☆


 魔法騎士になりたかった。

 兄王子と共に父王を支え、シルクレアの民を守れる存在に。

 その夢は叶わなかった。突然の熱病に、あっけなく命を奪われた。

「向こうの世界」へ旅立とうとした時、女神に呼びかけられた。

 お前の力が必要だ、と。

 与えられたのは、ふたたび炎を灯した命と、月の満ち欠けに左右されない自由な魔力。そして、大陸の者から同胞を守るという使命。

 残りの人生すべてを女神に捧げ、人としての幸福を捨てることと引き換えに。

 七歳の王子は、迷うことなく受け入れた。

 女神によって引き合わされた少年、ザカライアと共に剣を振るった。

 充実した日々だった。

 たとえ日の当たる場所に出られないとしても、同胞の役に立てることが嬉しかった。

 あの日までは。


「ザカライア……どうして殺したの? 懲らしめて、追い払うだけでいいはずだろ?」

「ジーンは甘いね。今ここで見逃したら、こいつらはまたどこかで誰かを襲うよ」

「そんな……だって、人の命を奪うなんて女神シェヴンは許さない……」

「それは子ども騙しのおとぎ話さ。ボクらは託宣を受けている。女神シェヴンはおっしゃった。『シルクレアを穢す者はすべて滅せよ』とね」


 この国から追い払えという意味じゃないの?

 殺せ?

 それが、ぼくの……使命?

 ぼくは、人を殺すために生き返ったの?


 女神の託宣だとしても、ジーンは一度たりとも人を殺めることができなかった。

 大陸の密売人たちをほふる役目は、ザカライアが一人で背負った。

 与えられた使命に喜びも生きがいも得られないまま、月日だけが静かに流れた。

 生きているのに、心は死んでいた。

 ある夜、王都から離れた海辺の街道で女の子を助けた。晴れ渡った三日月の夜だった。

「あなた、魔法騎士……?」

 桜のような撫子のような、めずらしい髪と目の色をした可愛らしい少女。

 騎士の剣に似た立派な装飾のそれを目にした少女は、ジーンを魔法騎士と思い込んでいた。

「わたしも魔法騎士になるわ。王宮で、あなたの名前を教えてもらう」

「わかった。王宮で待ってる」

 二度と会うこともないと思った。適当にあしらうつもりで嘘をついた。

 女の子に夜道を歩かせるのは不安だったから、数ある魔道具のひとつを譲った。無尽蔵にあふれ出る魔力を制御するために、ジーンは複数の魔道具を身に着けていた。

「ぼくを……見つけて」

 二度と会わないはずなのに、まるで彼女に救いを求めるかのように、無意識にそんな言葉を向けていた。


 どうしたら彼女にもう一度会えるだろう。

 どうしたら王宮へ戻れるだろう。

 どうしたら、女神の使命から逃れられるだろう。


 十二歳の誕生日、ジーンは今いる場所から逃げ出した。ザカライアへの置き手紙と、魔道具を残して。

 どこへ向かうかもわからない荷馬車を何度も乗り継ぎ、雪の降りしきる土地にたどり着いた。

 雪の中をあてもなく歩き続け、やがて疲労と寒さで行き倒れた。

 自分は二度死ぬのか。

 絶望よりも、女神の使命から解放される安堵が大きかった。

 願わくば、もう一度……あの女の子に会いたい。


     ☆


「救済? わたしが……?」

 シャノンが問い返すと、セシアは深くうなずいた。

「いやいやいや! そんな大それたこと、わたしにできるわけが!」

 シャノンは力いっぱい両手を振って否定した。

「いろいろありすぎて突っ込み損ねましたけど、国を作り替えるとか、ジェリーが新しい王になるとか、スケールが大きすぎないですか……? もう、わたしの理解が追いつかない……!」

 ただでさえ脳筋バカなのに。シャノンは両手で頬を覆った。

「わたしが女神シェヴンの生まれ変わりというのは、なんとなく理解しましたけれど、これといった実感は何も……」

 セシアや絵画のジーン王子、それからザカライア。彼らの目には女神の魂が映っているのだというが、シャノンは一度も見たことがない。

「わたしなんかに、何ができるんでしょうか?」

「……刻まれた宿命に抗う者」

 戸惑いの表情を浮かべるシャノンに向かって、セシアは朗々と語り始めた。

「新たなる祝福をその身に宿せ。嘆きの祝福に救済を」

「セシア様、それは……」

「かの文豪、オズワルド・ダルトン氏の書き付けですわ。シャノン様もご覧になりまして?」

 シャノンはうなずいた。

「物語の断片の中に織り込まれた、特定の相手へのメッセージだと、わたくしは感じました」

「『月の反逆者』へ向けられたもの……ですか?」

「断定はできませんが、おそらくは」

 セシアは、白いバラが描かれた占いのカードをそっと撫でた。

「女神シェヴンによる望まぬ祝福から解き放つことができるのは、魂を同じくする存在。そうは思いませんか?」

「それが、わたし……?」

 シャノンは、胸に手を当てて静かに息を吸い込み、細く吐き出した。

「新たな……祝福」

 ジェリーの枷になっている「祝福」から解き放つことができるのだとしたら。

 幽閉されることなく、日の当たる場所で自由に生きられる……?

「かの文豪の時代にも、宿命に苦しむ『月の反逆者』と、女神の化身の物語があったのかもしれませんわね」

 その物語は、どのような結末を迎えたのだろう。

 幸福を得ることができたのか、それとも。

「シャノン様。ここは、先人の言葉に耳を傾けてみてはいかがでしょう?」

 シャノンは考える前に、力強くうなずいていた。



 人目につかないよう注意を払いながら、シャノンは地下へ続く階段に身を滑り込ませた。

 一度だけジェリーと剣を交えた、地下の鍛錬場。

 ここが最も適していると判断した。

 魔法石のほのかな灯りに照らされた空間の中央で足を止めた。

 瞼を閉じて、呼吸を整える。

 静寂。

(わたしの中の、女神シェヴン。聞こえますか?)

 女神の力を借りるのなら、対話することから始めるべきだと思った。応えてくれるかわからないけれど、他に方法が思い浮かばなかった。

(女神シェヴン。どうか、あなたの力をお貸しください)

 胸の前で両手を組んで、月に祈るように語りかけた。

(女神シェヴン、お願いします)

 シャノンの呼びかけに応える者は、いなかった。

 それでも、シャノンは祈り続けた。

 夕食の席に現れないシャノンを探してメイドたちが屋敷中を駆け回り、グレッグに見つけられるまで、シャノンはその場から一歩も動かずに祈っていた。



 セシアの居室。

 無人の室内で蝋燭の炎が揺らめく。

 円卓に並べられた五枚のカード。

 中心に置かれた、浄化と救済を示す白いバラ。

 純白の花弁はまるで炎に焦がされるように、じりじりと黒く染まってゆく。

 蝋燭の炎が消え、室内に闇が落ちた。

 風はなかった。

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