「返せだなんて、人聞きが悪いなあ」

 それまで行儀よく座っていたザカライアがソファに背をもたせかけ、傲岸不遜にも王太子の前で脚を組んだ。膝の上に頬杖をつく彼の手首で、銀色の腕輪が鋭くきらめく。

「ジーン……今は、敢えてジェリーと呼ぶとしようか。彼が、自分の意思でボクのもとへ帰って来たのさ。任務とやらを放棄してね」

「その根拠は? あいつが『ただいま』とでも言って玄関から現れたか?」

「あなたの用意した『檻』を破って逃げ出したのが、何よりの根拠だよ」

 ザカライアは喉の奥でくつくつと笑った。

「試しに、彼を檻の中へ戻してみる? あなたの大事な大事なお姫サマが、どうなってもいいのならね」

 メルヴィンの眉間の皺が深くなるのを、ザカライアは見逃さなかった。

「彼……ジェリーは、女神シェヴンの託宣を忠実に守っているだけだよ。シルクレアは女神の作り出した聖域。『穢れ』と見なされるものは根こそぎ排除する。害虫駆除のようなものさ」

「害虫なら、今まさにこの場にいるな。よく喋る虫だ」

「言うねえ」

 涼しい顔を保って言い放つメルヴィンに、ザカライアは爽やかな笑みを返した。

「貴様も、『月の反逆者』か?」

「違うよ。どこにでもいる、ただの古美術商さ。大陸に穢された同胞の血筋をたどるのに都合が良くてね。おかげで、『穢れ』の権化とも呼べる女神ゲルダに行き着いた」

「同胞の血筋をたどった貴様が選ぶのは、救済ではなく排除ということか」

「選んだのはボクじゃない。女神シェヴンさ」

 メルヴィンは両目をすがめた。

 諸説ある伝承のひとつによれば、女神シェヴンは双子の妹ゲルダと引き離された絶望から、自らの魂を粉々に砕きシルクレア全土に散ったとされている。

 ザカライアの言う「女神シェヴン」とは、散り散りになった魂の一部なのか、それとも「核」にあたる存在なのか。

「貴様がジェリー・アヴァロンと行動を共にするのも、女神の託宣によるものか?」

 メルヴィンの問いに、ザカライアは唇の端を上げることで肯定の意を示した。

「女神に従い、『穢れ』をすべて摘み取った先には、何がある?」

 一瞬の沈黙。

 ザカライアは横目で窓の外に視線を向け、空を旋回する鳥を見送った。

「世界で最も美しく清らかで、強い国さ」


     ☆


 上品さと可愛らしさを兼ね備えた濃い紫色のリボン。縁には魔力のこめられた糸状の金属が織り込まれており、星明かりのような光を帯びている。

「まあ、これをわたくしに?」

 セシアは、ぱっと瞳を輝かせ、シャノンの顔を見上げた。

「街の魔道具屋で見つけたんです。護身用も兼ねて、身に着けていただけたら嬉しく思います。お店は、アザレアが教えてくれたんですよ」

「とても素敵ですわ。さっそく使わせていただきますわね、ありがとうございます。アザレアも、ありがとう」

 シャノンの一歩後ろにひかえていたアザレアは、無表情ながらも少し照れくさそうに頬を赤らめた。

「今日は外出の許可をいただき、ありがとうございました。何か変わったことはありませんでしたか?」

 ジェリーが姿を消した今、セシアの護衛任務は実質シャノンが一人で遂行している。グレッグとユルリッシュという頼れる存在はいるものの、私用で持ち場を離れるなど本来は許されることではない。

「特に変わりはありませんでしたわ。強いて挙げるのでしたら、とても静かだということくらいでしょうか」

 セシアは少し寂しそうに微笑んだ。

「ジェリー様がいないと、お屋敷はこんなにも静かなのですね」

「セシア様……」

 日が傾き、空は藍色のヴェールをまとい、細かな星が瞬きはじめる。

 部屋の中からは見えないが、今夜は乙女の爪の先のように細い月が昇るだろう。

 そして、二日後の夜には月が消える。

「シャノン様」

 紫色のリボンを胸に抱き、セシアはあらたまった声で呼びかけた。

「お伝えしたいことがありますの」



 昨夜の占いで、セシアが引き寄せた五枚のカード。それらは、そのままの状態で円卓に並べられていた。

 黄色い書物、黒い剣、金色の人魚、白いバラ、赤い月。

 異国の香りに満ちたセシアの居室で、シャノンは五枚のカードと向き合う。

「赤い月はジェリー様を、金色の人魚は女神シェヴンを、黒い剣はザカライア・シュワードを、そして黄色い書物は叡智の結集……ザカライアが引き抜いた高位魔法使いと、民間の魔法使いを示しています。『女神の使徒』ですわね」

 セシアは、カードを一枚ずつ指先で押し出す。

「十三人の『使徒』たちについては、それほどの脅威を感じません。近く、メルヴィン様が彼らの身元を洗い出し、拘束なさるでしょう」

 円卓の中央には、白いバラのカードが残された。

「この、白いバラは何を意味しているんでしょうか?」

 昨夜の占いでは、セシアはこのカードについて触れていなかった。

「実は、昨夜の時点ではわたくしにも読み解くことができませんでした」

 意外な答えに、シャノンは桜色の瞳を揺らめかせた。

 部屋の中には、シャノンとセシアの二人きり。側近のユルリッシュは廊下にひかえている。

「何度もカードに呼びかけて、先ほどになってようやく答えてくれました」

 まだ幼さを残した丸みのある指先が、白いバラのカードにそっと触れた。

「わたくしがダリアダの民でよかった。月の弱い日でも、こうして皆様のお役に立つことができるのですから」

 花のつぼみのように可憐にふくらんだ唇から、小さな吐息がこぼれ落ちる。

「このカードが示す主な意味は『浄化』。過ちを許し、救い、正しきところへと導く者」

「まるで、神様みたいですね。でも……」

 円卓の上にはすでに、女神シェヴンを示す金色の人魚のカードがある。

 シルクレアの民にとって、女神シェヴンが唯一の存在なのだ。双子の妹である女神ゲルダの名は、勤勉たる一部の民にしか知られていない。

「女神シェヴンの魂のかけらは、国中に散っています。その中のひとつが、ジェリー様……ジーン王子をよみがえらせ、ザカライア・シュワードをそそのかし、長い時間をかけてシルクレアという国を作り替えようとしています」

「その過ちを、この白いバラが救済する……?」

 セシアはうなずき、凛とした声音で言ったのだった。

「救済を意味するこの清廉な白いバラは、シャノン様。あなた様ですわ」

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