「アザレアのおかげで良い魔道具が手に入ったわ。ありがとう」

 シャノンは持参した革袋を大事に抱えて言った。

 中身は、今のところ渡せる保障のない贈り物の魔道具。

 プレゼントすると約束したのだ。

 今日、一緒に買いに来る予定だった。

「奥様」

 隣を歩くアザレアが口を開いた。シャノンより頭半分ほど小柄な彼女は、上目遣いで問いかけた。

「旦那様は、帰ってくる?」

「…………」

 シャノンは答えに詰まった。

 三人のメイドたちにはまだ伝えていない。

 ジェリーがよみがえった死者――「月の反逆者」であること、かつてはシルクレアの王子であったこと、現在はセシアの命を狙う組織の一員であること。

 そして、仮に戻ってきたとしても、王宮の監視下で幽閉される宿命にあること。

「グレッグさんは、旦那様が誰かから呪いを受けたのだと言っていた。呪いが解けたら……帰ってくる?」

 アザレアの深い緑色の瞳が、シャノンをまっすぐに見つめる。

「呪い……」

 おとぎ話のように愛する人の力で解ける呪いだというなら、自分は命を賭してでも呪いを解くだろう。

 しかし、ジェリーがその身に受けているのは、呪いではなく祝福。

 もしも彼から女神の祝福を奪ったら、彼の命は空へ還ってしまうかもしれない。

「ジェリーが無事に帰ってきたら……、新しいかまどで、みんなでお料理がしたいわね」

 シャノンは、精一杯の笑顔で言った。

「旦那様が帰ってくる前に、みんなで竈を完成させる」

「……そうね、がんばりましょう」

 あまりにひたむきなアザレアの眼差しに、シャノンは思わず目頭が熱くなった。

 やがて二人は繁華街を抜け、民家の並ぶ住宅街に入った。

「少し、寄り道をしてもいいかしら?」



 セシアと初めて出会った場所がこの家だった。

 シルクレアの文豪、オズワルド・ダルトンの生家。

 展示されている彼の書き付けにより、シャノンは「月の反逆者」の存在に触れた。

 ほんの一週間ほど前のことなのに、なんだかとても懐かしく感じる。

 古びた木の匂いと、古書特有の匂い。

 読書を好むジェリーが、目を輝かせて展示品に見入っていた。

『大丈夫なんですか? こんな貴重なものが、こんな無造作に……』

 なんて罰当たりな、と言いたげに焦る姿が、鮮明に思い出される。

(ヒースがデートしてきなさいって、セッティングしてくれたのよね)

 きっと、あれが最初で最後の。

「奥様、二階へ行ってもいい?」

「ええ、行きましょう」

 あの日は、この階段の上から旅装姿のセシアが降りてきた。まるで、天上から舞い降りる女神のように美しく、神々しく見えた。

 シャノンとアザレアは二階へ昇り、かの文豪が作業場として使っていた部屋へ入った。

 簡素なベッドと執筆用の机、本棚がひとつあるだけの殺風景な部屋だった。寝具は撤去されているのか、木組みの寝台が窓際にぽつんと置かれている。

 机の上に一冊の帳面があった。

 シャノンは、何の気なしに帳面を手に取った。

 かの文豪の肉筆で、物語を構築する前の段階――断片的な単語や短文が、色とりどりのさざれ石のように紙面に散らばっていた。

 この言葉をどう料理したら物語になるのかしら。

 中には理解の範疇を超えた言葉もあった。

 シャノンは帳面の黄ばんだページを順にめくっていき、ふと、途中でその手が止まった。


 ――刻まれた宿命に抗う者。


「これ……」

 シャノンは息をのみ、帳面に視線を走らせた。


 ――新たなる祝福をその身に宿せ。

 ――嘆きの祝福に救済を。


「嘆きの……祝福」

 傾きかけた太陽の光が、シャノンの頬を明るく照らそうとしていた。


     ☆


 王都の古美術商、ザカライア・シュワードは、商品買い付けのために留守にする旨の看板を、屋敷の門扉に掲げていた。

「わざわざご足労いただき感謝するよ、シュワード氏」

「どうか、ザカライアとお呼びくださいませ。王太子殿下」

 シルクレア王宮。

 数ある応接室の一室にて、ザカライアは王太子直々のもてなしを受けていた。

「では、ザカライア殿。貴殿は、大陸諸国の名品珍品の目利きがたいそう素晴らしいと、王侯貴族の間で評判でね。私もぜひ一度、拝見したいと常日頃から思っていたのだよ」

「もったいないお言葉、痛み入ります」

 ザカライアは優雅な笑みを浮かべ、深くこうべを垂れた。

「本日は、王太子殿下のためだけに、選りすぐりの品々をご用意いたしました」

「楽しみだ」

 メルヴィンは足を組み替え、相手が異性ならば正気を保っていられないほどに美麗な微笑みをたたえた。

 相対するザカライアは、若草色の目を細めて口角を上げた。

「殿下はやはり、ダリアダの宝石などがお好みなのでしょうか?」

「と、いうと?」

 メルヴィンが首を傾けると、蜂蜜色の髪が肩の上ではらりとこぼれる。

「聞くところによると、ダリアダの姫君をかどわかし、私邸に監禁なさっていると」

「…………」

 眉ひとつ動かさないメルヴィンに、ザカライアは軽快な口調で言葉を重ねる。

「まだ十二歳の幼い姫君を好きになさる、特殊なご趣味がおありだと」

 もしも、メルヴィンが王族でなかったら、何のしがらみもない立場の青年であったなら、ブーツの踵でテーブルを蹴り上げ、目の前の男が虫の息になるまで殴っていたかもしれない。

 凪いだ水面みなものように静かな心で、メルヴィンはザカライアを見つめ返した。

「噂とは、いつも一人歩きするものさ」

「…………」

 ザカライアは、笑顔のまま口を閉ざした。

「おそれながら、王太子殿下」

「何かな? ザカライア殿」

 ザカライアの笑みが、すっと消える。

「ボクをわざわざ王宮くんだりまで呼びつけた、本当の理由をそろそろ教えてくれるかな?」

「言わなければわからない馬鹿なのか」

 それまで陽だまりの泉のようだったメルヴィンの青い瞳が、氷のように冷たい光を放った。

「わかってるけど、あなたの口から言わせたいんだよ。オニイチャン?」

 ザカライアの口元が、にやりと歪む。

 メルヴィンは呆れたように舌打ちをひとつすると、前髪を無造作にかき上げた。

「我らが同胞、魔法騎士が一人、ジェリー・アヴァロンを返してもらいたい」



 同時刻、シュワード邸の一室。

 ジェリーは揺り椅子に身をまかせ、まどろんでいた。

 夢を見る。

 桜色の髪と瞳をした少女。

 よく笑い、よく泣く、表情の豊かな女性。

 彼女の名前は、何だったか。

「……せんぱい」

 名前が思い出せない。

 夢の中で、彼女の姿は風に吹かれる雲のように遠ざかっていく。

 銀色の睫毛に縁取られた瞼の端に、涙の雫が小さく光った。

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