリキュールに牛乳。

「おばさん、板ゼラチンもちょうだい」

「あいよ!」

 ジェリーの持つ手籠に、次々と食材が詰められる。

 先頭を歩くヒースは、人波を縫うようにして露店の並ぶ市場をリズミカルに進んでいく。

 店主と軽妙な会話を交わしつつ、ちゃっかり値切る彼女の様子に、シャノンとジェリーはひたすら感心していた。

「旦那様、荷物重くない?」

「平気だよ。これは全部、お菓子の材料?」

「そうよ。女の子は甘いものに目がないもの。腕によりをかけて、お客人に喜んでもらえるものを作るわ」

 大陸の王女の名は伏せて、ヒースは豊かな胸を張って言った。

「奥様は、スイーツなら何が好き?」

「プレッツェルかしら。硬くて保存がきくから、長時間の演習で小腹がすいた時にちょうどいいのよね」

「なんて色気のない……」

 ヒースは心底呆れた顔で、シャノンの服装をあらためて凝視した。

「色気がないといったら、その服装」

 シャノンは、地下の鍛錬場で手合わせをした時の男装に上着と帽子を引っかけて出てきた。着替えるのが面倒だったし、何より動きやすい。

「せっかくのデートなんだから、綺麗な服に着替えてくればよかったのに」

「でーと?」

 シャノンは小首をかしげた。

「ただの買い出しでしょ?」

 すると、ヒースは意味ありげに、にっこりと微笑んだ。

「ああ、今日はいいお魚が見当たらないわねえ。そうだわ、馴染みの食堂で譲ってもらえないか、当たってみようかしら」

 ヒースは、芝居がかった口調で、舞台女優のように両手を組みながら視線をめぐらせた。

 魚なら、ついさっき通りかかった店先に、目の色が綺麗なものが並んでいた気がする。

「そういうわけだから、ちょっと行ってくるわね。二時間後に、広場の女神像の前で落ち合いましょう。旦那様、悪いけどその荷物、預かってもらっていいかしら?」

「もちろん、構わないけど」

「ありがとう。じゃあ、お二人はデートを楽しんで!」

 言うが早いか、ヒースはスキップしながら人ごみへと消えていった。

「行っちゃった」

 市場の真ん中に取り残されたシャノンとジェリーは、ぽかんとして顔を見合わせる。

「どうしましょう?」

「デートを楽しむって、具体的に何をしたらいいのかしら?」

「さあ……?」

 偽装夫婦以前の問題である。

 しばらく立ちつくして考え込んでいたシャノンだったが、突如ひらめいた。

「ジェリーは、王都は初めて?」

「は、はい」

「せっかくだから、観光しましょう!」

「えっ?」

 シャノンは、ジェリーの手から食材の詰まった手籠を取り上げると、彼の袖を引いて人ごみから抜け出した。

「どこへ行くんですか、先輩……じゃなかった、シャノン?」

「先輩でいいわよ。ここはお屋敷じゃないもの」

 ただし、騎士団の人たちには見つからないようにね、とシャノンは唇に人差し指を添えて言った。

「荷物、持ちます。重いですから」

「これくらい、だいじょーぶ……っ」

 とは言ったものの、食材と瓶入りミルクの詰まった籠はなかなか重い。

「貸してください」

 ひょいっと籠を奪われる。

 代わりに差し出されたのは、茶色い小枝のような、葉巻のようなものだった。

「先輩の荷物は、これ」

 深みのある甘い香り――シナモンの香りが鼻先をかすめた。それを、上着のポケットにそっと挿し込まれる。

「あ、ありがとう……」

 慣れない女性扱いをされると、足元やお腹のあたりがふわふわして、どうにも落ち着かない。

「先輩、どこに行きましょう?」

「そ、そうね。ここからだと、美術館と大聖堂が近いかしら。それから、一般公開されてる文豪の生家なんかもあるわ。わたしにはよくわからないけど、文学が好きな人なら楽しめるかも」

 ジェリーと目を合わせるのが気恥ずかしくて、シャノンは気を紛らわすように早足で歩きながら辺りをきょろきょろと見渡した。

「おれは興味がありますけど、先輩は退屈しませんか?」

「どうして? ジェリーが楽しんでくれるなら、わたしもきっと楽しいわ」

 そう言うと、途端にジェリーの頬が朱に染まった。

「先輩って、ほんと……」

「なあに?」

「なんでもないです」

 ジェリーは手の甲で口元を覆って、表情を隠してしまった。



 オズワルド・ダルトン。

 シルクレア王国において、最も有名な文豪の一人である。神話をもとにした作品を多数手がけ、およそ百年前に三十代の若さで没した。

「ここが、ダルトン氏の生家よ」

 人通りの少ない裏路地に、古く小さいながらも瀟洒な煉瓦造りの一軒家があった。外壁に絡みつく緑の蔓は、初夏になると麗しい藤の花を咲かせる。

 件の文豪に子孫はおらず、現在は空き家が文化財として一般公開されている。

「中に入っても?」

「もちろん。見学しましょう」

 二人は玄関の扉をくぐり、家の中へと入った。

「うわあ……」

 古い家の匂いを吸い込んだジェリーが、歓喜の声をあげた。

 間取りと家具の配置は、一般家庭のそれとほとんど変わりない。

 異なるのは、額装された書きかけの生原稿や愛用の羽根ペン、紐綴じされた代表作の初版本が展示されていること。

「先輩、大丈夫なんですか? こんな貴重なものが、こんな無造作に置かれて……」

 ジェリーは興奮しつつも、小声で問いかけた。二人の他に、数人の見物客が展示品と内装を眺めている。

 シャノンも小声で答える。

「よく見て」

 壁、床、天井、柱、至るところに小粒の魔法石が埋め込まれている。盗難防止の防護結界である。

「盗みを働こうとすれば、死なない程度の電撃が全身に走って、その場で拘束される仕組みになってるの。すぐに警備隊が駆けつけるわ」

「けっこう容赦のない仕掛けなんですね」

 ジェリーは苦笑を浮かべ、生原稿に視線を向けた。

 文学に明るくないシャノンでも、ダルトンの作品はいくつか知っている。子ども向けにわかりやすく要約された児童書も多く出版されており、幼い頃は寝物語の定番だった。

 ジェリーのそばで何気なく展示品を眺めるシャノンだったが、ふと、肉筆原稿のとある文面が目にとまった。


 ――月が赤く燃える夜、女神の腕に抱かれた屍人はふたたび命を与えられた。

 ――取り戻した命と引き換えに、「月の反逆者」という宿命を刻まれる。

 ――それが幸せであるか不幸せであるか、私の知るところではない。


 オズワルド・ダルトンは、読む者の心に希望の光を灯すハッピーエンドの書き手として人々に愛されている。

 彼らしからぬ作風に、シャノンはどこか引っかかるものを感じた。

「『月の反逆者』って、どういう意味かしら?」

 隣に立つジェリーを見上げると、なぜか彼の横顔は青白く、こわばって見えた。

「ジェリー、どうかした?」

「…………あっ、先輩? 呼びました?」

 ジェリーは、はっとしたように目を瞬かせた。

「すみません、つい、小説の世界に浸っちゃってました」

 ジェリーは照れくさそうに頭を掻いて、肩をすくめる。

「二階も見ていいですか?」

「ええ、行きましょう」

 浮かれた足取りで階段へ向かうジェリーについて歩く。

 彼の後ろ姿が、シャノンの目にはどういうわけか、何か恐ろしいものから逃れようとする子犬のように映った。

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